「三河島事故裁判」の最高裁判決 JRは今この判決をどう読むのだろう

進行の指示運転の問題点 最終回

闘いなくして安全なし!

○原点にかえり反合・運転保安闘争の強化を

「規制緩和」の名のもとに、安全がまさに根こそぎ切り捨てられようとしている。そして、ニューフロンティア21や、ニューチャレンジ21など、嵐のように吹きあれる大リストラ攻撃が、相互に促進し合って運転保安の崩壊にさらに拍車をかけている。
安全の確保にとって基本中の基本であった「信号絶対主義」をつき崩してしまった「進行の指示運転」は、規制緩和と大リストラを背景とした安全の構造的崩壊を象徴的に示す事態であり、重大な攻撃だ。
だからわれわれはこれに絶対に反対する。われわれはあくまでも、場内信号機に対する進行の指示運転の即時中止を強く求める。犠牲になるのは運転士であり乗客である。労働組合がここで闘わなければ、取り返しのつかない事態となることは明らかだ。

東中野、そして西日本での教訓は?

「信号を無視せよ」という指示は、東中野事故を引き起こし、運転士と乗客の尊い生命が奪われているのだ。あれから15年。JRは自らの無謀・違法な指示によって引き起こしたその事故の教訓も忘れ、第二・第三の東中野事故の道をつき進みはじめた。
昨年西日本では、人身事故の救助に向かった救急隊員が列車にひき殺されるという痛ましい事故が起きている。人身事故発生直後に通過した列車が指令に危険 であることを連絡したにも係わらず、指令は後続の列車を止めようとはしなかったのだ。指令が連絡したのは、ただ「注意して運転せよ」ということだけであっ た。それも事故当該の運転士には、運転席の騒音等で事故現場の直前まで指令の指示は届かなかったというのだ。ほとんどの事態を「注意して運転せよ」という ひと言で済ましてしまうという指令指示のあり方は、東日本でも日常的に蔓延していることである。
「進行の指示運転」に示されたような、とにかく列車を止めてはならないという経営姿勢、そして無線による指令万能主義と言うべき発想が重大事故を引き起こしたのだ。

鶴見事故四〇周年

今年は時あたかも、鶴見事故40周年にあたる。一九六三年十一月九日、東海道線鶴見-横浜間の滝沢踏切で下り貨物列車が突然脱線、平 行して走る横須賀線の線路をふさいで脱線したところに、同線上り列車が衝突し、さら防護合図で停車していた下り線列車にも突っ込み、死者一六八名、重軽傷 者一二〇名をだすという悲惨な事故であった。
その前年には、常磐線・三河島で死者一六〇名、重軽傷者三五〇名という重大事故が起きており、この二つの事故は、戦後最悪の列車事故となった。国鉄にお ける運転保安確立の闘いは、「再び三河島-鶴見事故を繰り返すな」が共通の合い言葉となって、ここから開始された。

安全の基本に帰れ

それから40年、われわれが直面している現状は、これまでの闘いによって確立されてきた運転保安上、安全確保上の一切の地平が全てつき崩されようとしている事態である。

 「三河島事故裁判」の最高裁判決は次のように言っている。「人間の不注意を責めるのは比較的容易である。しかし人間の注意力やとっ さの判断力を過信することは、事故対策としては究極的な解決にはあまり役立たないであろう。………むしろ保安部門が国鉄という公共企業体の根幹となり、他 の部門に優越する地位が与えられるよう基本方針の転換を図ることが急務であり、それとともに現場職員が物心両面にわたって優遇されることが是非とも必要で ある」。

JRは今この判決をどう読むのだろうか。われわれはここで糾弾されたとおりのことをJRに投げ返さなければならない。

反合・運転保安闘争の強化を!

「規制緩和」とは、安全はもとより、この国会に提出されようとしている労基法をはじめとした労働法制の解体攻撃に示されるように、弱 肉強食の論理をとき放って、労働者が永年の闘いによって築きあげてきた労働条件や権利、生きる権利を奪い尽くそうとする攻撃だ。資本主義の野蛮きわまりな い本質がむき出しになろうとしている。
とくに安全の確保という課題は、絶対に「市場原理」などに委ねてはならない課題である。「市場原理」と安全は水と油の関係にあり、絶対的に相容れないものだ。
この時代にあってわれわれは、改めて「三河島-鶴見事故40周年-再び運転保安の解体を許すな!」「再び船橋事故-東中野事故を許すな!」「規制緩和- 安全の解体を許すな!」のスローガンを掲げ、原点である反合・運転保安闘争の強化をかちとらなければならない。この闘いはその労働組合が本当に労働者のた めの本物労働組合か、ニセ物かの試金石となる闘いでもある。03春闘を「生活防衛-反合・運転保安-反弾圧-反戦春闘」として闘おう。ともに起ちあがろ う。