03春闘 パンフ No.1

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◆03春闘 パンフ No.1

 03春闘に起ちあがろう SPRING fIGHT 2003

パンフNo.1表紙闘いなくして安全なし

●大幅賃上げ獲得! めざせ春闘の復権!
●賃金・雇用・権利−生きる権利を守りここう!
●JR版大リストラ−第2の分割・民営化攻撃うち砕こう!
●1047名国鉄闘争勝利−国労闘争弾圧粉砕!
●DON’T ATTACK IRAQ−有事立法を阻止しよう!

国鉄千葉動力車労働組合

目次

 はじめに

T 運転保安崩壊への分水嶺

1 安全の基本をくつがえす。
2 これだけの問題点が
3 誰ひとりとして問題にせず
4 会社内部でも大混乱
5 こんなこと現場では通用しない

U 背景は省令の抜本改悪と大リストラ

1 国土交通省令の抜本改悪
2 恐るべき発想、自作自演の改悪
3 駅の大合理化−外注化と一体
4 ルール無しの社会に
5 社会をおおう安全の構造的崩壊

V  「進行の指示運転」を検証する。

 1 信号に対する考え方の大転換、無線万能主義
 (1) 「進行の指示運転」とは
 (2) 「信号絶対主義」
 (3) 「進行の指示は信号にあたる」
 (4) 「絶対信号機という概念はない」
 (5) 出発信号機まで対象に
 (6) 信号を見るな!
 (7) 「閉塞(そく)」の概念もどこへ
 (8) 注意力による運転
 2 事故を起こせと言わんばかりの規定に
 (1) 複雑怪奇な取扱いに
 (2) 「特殊な取扱い」
 (3) 何をもたらすのか
 (4) 事故を起こせ!
 (5) このような規定は根本的な間違い
 3 再び東中野事故が起きる!
 (1) ATS開放運転!
 (2) 電気的鎖錠?
 (3) 関係するポイント45q/h
 (4) 再び東中野事故が

W 本社回答は覆った!

 1 千葉支社の再回答
 2 運転士の責任とはしない
 3 本質的な問題は解決していない

X 安全を政治の道具とする東労組・革マル

 1 異様の会社賛美!
 2 これが労働組合と言えるのか
 3 東労組・革マルのペテン

Y 闘いなくして安全なし! −−− 原点にかえり、反合・運転保安闘争の強化を

 1 進行の指示運転の即時中止を
 2 東中野、西日本の教訓を思い起こせ
 3 鶴見事故40周年、安全の基本に帰れ!
 4 反合・運転保安闘争の強化を


 

はじめに

03春闘をともに闘おう

賃下げ・春闘解体を許すな JR総連の要求放棄弾劾

 労働者にとって大変な時代が到来しようとしている。日本経団連は全面的な賃下げを宣言した。03春闘はほとんどの労働組合が要求すらださないというとんでもない春闘になろうとしている。
 東労組も日貨労も春闘を完全放棄しようとしている。貨物では昨年12月から毎月2万円近くもの賃下げが強行されている。JR東日本は3月決算で史上最高益をあげるというのに、東労組は賃上げの要求すらださないというのだ。ベースアップ要求を放棄したら次には賃下げがくるのはわかりきったことだ。一体何のための労働組合なのか。

全ての労働者が不安定雇用につき落とされる!

 今開催されている国会では、企業に首切り自由の「権利」を与える条文が労基法にもり込まれようとしている。また、労基法や派遺法の改悪で、終身雇用制を最後的に解体し、ぼう大な労働者を不安定雇用・非正規雇用につき落とす最後の扉が開け放たれようとしている.財界は、正規雇用は全労働者の10%程度にすると宣言している。
 JRでも、業務の全面的な外注化をはじめとした大リストラ攻撃が吹き荒れ、一方で革マル結託体制は自己崩壊しはじめた。
 また国会では、年金や医療・介護保険・雇用保険制度などの抜本改悪と、大増税法案が審議されようとしている。労働者の生きる権利が根こそぎ覆されるような時代が始まろうとしている。戦争への足音が高まっている。イラクへの侵略戦争が目前に迫り、小泉政権は今国会での有事立法制定を宣言した。

動労千葉に結集し、ともに闘おう!

 この現実を変えることができるのは労働者の団結した力だけだ。何のために労働組合が存在しているのかが問われている。われわれは03春闘に組織の総力をあげて起ちあがる。

03春闘勝利!大幅賃上げ獲得! 賃金と賃金制度の改悪を許すな!
検修・構内外注化の新年度実施を再度阻止しよう! 習志野電車区廃止攻撃粉砕!
進行の指示運転を直ちに中止しろ! 反合・運転保安確立!
営業合理化粉砕−不当配転者の原職復帰をかちとろう!
労働法制・社会保障制度の解体、大失業攻撃をうち砕こう!
国労臨大闘争弾圧粉砕・1047名闘争勝利・国鉄労働運動の再生をかちとろう
世界の労働者と連帯し、イラク侵略戦争−有事立法を阻止しよう!

T 運転保安崩壊への分水嶺

 1 安全の基本をくつがえす。

 昨年11月1日から運転取扱実施基準が改悪され、「場内信号機に対する進行の指示運転」が実施されている。
 これは、場内信号機の故障時の問題にとどまらず、運転保安や列車の安全確保にとってこれまでの最も基本となってきた考え方を根本から解体するものだ。
 ここにはこれまでの考え方の根本的な転換がある。ここに示された発想は、永い鉄道の歴史のなかで見ても、運転保安崩壊への分水嶺となるような性格をもつものだ。
 ここから発生する問題点は無数にあるが、何よりも「信号」に対する考え方が根本的に変えられてしまったのである。これまで列車の安全確保の基礎にあったのは、いわば「信号絶対主義」であった。それがつき崩されて、それにとって変わろうとしているのは「指令万能主義」「無線通告万能主義」というべき発想である。
 また「疑わしきときは手おちなく考えて、最も安全と認められる道をとらなければならない」という安全綱領の理念は否定され、「信号機が故障していようが何が起きようがとにかく列車を動かせ」という発想が大手をふってのし歩こうとしている。

 2 これだけの問題点が

 「進行の指示運転」には、直接的な事柄だけに限って列記しても次のような多くの問題点がある。

 @ 「絶対信号機」という概念を解体してしまったこと。
 A それどころか、「進行の指示は信号にあたる」「信号現示と進行の指示は対等」と主張し、「信号」の概念そのものを解体してしまったこと。
 B 今回は実施が見送られているが、出発信号機も同じ取り扱いができるとしていること。
 C 複数の場内信号機がある場合は、第一場内機外で進行の指示を受けた場合、第2・第3場内は無視し、見ずに所定停止位置まで運転せよと、「信号無視」 が公然と指導されることになったこと。
 D それに伴って、ATSの解放運転が公然と指導されることになったこと。
 E 進行の指示運転自身にも、4つのケースが掲げられており、これに代用手信号、誘導による方法を含めれば実に6つのケースが存在することになったこと。−−−これでは時が経てば、運転士の頭のなかには、とにかく何らか の指示があれば、信号を無視して運転しなければならないということだしか残らなくなるのは火を見るよりも明らかである。
 F さらには、進行の指示で運転した場合には、例え停止信号でも第2・第3場内は無視することになるが、代用手信号により運転した場合には信号現示に従うという矛盾も起きて大混乱となる。
 G こうした取り扱いによって「閉そく区間」や「防護区間」という概念まであいまい化されたこと。
 H ポイント鎖錠の概念も変えられ、「電気的鎖錠」−要するに制御板で在線表示がなければ列車を進行させてよいとされたこと。
 I しかも閉そく指示運転(無閉そく運転)でも15q/hとされているにも係わらず、進行の指示運転は、「対応するポイント45q/h」とされたこと。

 この一つひとつがこれまでの考え方を180度覆すものであり、重大なことだ。言うまでもなくこうした事態から派生する問題点は他にも数限りなくある。

 3 誰ひとりとして問題にせず

 ところがこの深刻な事態を、動労千葉以外誰ひとり問題にもしようともしなかった。そして、JR東日本も、これだけ重大な変更をどの組合にも一切提案せずに一方実施しようとしていのである。貨物会社も同様であった。
 会社は当初10月1日からの実施を計画しており、9月冒頭から各支社で一斉に教育を始めようとした。だがこの段階でも東労組を始めどの組合も全く問題視すらしなかったのである。
 動労千葉は本社、支社に強く抗議した。「運転保安上これほど重要な問題を組合に提案もしないで突然一方的に実施するとは何ごとか」「具体的な内容も明らかにせず、団体交渉も経ないまま一方的に教育を強行するならば、われわれは恒常的スト方針の発動も含め、重大な決意をせざるを得ない」。−−−この抗議の結果東日本本社は、各組合に提案して団体交渉を行なうこと、教育は一旦中止し、10月実施を一ヵ月遅らせることを約束した。
 しかし会社提案後も、各組合は申し入れひとつまともに出さず、何も問題にしないという対応に終始した。信じられないことであり、危機的な状況だと言わざるを得ない。われわれはこの間、「闘いなくして安全なし」「安全に係わる一切の問題は労働組合の闘いの課題である」という原則を掲げて、反合・運転保安闘争を動労千葉の基本理念とし、終生の原点して闘いをつづけてきた。
 労働組合がこうした問題に関心すらもたなくなったら安全は一体どうなるのか。労働組合の原点は一体どこに行ってしまったのか。

 4 会社内部でも大混乱

 「場内信号機に対する進行の指示運転」は、会社内にも大混乱をもたらした。
 事前に行なわれた教育訓練のなかでも、指導員によって言うことが違い、区によって言うことが違い、当初言われていたことが後日訂正されるなど、教育を受けた日によって言うことが違い、運転士が疑問をなげかけても、現場の指導員や管理者では全く答えることができないという状態だ。それどころか基本的な部分で、本社と支社が言うことが違い、現場ではさらに食い違うという状態が今も続いている。
 例えば11月12日に行なわれた千葉支社との交渉でも、場内信号機が複数ある場合の取扱いについて、本社の見解と千葉支社の見解が全く食違って回答ができなくなり、団交は中断してしまった。(「進行の指示運転」では、第1場内信号機の機外で進行の指示をされた場合、第2、第3場内は無視して停止位置まで運転するという取扱いとなっているが、仮に第1・第3場内が停止現示だったり、異線開通していた場合はどうするのか、という質問に対して、本社は「第2場内・第3場内信号機は見なくてよい」と言い放ったのに対して、千葉支社は「停止して指令の指示を受けてくれ」と回答した)
 また武蔵野線で発生した場内信号機故障の際は、教育が終わったばかりにも係わらず、間違った「進行の指示運転」の指示が行なわれている。駅、指令も含めて全てが大混乱している。

 5 こんなこと現場では通用しない

 結局、「進行の指示運転」が、運転保安や運転法規に関するこれまでの考え方を根本的に覆すものであり、会社自身がこれまで指導してきたことと180度違う内容を指導せざるを得ないものであるために、大混乱をきたしているのだ。
 本社は「絶対信号機という概念などない」とか、「第2場内・第3場内信号機は見なくてよい」、「進行の指示は信号にあたる」などと平然と言うことができても、現場に近くなればなるほど、こんな乱暴な主張は通用しようのないことだ。
 運転取扱を変更するには、現場で起きるであろうあらゆるケースを想定して議論を煮つめたうえで実施しなければならないのは当然のことだが、そのようなことすら全く行なわれていなかったことが明らかになっている。「進行の指示運転」なる取扱い自体が矛盾だらけで、一体何が正しい取扱いなのか、誰ひとり正確なところは説明できないという現状なのである。

U 背景は省令の抜本改悪と大リストラ

 1 国土交通省令の抜本改悪

 「進行の指示運転」の具体的な問題点の検討に入る前に、ここで前提的なことを確認しておきたい。
 今回の運転取扱実施基準の変更は、国土交通省令の改正に基づくものである。
 「改正」と言えば聞こえはいいが、実際はまさに抜本的な改悪だ。この間声高に叫ばれるようになった「例外なき規制緩和」のかけ声は、社会の隅々にまで及び、国土交通省令も「規制撤廃」を理由として昨年4月に全面的な改訂が行なわれた。その際の基本的な考え方は次のようなものであった。

@ 素材・仕様・規格を詳細に指定する基準から必要最低限の性能基準へ移行する。           
A 社会的規制については、行政の政策目的に沿った必要最小限のものとする。
H 事前規制型の行政から事後チェック型の行政に転換する。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 市場原理に委ねられるべきものは市場原理に委ね、国の関与を縮小するとともに、行政手法についても事前規制を合理化し事後チェックを充実する。
 鉄道事業者の自主性、主体的判断を尊重できるものとする。(運輸技術審議会答申)

 要するに、全てを市場原理に委ね、規制は必要最小限にし、こと細かな決めごとはしない。概ねかくかくしかじかの性能をそなえていればよい、後は鉄道会社の自由な判断・裁量にまかせるということだ。しかも、事前規制はやめて事後チェック型に転換する、つまり事故が起きたら後で考えればよいというのである。
 こうした考えのもとに、運輸省令の条文はごく簡素なものにされ、以前の省令に定められていたあらかたの内容は、「解釈基準」という名称で、それ自体改悪されたうえで、強制力を一切もたない付属資料のような扱いにされてしまったのである。

図 国土交通省令の改正に基づく運転取扱実施基準の変更

 2 恐るべき発想、自作自演の改悪

 ここには恐るべき発想の逆転がある。そもそも安全は、市場原理に委ねたりしたら間違いなく崩壊するからこそ、これまで国土交通省令(以前の運輸省令)で、企業に詳細な規制をかけてきたのではなかったのか。
 市場原理とは、利潤を生み、競争に勝つためにどれだけコストを抑えるのかという原理だ。一方安全の確保」という課題は膨大な人的投資・物的投資を必要とするものであり、それ自体は利潤を生みださない。市場原理と安全は相反する水と油の関係にある。それを市場原理一辺倒の発想に転換しようというのだ。
 JRは、国土交通省令が変わったのだからJRでも運転取扱いに関する規程を変えるのは当たり前のことで、何も非難されるいわれはない、という対応をとっている。だが実はその主張自体ペテンというべきものだ。
 省令の具体的な改訂作業は、部門ごとに「調査研究会」が設置されて行なわれたが、そのメンバーは、運輸省や学識経験者とともに、鉄道事業者や鉄道総合研究所が加わっており、議論の実質的な主導権をとったのはJRであり、JRの意向がつよく反映されたかたちで運輸省令の改訂が行なわれたのである。つまり「自作自演」の改悪なのだ。

 3 駅の大合理化−外注化と一体

 国土交通省令の規制緩和−抜本的改悪は、ニューフロンティア21やニューチャレンジ21など、第二の分割・民営化攻撃と表裏一体のものだ。
 この大リストラ計画の大きな柱をなすのは、車両検修・構内運転、保線・電力・信号通信、駅、車掌など、鉄道事業の中心的な業務を全面的に外注化=アウトソーシングしてしまうという攻撃だ。その底流に流れる発想は、弱肉強食の論理−市場原理の徹底した強調であり、ただひたすらコスト縮減と利益率の最大化のみを追求するという思想である。
 とくに「進行の指示運転」の背景には駅業務の大合理化がある。この間も営業関係では、地方の小駅を中心に無人駅化や駅そのものの委託化が進められてきたが、ニューフロンティア21では、こうした攻撃がこれまでのレベルをこえて一挙にエスカレートされようとしている。
 すでに千葉支社でも「駅体制の見直し」と称して、22駅の駅長を廃止するという提案が行なわれており、来年度以降派遣社員への置き換えなど駅業務の全面的な外注化攻撃が開始されようとしている。
 言うまでもなく、代用手信号を出したり、列車を誘導したりという運転取扱いを派遣社員に行なわせることはできない。要するに「場内信号機に対する進行の指示運転」は、外注化によって駅には運転取扱いを行なう労働者が全く居なくなることを前提としたものなのである。

 4 ルール無しの社会に

 それは運転取扱いに限った話しではない。検修の新保全体系合理化のように、車両や線路、電気、信号通信設備などの検査・保守業務でも、省令改悪−規制撤廃によって、検査のあり方や周期等が、あらかじめ認定を受けた企業は、企業の裁量権で自由に決められるように改悪されている。第二の分割・民営化的な大リストラ攻撃と、運輸省令−運転取扱実施基準の改悪は、どちらが先でどちらが後とも言えない一体のものとして進もうとしている。
 「規制緩和」の大合唱が、これまでの鉄道会社のあり方を根本から覆してしまうような大リストラに拍車をかけ、また逆にニューフロンティア21の冒頭にうたわれたような「冷徹な優勝劣敗の市場原理と自己責任の原則に貫かれた真の意味での競争社会が到来している」などという、社会全体を覆う資本の側からのアジテーションがさらに規制撤廃への圧力を増幅させる。−−−要するに「これだけは守らなければ安全が崩壊する」「これだけは侵してはいけない」という基準、ルールが無くなろうとしているのだ。安全の確保、運転保安の確立という問題にとって、これは恐るべき事態である。
 ニューフロンティア21は、その結びで「この改革は当然困難や痛みを伴う」と宣言するが、われわれは今、安全の崩壊という面においても、また労働者の権利、労働条件・雇用・賃金の解体という面においても、重大な分岐点に直面している。

 5 社会を覆(おお)う安全の構造的崩壊

 今、「安全の崩壊」という問題はJRばかりでなく日本全体を覆う社会問題となっている。東電の原発事故隠し・検査偽造事件しかり、JOCの核融合事故しかり、雪印食品、日本ハムなど事件しかり、相次いだ原発事故しかり、企業倫理も安全に関する社会的規範も、すべてが崩れ去ろうとしてるかの観がある。
 規制緩和と競争原理が社会に蔓延し、安全に直接係わる現場の業務のほとんどが下請け、孫請けにアウトソーシングされ、安全に関する指導やチェック機能が全社会的規模で崩壊しようとしている。JRも同じ道を突っ走り始めたのだ。
 しかもこうした流れは、個々の企業の問題というよりも、事故と事故隠しを構造化させるものだ。規制の緩和・撤廃は、本来は企業自身の責任が重くなることを意味する。企業は規制緩和をいいことに安全を徹底して切り捨てるが、その結果事故が起きると、自らの責任回避のために事故隠しに躍起となる。そして隠しきれなければ、事故を起こした当該の労働者に全ての責任をおしきせて、企業としての責任を逃れようとする。
 こうしたベクトルがこれまで以上に強まろうとしている。「進行の指示運転」をめぐる事態も全く同じだ。「信号を無視しろ」と指示され、事故が起きれば、今度は企業が責任を逃れるために、その責任は全て運転士におし着せられるのである。

V 「進行の指示運転」を検証する

 1 信号に対する考え方の大転換、無線万能主義

 (1) 「進行の指示運転」とは

 「場内に対する進行の指示運転」とは、場内信号機故障時に、代用手信号に代えて駅長等の進行の指示により運転することができるというものである。しかも、場内信号機が複数ある場合も、「故障した信号機から停止位置まで一括して指示する」としている。また指示の方法は、@CTC指令が無線で指示する場合、A駅長が指示書にて指示する場合、B駅長が構内無線で指示する場合、C駅長が指令を介して無線通告する場合−−という4つのケースが定められている。
 ここには重大な問題点、数多くの疑問点がはらまれている。

 (2) 「信号絶対主義」

 何よりも最大の問題は、冒頭にも結論だけは触れたとおり、信号や信号機に対する考え方を根本的に変えてしまったことだ。
 言うまでもなく、信号機が故障した場合は最大の制限を与える信号が現示されたものとして取り扱わなければならない。つまり停止信号が現示されているものとして列車をその手前に停止させなければならない。しかも場内信号機は絶対信号機である。だからこそ、代用手信号が現示されるか、その信号機が復旧するまでは、絶対に列車を動かすことはできなかったのである。
 これは単に形式的な問題ではない。言うまでもなく、信号機故障時には、列車の運行は混乱している。ほとんどの事故は輸送混乱時・異常時に起きている。だからこそ、運転法規に関する教育・指導では、「最大の制限を与える信号」という取り扱いを、進行・減速・注意・警戒・停止等の一般的な信号現示に関する取り扱いよりも先に置いて、何よりも重要な問題として教えてきたのである。
 つまりこれまでは、列車運行と安全の基礎として「信号絶対主義」というべき考えかが貫かれており、そうした基礎の上にこのような取扱いが定められてきたのである。

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「場内に対する進行の指示運転」を行う区間について

 進行の指示は、故障した場内信号機から到着番線停止位置まで一括して指示する。

 

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 (3) 「進行の指示は信号にあたる」

 だが、今回の取り扱いでは、信号よりも「進行の指示」の方が上位に置かれることになったのだ。
 われわれは団体交渉のなかでもこの点を追及したが、JR東日本本社は「進行の指示は信号にあたる」と平然と主張している。また、国土交通省令の解説なかでも「進行を指示する信号の現示と進行の指示とを対等なものとしながら、……」と書かれているのだ。
 「進行の指示」には4つの方法・ケースが定められているが、現実には、すでにこの間の合理化攻撃のなかで、多くの駅には駅長や駅長を代務して運転取扱いをすることができる者なおらず、どう考えてもほとんどは指令から無線で指示されることになるのは明らかである。
 要するにこれは、無線で指示・通告された場合は信号も無視してそれに従えということだ。無線による指示・通告万能主義である。信号が信号では無くなったのだ。

 (4) 「絶対信号機という概念はない」

 しかも、JR東日本本社は団交の場で「絶対信号機という概念はない。絶対信号機というのは俗称に過ぎない」とまで言っている。
 言うまでもなく、場内・出発を「絶対信号機」としてきたのは、ひとつ間違えば、脱線や衝突など重大事故につながるからである。運転法規に関するJRの指導書でも「主信号機のうち場内信号機、出発信号機は『絶対信号機』と、また閉そく信号機は『許容信号機』と呼ばれる」と明記されてきたことである。それをこのように称してひらき直っているのだ。要するに自らがやろうとしてることに辻つまを合わせるためにこのように言うのだが、それは永年にわたる経緯を無視し、事実にも反した暴論であることは明らかだ。またそれ以前に、本社の安全対策部がこのようなことを平然と口にすること自体、現場の感覚からすれば信じられないものだ。安全に関する感覚が完全に崩壊してしまっているのだ。

 (5) 出発信号機まで対象に

 しかも国土交通省令では、出発信号機も同様の取り扱いができるとされており、JR東日本も「本来ならば出発信号機もこのような取扱いができるが、今回は場内信号機だけにした」と、ことさに今回は場内だけにしたことを強調している。黙っていれば、いずれ出発信号機にも進行の指示運転が拡大されることは間違いない。
 現在は、出発信号機の場合は、代用手信号の現示のみならず、単線区間の場合はすべて、複線区間でも状況によって閉そく方式を変更しなければならないが、もし進行の指示運転が出発信号機まで拡大された場合、こうしたことも含めてどのようになるのか、ぞっとせざるを得ない。ことは深刻なのである。そうなればひとつ間違えばまさに正面衝突だ。
 実際、後に触れるように信号に対する考え方を変えてしまった結果、「閉そく」や「防護する区間」という、安全上最も要をなす概念もあいまい化され、崩されてしまったのである。

 (6) 信号を見るな!

 「進行の指示運転」では、場内信号機の機外で指示を受けた場合、「所定の停止位置まで一括指示する」という取扱いとなり、それがさらに重大な問題を引き起こすことになる。
 千葉運転区で配布された資料でも「信号による運転方法ではないので、場内信号機が複数あるときでも、その現示に係わらず指示された番線の停止位置まで運転を行なう」と記載されているように、例えば、第1場内の機外で進行の指示を受けた場合は、第2場内、第3場内はどんな現示であろうと、信号を無視して停止位置まで進行せよという運転取扱いになる。まさに「信号を無視しろ」という指導が日常的に行なわれ、実行されることになるのだ。
 この点に関しても本社は、言うにこと欠いて「無視するというのではなく、第1場内、第3場内信号機は見なくていいということだ」と回答した。無視しろというよりもっと悪い。指令から指示を受けた場合は信号を見なくていいというのだ。鉄道の歴史が始まって以来前代未聞の回答である。
 だが、第1場内で進行の指示を受けて列車を進めたとする。そのときは第2場内は進行現示だったとしても、何らかの事態が発生して急に停止信号に変わることは充分ありうる話しである。あるいは警戒信号が現示されていたり、違線開通ということもありうる。運転士はその信号現示が目に入ったとしても、見なかったことにして突っ走れというのだ。

 (7) 「閉塞(そく)」の概念もどこへ

 しかもここには、「進行の指示は信号にあたる」「代用手信号と同等の位置づけにある」とJRが自ら主張したこととの関係でも明らかな矛盾がある。進行の指示が代用手信号にあたるのだとすれば、閉そく区間はあくまでも第2場内までのはずだ。無視していいなどという根拠は何ひとつないのだ。
 また、停止位置までを1閉そく区間とするのであれば、閉そく区間の変更の取り扱いをしなければならないし、運転士にして見れば、停止位置(停止目標)を少しでも出てしまえば、「閉そく違反」という重大事故の責任を着せられかねないことになる。
 JRは「閉そく違反とはしない。閉そく区間の変更ではない」としているが、やっていることと言っていることが自己矛盾をきたしている。
 要するにJRは、「閉そく」や「防護区間」という最も基本的な概念をつき崩してしまったのである。実際現場で配られている文書には「進行の指示運転は信号機の防護区間にとらわれず、……運転する方法です」などと書かれている。列車の安全確保に関する運転取扱いの基本中の基本が解体されてしまったのだ。

 (8) 注意力による運転

 こうした発想は「閉そく指示運転」にも表れている。閉そく指示運転の場合、取扱い自体はこれまでと変更はないが、新国土交通省令では、これまでのように「閉そくによる運転方法の特殊な取扱い」ではなく、新たに「運転士の注意力による運転方法」として位置づけられている。
 JRはこれを「(運転士の注意力による運転が)閉そくによる運転と同等の、一運転方法として確立されたものである」と解説している。これはとんでもないことだ。運転士の注意力による運転なるものが、閉そく方式と同等の運転方法だというのである。こんな発想が拡大解釈されたら恐るべきことになりかねない。
 しかもこれにより、運転方法が、@閉そくによる方法、A進行の指示による方法、B運転士の注意力による方法と、3種類も定められたことになる。

 2 事故を起こせといわんばかりの規定に

 (1) 複雑怪奇な取扱いに

 「進行の指示運転」は、さらに重大な問題点をもっている。先に触れたように、指示の方法は、@CTC指令が無線で指示する場合、A駅長等が指示書で指示する場合、B駅長等が構内無線で指示する場合、C駅長等が指令を介して無線通告する場合の4つのケースが定められているが、これに加え、D代用手信号による方法、E誘導による方法を加えれば、これだけでも、場内信号機故障時の取扱いに6つものケースが存在することになる。
 しかも実際はそればかりではないのだ。「手信号代用器」が設置されている駅については、さらに3つのケースが存在することになる。

 (2) 「特殊な取扱い」

 さらには、@千葉駅での佐倉方から千葉駅に進入する場合の上り第2場内信号機、A総武緩行線西千葉駅から千葉駅に進入する場合の第1場内信号機、B二俣支線・高谷支線の1RA・5L・6LF・10R及び、総武快速B線、市川−新小岩間にある30LWは、「進行の指示運転」を行なわない、Cいわゆる構内閉そく信号機(新浦安・市川塩浜・二俣新町)は場内に対する進行の指示と同様の取扱いをする、という「特殊な取扱い」が存在し、D車内信号区間の場合、「東京駅の第1閉そく進路内では、場内冒進が考えられるのため基本的には行なわない。ただし、これを越えて運転する必要があるときは、指令が場内進路標識が見える箇所まで運転を指示する」(千葉運転区で配布された教育資料)とされている。
 また、JR貨物の職場では、このような「特殊な取扱い」が存在すること自体、全く知らされてもいない。
 こうしたことに加え、千葉支社では本社の回答はくつがえされたが、同じ場内信号機故障でも、代用手信号による場合は進行できるのは第2場内までであるのに、「進行の指示」だった場合は停車場の所定停止位置までとなるという混乱の要素まである。

 (3) 何をもたらすのか

 まさに複雑怪奇としか言いようのないものとなったのである。率直に言って、運転士がこうしたことを全て明確に記憶しつづけることなど不可能に近いことだ。実際、教育・訓練が行なわれたばかりの現時点ですら、こうしたことを全て理解できている運転士や駅の係員はほとんど居ないといっていい。それどころか、指導員や指令員、支社の幹部ですら大差ない状態だ。
 こんなことを教育され場合、運転士の記憶に残るのは、「信号機が故障していようが停止現示だろうが、指令や駅から何か言われたら、とにかく列車を動かさなければならない」ということだけになるのはごく自然な流れに他ならない。これが1年経ち、3年経ち、5年経ったらどうなるのか。またこれまでのように「絶対信号機」という教育を受けた世代がいなくなり、初めからこのような教育だけを受けた世代になったらどうなるのか、恐ろしいことだ。

 (4) 事故を起こせ!

 しかも、場内信号機故障などの異常時に遭遇した場合、運転士や指令員は多かれ少なかれパニックになる。
大月駅の事故などはその典型だが、冷静に考えれば絶対にやってはならないことをやってしまうのが、異常時に遭遇したときの運転士の心理である。こんな複雑なことを決めるということは、「事故を起こせ」と言っているに等しいことだ。
 実際、「閉そく指示運転」のような単純な取扱いでも、他の列車の無線を聞いていた運転士が行っていいものだと思い込んで、指令の指示を受けないまま閉そく信号機を越えてしまうという事故が千葉支社管内で発生しているのだ。
 また、JR貨物では「特殊な取扱い」などは、未だ運転士には全く教育すらされておらず、運転士は誰ひとり知らないのが現状だ。JR東日本のなかでも、「特殊な取扱い」の一部(京葉線内)は、実施の数日前になって、千葉−東京の支社間で調整ができていなかったことが発覚して、掲示一枚で、「当面従来の運転取扱いを行なう」ということで出発せざるを得ない状態であった。

 (5) このような規定は根本的な間違い

 要するにこれは、「場内に対する進行の指示運転」なる取扱いが根本的に間違っているということ、無理に無理を重ねて、とにかく列車を進めろという発想だけが先行したために、現実の場面では決定的な矛盾が噴きだしていることを示している。
 運転取扱い等の規程にとって、最低必要かつ最も重要な条件は、
 @ 何よりも、人間の判断は完全ではないことや保安装置等の動作も異常をきたすことがあることを前提として、それでも安全が確保できること。
 A 単純明快であること。
 の2点である。このいずれの点からしても、「進行の指示運転」は、運転取扱いに関する定めとしての体をなしていないと言わざるをえない。

 3 再び東中野事故が起きる!

 (1) ATS開放運転!

 問題点は他にも数多くある。「進行の指示運転」では、無線による指示ひとつで、ATSの開放運転が公然と指導されるようになった。故障した信号機ごとにATS−SNのNFBを切り、あるいはATS−Pのブレーキ開放スイッチを取り扱って、保安装置が全く無い状態で運転することになるのである。
 ATSのNFBスイッチは、1997年の大月駅事故の後、その対策として、安易に切ることはできないように封印されることになった。
 だが会社は、「喉元を過ぎれば熱さを忘れる」かのように、無線による指示ひとつでその封印を破って開放扱いをしろ、ということを教育し始めたのである。
 場内信号機故障時という、最も事故の起きる可能性の高い輸送混乱時・異常時に、場内という列車衝突も含む重大事故が起きる可能性が最も高い箇所で、無線ひとつでATSを切れ、と指示するほど危険なことはない。要するに「安全よりも効率優先」「とにかく列車を走らせろ」「駅も徹底的に合理化する、駅員が居るなどと思うな」「指令から無線で指示を受けたら何でも従え」−−−これが一切なのである。

昭和63年10月24日 ATSの取扱について 文章

 (2) 電気的鎖錠?

 ポイント鎖錠の考え方が変えられたことも問題だ。これまで場内信号機が故障として代用手信号を用いる場合は、駅係員が関係転てつ器を鎖錠しなければ、列車を動かすことができなかった。
 しかし「進行の指示運転」の導入に伴って「電気的鎖錠」などという考え方が規程にもち込まれた。「電気的鎖錠」とは、連動装置の制御盤やCTC制御盤などで、軌道回路表示灯(ラインライト)の表示があれば、電気的に鎖錠されていると見なすということである。これまでのように、現場でポイントを機械的に鎖錠する必要はないということだ。
 だが、制御盤での確認だけで本当にポイントが鎖錠されている称することができるのか。制御盤の故障などでポイントの開通と「ラインライト」の表示がくい違う可能性は100%ゼロだと言えるのか。CTC指令などが制御盤を見るだけで「鎖錠」と称したときに、確認ミスの発生などはどう防ぐのか。ミスがあったときに運転士の責任はどうなるのか。疑問点が次々と湧いてこざるを得ない。

 (3) 関係するポイント45q/h

 さらに「進行の指示」を受けた場合の速度制限が「関係するポイント45q/h以下」とされたことも問題だ。
 速度規制は「閉そく指示運転」(無閉そく運転)でも15q/h以下である。危険度は、場内信号機が故障した状態のなかで列車を場内に進行させることの方が格段に高い。しかし「関係するポイント45q/hだといのだ。ポイントを過ぎれば速度は無制限である。
 会社は「代用手信号と同等の位置づけによる運転だから45q/hで構わない」としているが、これまで述べてきたように、前提条件が全く違うのである。代用手信号の場合は、駅員が直接進路を確認し、ポイントを鎖錠し、信号をだすのであり、しかも進行できるのは第2場内までである。あまりの暴論と言うしかない。
 ちなみに会社は、「閉そく指示運転も、国土交通省令上は40q/h以下で良いことになっているが、JR東日本は15q/h以下としている」と、安全サイドにたった対応をしているかのように言っている。
 だが、そんなことをしたら間違いなく東中野事故の再来となる。

 (4) 再び東中野事故が

 1988年の東中野事故は、場内及び閉そくの停止信号に対するロングの警報を受けた場合の取扱いについて、「輸送障害を増大させることになるので、最善の注意をはらって当該信号機に近づき、その信号機の閉そく区間内に停止すること」という指示文書を千葉支社がだしたことによって起きたものだ。千葉支社は、「輸送障害を増大させないために、停止信号を越えてから止めろ」というとんでもない指示をしたのである。
 その結果起きたことは、列車衝突によって、乗客と平野運転士2名の尊い生命が奪われるという痛ましい事故であった。
 この指示文書は事故の後、こっそりと撤回され、別の指示文書に差し替えられたが、「進行の指示運転」は、本質的にはこれと同じ、否もっとひどい指示だと言わざるを得ない。
 「進行の指示運転」や 「閉そく指示運転も40q/hでもいい」などという主張は、東中野事故を再び起こせと言うに等しいものである。

新聞記事 1988年の東中野事故に関してのJR支社の指導文書

W 本社回答は覆った!

 1 千葉支社の再回答

 冒頭でも触れたように、「信号を見なくてよい」とした本社回答などをめぐって職場は大混乱し、職場ごとに見解がくい違い、千葉支社も回答ができなくなって団交は中断してしまった。未だ運転士には統一した指示がなされていない。こんな状態であること自身が運転保安上極めて深刻なことだが、さすがに現場では「信号を無視しろ」「信号を見るな」とは指導できないのである。
 結局千葉支社は、12月25日に再開された団交で本社の回答をくつがえしてしまった。支社としては信号を見なくていいとか、信号を無視していいとは言えないというのである。仮に第2場内信号機が停止現示だった場合は、信号現示に従って機外で停止し、指令に連絡して指示を受けてほしいというのだ。
 これ自体はある意味で当然の判断だといえるが、「進行の指示運転」という自ら決めたことの基本的な部分を自らで否定してしまったに等しいことだ。JRは、これがどれほど重大な問題をはらんでいるのかを自認してしまったのである。
 しかも、実施から3ヵ月経ってようやく回答がでてくるという事態は、会社内部でまともな議論ひとつしていなかったということを意味している。しかし、この団交での回答は、未だ現場の運転士には何ひとつ徹底されていないし、他支社ではこのような議論すら行なわれず、別なことが指導されているのが実態だ。JRの安全に対する構えは一体どうなってしまったのか。

 2 運転士の責任とはしない

 また、この日の千葉支社との団交では次のことが確認された。

 進行の指示を受けて列車を進行させた場合、列車が動きだしてから所定の停止位置に停止するまで、例えどのようなことがあろうと運転士の責任とはしない。

 何よりも昨年来、全力をあげて「進行の指示運転」に関する問題点を本社・支社・現場で追及し、闘いを展開してきた大きな成果として、千葉支社をここまで追いつめたことを、大きな成果として確認することができる。
 しかし、問題はこれで解決したわけではない。「進行の指示運転」そのものが問題なのだ。冒頭に触れたようにこの取扱いは、安全に係わる運転取扱いの最も基本の部分=信号絶対主義を解体するものである。だからわれわれは、あくまでも「進行の指示運転の即時中止」を求めてさらに闘いを強化しなければならない。

 3 本質的な問題は解決していない

 さらには、千葉支社は「例えいかなることがあろうと運転士の責任にはしない」と回答したが、例えば運転士の刑事責任が問われるような重大事故が発生した場合、この団交での確認は本当に約束どおり貫かれるのか、現在のJRの経営姿勢を考えた場合、重大な疑念が残らざるを得ない。疑念どころか。結局は運転士の責任に帰せられることは火を見るよりも明らかだと言わざるを得ない。
 それ以前に、いくら「運転士の責任にはしない」などと言っても、東中野事故のように、乗客や運転士の生命が奪われるような悲惨な事故に行き着いてしまってからでは、何を言おうが何の意味もない。
 やはりわれわれの基本的な立場は、「闘いなくして安全なし」−−−以外にはあり得ないのだ。

X 安全を政治の道具とする東労組・革マル

 1 異様な会社賛美!

 東労組は「進行の指示運転」という、運転保安上これほど重大な問題について何ひとつ触れようとせず、団交すら行なわず、文字通り全く問題にもしようとしていない。
 その一方で東労組・松崎は事故問題、安全問題について、次のように一種異様なまでの会社への全面賛美をうたいあげている。

 責任追及から原因究明へという方向を明確に示し得たJR東日本の経営幹部は立派だ。世界に冠たる資質をもっている。責任追及が原因究明に転化したということは 、経営哲学あるいは企業文化の極めて高いレベルの所産だ。
 責任追及から原因究明へという世界に冠たるテーマ、概念、カテゴリーを明確にし得たJR東日本の労使の高いレベルをこれからも誇りにしていきたい。
 (第10回政策フォーラム)

 この言い方はあまりに異様だ。新興宗教の教団が教祖を崇めたてるかのように会社を讃え、結局は会社への奴隷的な忠誠を誓っているのである。

 2 これが労働組合といえるのか

 しかもこの発言が、97年10月に起きた大月駅事故の1ヵ月後に行なわれていることを考えればなおさら異常としか言いようがない。
 事故当該の東労組組合員は、逮捕されて連日警察の取り調べを受けており、マスコミですら「JRの指導体制には背筋が凍る思いだ」(朝日新聞)等、安全に関するJR東日本の指導体制の問題点を厳しく追及していた状況の最中で、松崎は平然とこのような発言をしていたのだ。
 しかも機関紙などでは、事実関係が明らかになる前から、「事故は本人のミスによるものだ」と、繰り返し繰り返し書き立てたのである。東中野事故で自らの組合員が死亡したときも同じであった。
 意図は明らかだ。組合員を犠牲にしようが、安全を犠牲にしようが、とにかく会社と革マルの結託体制を守るという、ただ一点だけを念頭に、このような発言を繰り返したのである。事故を起こしたくて起こす労働者はひとりもいない。組合員が不幸にして事故に遭遇し、警察に逮捕されたとき、その組合員を守ろうとしない労働組合は労働組合ではない。
 「進行の指示運転」で、貝のように黙んまりを決め込んだのも、全く同じ意図である。一体これが労働組合と言えるのか。絶対に否である。

 3 東労組・革マルのペテン

 そもそも、東労組・革マルが繰り返している「責任追及から原因究明へ」なるスローガン自体が、職場の現実を知っている者ば誰でもわかるとおり、全くのペテンに他ならない。
 東労組のこのスローガンは、労働者への責任追及をさせないということではなく、「事故や安全問題について会社の経営責任の追及は絶対にしません」という表明に他ならない。
 東労組・革マルは、JR西日本や東海で起きた事故については、社宅へのビラまきなど「追及行動」を行なうが、東日本で起きた事故については一度たりと追及したためしがない。要するに彼らは、安全や運転保安のことなど、何ひとつ真剣に考えてはいないということである。彼らにとって安全問題とは、革マルに従わない者を追及する政治的な道具に過ぎないのだ。まさに労働者とは全く無縁の腐りきった存在だ。

Y 闘いなくして安全なし! − 原点にかえり、反合・運転保安闘争の強化を

 1 進行の指示運転の即時中止を

 「規制緩和」の名のもとに、安全がまさに根こそぎ切り捨てられようとしている。そして、ニューフロンティア21や、ニューチャレンジ21など、嵐のように吹きあれる大リストラ攻撃が、相互に促進し合って運転保安の崩壊にさらに拍車をかけている。
 安全の確保にとって基本中の基本であった「信号絶対主義」をつき崩してしまった「進行の指示運転」は、規制緩和と大リストラを背景とした安全の構造的崩壊を象徴的に示す事態であり、重大な攻撃だ。
 だからわれわれはこれに絶対に反対する。われわれはあくまでも、場内信号機に対する進行の指示運転の即時中止を強く求める。犠牲になるのは運転士であり乗客である。労働組合がここで闘わなければ、取り返しのつかない事態となることは明らかだ。

 2 東中野、西日本の教訓を思い起こせ

 「信号を無視せよ」という指示は、東中野事故を引き起こし、運転士と乗客の尊い生命が奪われているのだ。あれから15年。JRは自らの無謀・違法な指示によって引き起こしたその事故の教訓も忘れ、第2・第3の東中野事故の道をつき進みはじめた。
 昨年西日本では、人身事故の救助に向かった救急隊員が列車にひき殺されるという痛ましい事故が起きている。人身事故発生直後に通過した列車が指令に危険であることを連絡したにも係わらず、指令は後続の列車を止めようとはしなかったのだ。指令が連絡したのは、ただ「注意して運転せよ」ということだけであった。それも事故当該の運転士には、運転席の騒音等で事故現場の直前まで指令の指示は届かなかったというのだ。ほとんどの事態を「注意して運転せよ」というひと言で済ましてしまうという指令指示のあり方は、東日本でも日常的に蔓延していることである。
 「注意して運転せよ」という指示ひとつで、一体運転士はどう運転すればいいというのか。このような指示は、指令が責任を逃れ、事故が起きた場合の一切の責任を運転士におし着せようとするものだ。
 「進行の指示運転」に示されたような、とにかく列車を止めてはならないという経営姿勢、そして無線による指令万能主義と言うべき発想が重大事故を引き起こしたのだ。

新聞記事 昨年西日本で、人身事故の救助に向かった救急隊員が列車にひき殺された痛ましい事故

 3 鶴見事故40周年、安全の基本に帰れ!

 今年は時あたかも、鶴見事故40周年にあたる。
 1963年11月9日、東海道線鶴見−横浜間の滝沢踏切で下り貨物列車が突然脱線、平行して走る横須賀線の線路をふさいで脱線したところに、同線上り列車が衝突し、さら防護合図で停車していた下り線列車にも突っ込む二重衝突事故が発生。死者168名、重軽傷者120名をだすという凄惨な事故であった。
 その前年の5月には、常磐線・三河島駅構内で死者160名、重軽傷者350名という重大事故が起きており、この2つの事故は、戦後最悪の列車事故となった。国鉄における運転保安確立の闘いは、「再び三河島-鶴見事故を繰り返すな」が共通の合い言葉となって、ここから開始された。
 確かに当時から保安装置など進歩したが、三河島−鶴見事故当時とくらべて、輸送量や運転速度も飛躍的に上がっている。再び三河島・鶴見事故が起きてしまったら、結果は想像できぬほど凄惨なものとなるであろう。
 それから40年、われわれが直面している現状は、これまでの闘いによって確立されてきた運転保安上、安全確保上の一切の地平が全てつき崩されようとしている事態である。
 「三河島事故裁判」の最高裁判決は次のように言っている。「人間の不注意を責めるのは比較的容易である。しかし人間の注意力やとっさの判断力を過信することは、事故対策としては究極的な解決にはあまり役立たないであろう。………むしろ保安部門が国鉄という公共企業体の根幹となり、他の部門に優越する地位が与えられるよう基本方針の転換を図ることが急務であり、それとともに現場職員が物心両面にわたって優遇されることが是非とも必要である」
 JRは今この判決をどう読むのだろうか。われわれはここで糾弾されたとおりのことをJRに投げ返さなければならない。

 4 反合・運転保安闘争の強化を!

 「規制緩和」とは、安全はもとより、この国会に提出されようとしている労基法をはじめとした労働法制の解体攻撃に示されるように、弱肉強食の論理をとき放って、労働者が永年の闘いによって築きあげてきた労働条件や権利、生きる権利を奪い尽くそうとする攻撃だ。資本主義の野蛮きわまりない本質がむき出しになろうとしている。
 とくに安全の確保という課題は、絶対に「市場原理」などに委ねてはならない課題である。「市場原理」と安全は水と油の関係にあり、絶対的に相容れないものだ。
 この時代にあってわれわれは、改めて次のスローガンを掲げ、原点である反合・運転保安闘争の 強化をかちとらなければならない。

  三河島-鶴見事故40周年−再び運転保安の解体を許すな!
  再び船橋事故-東中野事故を許すな!
  規制緩和-安全の解体を許すな!
  「進行の指示運転」を直ちに中止しろ!

 この闘いはその労働組合が本当に労働者のための本物の労働組合か、ニセ物かの試金石となる闘いでもある。われわれは、03春闘を「生活防衛、反合・運転保安、反弾圧、反戦春闘」と位置づけて、組織の総力をあげて闘いぬく決意である。ともに起ちあがろう。

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●無線機取扱に関する指示

1. 通告受領券はすべて列車の停止時に受け取ること。
2. 走行中に通告受領券の指示を受けた場合は直ちに停止すること。
3. 通告については、その場で「受領券」に記入すること。
4. 走行中に運転台を離れなければならない事態(列番設定の確認依頼等)が発生したときは直ちに停止措置をとりこと。
5. それぞれ停止措置をとったときは、指示に連絡を行こなうだけで、許可は必要ない。
6. 通告受領券は必ず当直に提出すること。

疑問や問題のある指令からの指示・通告を受けたとき、聞いたときは、全て支部に通告を!

 

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03春闘 ストライキ

3月27日(木)

3月28日(金) 3月29日(土) 3月30日(日)
初日
 2日目
03春闘勝利 スト貫徹 動労千葉総決起集会/(午後1時、千葉県労働者福祉センター)
 3日目
 春闘総行動
3・29 03春闘勝利! 労働者集会(代々木公園)へ
最終日
三里塚3・30全国総決起集会へ参加
ストライキを決行! 400名の結集で集会と支社デモを闘う 1600名の参加で集会とデモ 労農国際連帯

DC通信(NEWS &) DORO-CHIBA