「20名 もの国労組合員が、「スト破りはできない」と動労千葉へ結集してきた」 追悼 中村栄一

追悼 中村栄一

顧問 布施宇一

千葉・栄町の表通りを、バス停へ向かって、とぼとぼと歩いている。
中村栄一といつか、「二人並んで、黒い服を着て栄町を歩いたら、行きかう人達がよけて通るだろうな」と笑いあったことがある。
その栄町の通りを、黒いネクタイをポケットへ突っ込み、礼服の上着を肩に担ぎ、小さいショルダーバッグを反対側の肩に掛け、ひとりで歩いている。

栄一は、激しやすい男だった。
魂のボルテージが極めて高く、誰に対しても、その想いを解き放つことを躊躇しない男。自分に対しても、他に対しても、言うことと行動が一致しないことを許さない男。
「やると言ったのになぜやらないんだ。約束も守れないやつが、階級闘争なんて、偉そうに言うんじゃない」
行きつけの店を覗けば、居酒屋の喧騒を突き破る栄一のセリフがまた聞けるような気がしてくる。

その栄一が、動労千葉の書記長になって3年目。
言うことも、やることも、バランスがとれてきて、あと一歩で大きく飛躍する予兆を見せてきたと、ひそかに期待を深めていた、その矢先に、あっけなく逝ってしまった。
くも膜下出血。
太い血管が切れて、一瞬の苦しみのうちに逝ってしまったのだという。
44歳。若すぎるじやないか。文句を言いたくても相手がいない空しさをもて余しながら、信号待ちの歩道の敷石を、強く蹴とばしている私がいる。

中野委員長が退任するとき、自分も退こうと思っていた。その時がきて思いついたことではない。10年も前から思っていたことである。
当然ながら、後任人事は難航した。
大会直前になって、出身支部である千葉運転区支部の三役と会ってオルグした。
「中野と布施が退任するのに、二人の出身支部であり、最大支部である千葉転から三役をひとりも出さないということが許されると思っているのか。大会直前 になっても、それくらいのことが決められないようで、これから先の動労千葉がどうなると思っているのか。この3人の中から、本部書記長を出せ」
最初から、頭ごなしにまくし立てた。20歳近くも年上の私から、怒鳴るように言われて下を向いた3人の全身から、怒りの熱気がふきだしていた。
最初に顔を上げた栄一と目があった。光っていた。立ち向かう目だと思った。「これで決まった」心の中で頷いていた。
動労千葉で初めての非専従の書記長が誕生して3年。栄一の死を前に、告別式の終わった今も、呆然としている私がいる。
JRになつて17年。安全を無視して目先のコストだけを追求する資本とこれに追従する御用組合の下で、労働条件は悪化し続けている。それが最もきつく現 出きれる電車運転士の職務を全うしながら書記長という激務に立ち向かう栄一に、どれだけの手助けができたのかと思うと、まことに忸怩(じくじ)たる想いに 胸が塞がる。
この3年間、栄一とは、折にふれて話をした。
二人だけの時も、他の役員や組合員と一緒の時も、飲むほどに、その正義感が鋭い舌鋒となってほとばしる。そこに、一般的物差しでいえば決して幸せであったとは言えない生い立ちを臆することなく明らかにし、今を生きる想いを熱く語る栄一がいた。
栄一が、私が18歳で国鉄ヘ就職した頃、生まれている。
そして、私が三里塚・ジェット闘争から分離・独立の闘いの過程で不当解雇された37歳の頃、国鉄に就職し、動労千葉が、国鉄分割・民営阻止闘争に対する 40名の不当解雇をはじめとする大弾圧をはね返し、JR化後初の、本格的ストライキに決起し、1047名闘争団が形成されていく熱気の中で、国労から動労 千葉へ結集してきたのである。

私は、1989年12・5ストから1990年3月の「前倒し」ストまで、闘争責任者として、連日のように千乗転に張り付いていた。今 思い出しても、よく闘い抜けたものだと思う。個人的にも、組織的にも、文字通り渾身のカをふりしぼる、苦しい闘いであった。その闘いの熱気の中で、20名 もの国労組合員が、「スト破りはできない」と動労千葉へ結集してきた。私はそこに、揺るぎない動労千葉の勝利を確信した。その仲間たちの先頭に中村栄一は いた。思えば、それが栄一と私の出会いであった。
動労千葉に結集してきて10年後に、中村栄一は動労千葉の書記長となった。
そして3年・・・動労千葉は悲しみの底に沈んでいる。
2004年5月15日、朝、栄一は突然逝ってしまった。
私は、火葬場で栄一の骨を拾いながら、こみ上げてくる想いを必死で耐えていた。
通夜、告別式に出席した者も、出席できなかった者も、全ての動労千葉組合員、家族、OBが、私と同じ悲しみを耐えていると思う。

5月16日・通夜、17日・告別式を経て、動労千葉は、5月19日に緊急執行委員会を開催するという。
この執行委員会を起点に、動労千葉は、書記長・中村栄一の死の悲しみと打撃をのり越えて、前進を開始しなければならない。
火葬場へ向かうとき、同期生たちに担がれた棺の中で、栄一も、そのことを「たのむぞ」と言っていたにちがいないのだ。

2004年5月17日 夕刻バス停近くの喫茶店で記す。