団結こそ力!―動労千葉のこの6年間の闘い

革マルと会社の結託体制は崩壊した
今こそ動労千葉に結集し、ともに闘おう
<<団結こそ力!―動労千葉のこの6年間の闘い>>

JR東日本における労務政策の大転換が始 まっている。会社は東労組・革マルと手を切ることを決断し、明らかに一線を画しはじめている。東労組は危機感をむきだしにしている。もう「どんなに不満が あっても東労組の組合員でいれば安全」という条件は無くなった。こうした事態を背景として東労組が分裂した。だがそれは革マルの仲間割れに過ぎない。
今必要なのは、労働組合が会社の手先となって労働者を支配するような現状を変えることだ。本当の団結を取り戻すことだ。腐り切った労働貴族どもを今こそ打倒しよう。
ライフサイクルや安全の崩壊、職場の現実は酷いものだ。労働者を将棋の駒としか思っていない。、職場を動かしているのは労働者だ。社会を動かしているの も労働者だ。労働者が団結すればこんなことは止められる。それは、この6年間の動労千葉の闘いが示している。今こそ決断のときだ。東労組と決別し、動労千 葉に結集しよう!

(1) シニア制度反対-業務外注阻止の闘い

01年から始まったシニア制度は、定年退職後の「再雇用」と抱き合わせにし て、業務の全面的な外注化を労働組合が積極的に推進することを呑めと迫る卑劣な攻撃だった。しかもこれは「再雇用されるのは東労組だけだ」という大キャン ペーンを張って他労組を切り崩すために、会社が東労組と一体となって仕組んだ攻撃だった。東労組にとっては、業務外注化を認めることによって会社への忠誠 心を示し、他労組の切崩しも行なえるまたとないチャンスだと考えたのである。まさに腐り切った発想だ。
実際、国労や鉄産労は、会社と東労組一体となった組織破壊攻撃に屈して次々とシニア協定を締結した。その結果01年から、保線・電力・信通や検修・構内業務の外注化が全面的に強行されることになった。
とくに、保線や電力では、三千数百名にも及ぶ直営業務が外注化され、そこに働いていた仲間たちは強制出向に駆り立てられたのである。
動労千葉はこんな卑劣な攻撃を呑むことはできないと判断した。なぜなら、こんなものを認めたら、労働組合など存在する価値が無くなってしまうからだ。し かしこれは、動労千葉の組合員であるというだけで、定年後の再雇用の道が断たれるという一人ひとりの組合員の生活に直結する厳しい問題が突き付けられる攻 撃でもある。
われわれの判断は、とことん組合員と話し合って問題をのり越えていくしかないということだった。当初は再雇用のために、定年を間近にして脱退していく組合員も出た。一方、組合として判断した以上、組合自身の力で再雇用先を探すための取り組みも行なった。
しかし、こうした取り組みを必死で続けた結果、千葉支社だけは検修・構内業務の外注化を今日まで6年間ストップさせるという大きな成果をかちとったので ある。そして06年度からはシニア制度そのものも粉砕して、「業務外注化推進条項」無しで就業規則化させたのだ。さらに07年度からは(重大な問題を胎む ものとはいえ)、関連会社への再雇用ではなく、JRが直接再雇用する形のエルダー社員制度が実施されようとしている。
この闘いは労働組合が原則を貫くことがいかに大事なのかを示している。

(2) 千葉運転区・畑木さんの強制配転粉砕・強制配転者の職場復帰の闘い

またこの闘いは、駅に強制配転されていた仲間たち14人を検修職場に取り戻す成果にもつながった。検修職場の外注化ができなかった結果、検修要員がひっ迫し、強制配転者を戻さざるを得なくなったのだ。しかし、それは自動的にかちとられたものではなかった。
03年に千葉運転区の畑木さんに突然木更津支区への配転通知が行なわれた。定年間近の組合員の配転は異例のことであった。われわれは、駅には気動車のハ ンドルを握れる組合員が配転されているにも係わらず欠員が出ても戻そうとせずに畑木さんを強制配転したことから、この闘いを強制配転粉砕の闘いと位置づけ て、畑木さんの指名ストを皮切りに、千葉運転区の運転士を対象とした指名ストを順次拡大した。そして16日目、ついに千葉支社は折れて、検修職場を希望す る者は全員駅から検修職場に戻すことを組合と約束したのである。
これは、一人の組合員を守ろるために、全組合員が闘いに立ち上がったことによってかちとった大きな成果であった。

(3) レール破断の多発・尼崎事故 に対する安全運転闘争

04年からの闘いは運転保安確立の闘いとなった。年頭からレール破断が頻発するという異常事態が発生したのである。これが、01年に強行された保線業務の外注化や検査周期の延伸によって線路の保守体制の手抜きが行なわれたことによるものであることは明らかであった。
われわれはその原因を徹底的に究明するとともに、当局に抜本的な安全対策の実施を要求して、列車の速度を落とす安全運転闘争に立ち上がった。
しかし当局は、これを「違法行為」だと言って、数千人の管理者を動員して運転席に乗り込ませ、監視と恫喝、を行なうという攻撃を仕掛けてきた。
二人の管理者に監視されながら一人で闘うのは大変なことだった。しかし、安全問題だけは絶対に譲ってはいけないというのがわれわれの考え方だ。
実際、こうした闘いの渦中で05年に尼崎事故や羽越線事故が起き、多くの人命が失われたのである。
尼崎事故後の安全運転闘争には不当処分が発令され、会社は闘争の圧殺に躍起となった。しかし、この闘いも大きな成果を生み出したのである。何よりも、 05~07年度の3年間に、千葉支社管内で130㎞に及ぶ前例のないレール交換を行なうことを約束させたことである。しかも、動労千葉が闘いに立ち上がっ たことでレール破断問題や、スピードアップやボルスタレス台車の採用(車両軽量化)がレールに激しいダメージを与えていることを社会的問題になったのであ る。
さらには、動労千葉の闘いが社会的に注目されたことも大きな成果であった。この闘い以降、組合に無数の激励メールが寄せられるようになったのである。

(4) 幕張構内事故弾劾-運転士への事故責任転嫁粉砕の闘い

06年4月6日、幕張構内で列車脱線事故が起きた。入信の先にある洗浄機の青ランプが点灯したためにつり込まれてしまった事故であった。しかし、結果としては列車が傾いて洗浄機を倒し、ちょうど入区してきた列車ともぶつかる大事故となったのである。
会社は直ちに「懲戒解雇だ」と叫びたてた。実際、その少し前には、千葉運転区で、運転台で携帯電話を使ったというだけで東労組の若い組合員が不当解雇されるというとんでもないことが起きており事態は一刻の猶予もならない状況であった。
われわれは仲間を守るために闘いに立ち上がった。▼事故が起きた場所は、最も頻繁に入換作業が行なわれる引き上げ線にも係わらずATSが設置されていな かったこと、▼しかも安全衛生委員会でのATS設置要求が握り潰されていたこと、▼以前から洗浄機の可動ランプでつり込まれそうになることが指摘され続け ていながら何の対策も行なわれてこなかったこと、▼たび重なる要員削減によって、「一通告・一作業」を行なう余裕がなくなっており、現場当局もそれを容認 し続けていたこと等、問題点を徹底的に洗い出し、「事故責任の転嫁を許すな! 裁かれるべきは安全対策を放置し続けたJR当局だ」と訴え、もし不当解雇を強行する動きが具体化した場合は全組合員がストライキに突入する方針を決定して 当局を徹底的に追及した。
一方当局は「事故が起きたのは職場規律が乱れているからだ」と、幕張支部潰しに躍起となったが、固い団結でその攻撃もはね返し、当局を、半年以上も処分 を出すことができない状況に追い込んで、事故を起こした仲間を守りぬいた。またそれだけでなく、初めて電車区構内へのATSの設置を実現したのである。
この闘いは、動労千葉の原点である「闘いなくして安全なし」の立場を貫いて、反合・運転保安闘争の発展をかちとる闘いでであった。

(5) 館山運転区・木更津支区廃止反対闘争

07年3月ダイ改での館山運転区、木更津支区廃止攻撃も重大な攻撃であった。
働く職場を奪われるということは、最大の団結破壊攻撃であり、働く仲間の生活基盤を覆すものだ。しかも、一旦提案されたら簡単に止めることのできる攻撃でないこともはっきりしていた。
しかしわれわれは、この重大な攻撃に対しても「絶対反対」の立場であらゆる手段を尽くして立ち向かう方針を決定した。そうしなければ会社の思うようなバラバラに配転され、団結が破壊されることは火を見るよりも明らかだったからだ。
まずやったのは、内房線沿線の自治体や観光協会、商工会議所等をくまなく回り、儲からないという理由だけでローカル線をどんどん切り捨ててゆくJRへの 地域の怒りの声を結集した。そして06年9月に開かれた「地域集会」は、館山市や南房総市の市長、鋸南町の町長代理、商工会議所の会頭や、観光協会、旅館 組合の会長等が参加し、文字通り地域全体の廃止反対の怒りの声を総結集する場となって、JRを追いつめたのである。
その後も、職場からの区長に対する抗議行動、ディスティネーションキャンペーンに対する抗議行動等を全力で展開し、異動の希望調査にあたっては第一希望 以外は一切書かないことを意志統一し不当配転の事前通知が強行された場合は「所定以外の乗務を一切拒否する」非強力闘争に突入することを通知した。
結局、残念ながら基地廃止を止めることはできなかったが、動労千葉の組合員
は全員希望どおりの異動をかちとった。
これはこの同じ時期に、他労組の組合員に対しては、突然車掌から駅に配転されるなどの不当配転が相次いだことを見ても大きな勝利だった。

 こうした6年間の闘いが示したのは、闘う労働組合の存在がどれほど大事なのかということだ。そして、団結して闘えば職場を守り、仲間を守り、安全を守ることができるということだ。
今こそ東労組と決別し、動労千葉に結集してともに闘おう。

2007年8月8日