JR千葉支社ー3月ダイ改の労働条件を提案

佐倉運輸区における運転士▲1、車掌▲4の要員削減を許すな!

特急列車削減による矛盾解消のために時間調整を実施

12月22日、JR千葉支社は、来年3月ダイ改の労働条件について提案を行ってきた。
3月ダイ改の概要は以下のとおり。
◆特急関係
◎わかしお10号 現行、勝浦発10時09分→10時33分に変更
◎安房鴨川発各駅停車からの接続に合わせわかしお20号、同24号について、発車時間を4分から2分の繰り下げ、
◆総武緩行線
◎平日の遅延時分解消に向け、津田沼駅への出区方法の変更及び津田沼~市川間の運転時分の見直し。
◎朝通勤時間帯の遅延吸収のため、中野駅での折り返し時間を4分10秒に拡大(現行1分50秒)。
◆総武快速線
◎平日、東京発19時15分の快速列車4分繰り上げて運転間隔を調整し、混雑緩和を計る。
◎ホームライナー(1号、3号、5号、7号、9号)について、船橋駅停車とする。
◆京葉線
◎新木場発17時台に西船橋方面の列車1本増発(3本→4本)。
◎東京総合司令室への運行管理移管に伴い、「ATOS通告伝達システム」使用による安全性向上のため、西船橋で列車番号を変更しない取り扱いとする。
◆総武本線
◎夜間帯に、千葉発21時56発の成東行き列車(6両)を増発。
◎千葉駅における佐倉、成田方面の列車間隔の均等化行う。
◆成田線・鹿島線
◎千葉発22時44分の銚子行き各駅停車(6両)を、成田発18時10分の銚子行きに差し替え。
◎千葉駅20時30分発の銚子行き各駅停車(6両)を、佐原止まりに変更。
◎千葉駅22時58分発佐原行き各駅停車(6両)を、銚子まで延長。
◆外房線
◎平日運転の快速列車を全日運転に変更(津田沼5時09分→上総一宮6時01分着 上総一ノ宮6時14分発→東京7時41分着)
◎勝浦4時25分始発の各駅停車を30分繰り下げる。
◎千葉発285M、289Mについて、混雑緩和のため8両及び10両編成とする。
◆内房線
◎木更津駅周辺の高校の始業時間に合わせ、安房鴨川発6時24分の列車を6時16分に繰り上げる。
◎千葉発1123Mについて、混雑緩和のため8両編成とする。
乗務キロ増なのに労働時間短縮=労働強化粉砕へ!
◆要員関係
◎要員関係では、佐倉運輸区について、佐原泊行路を日勤化した関係で運転士▲1名の削減、NEXの東京移管に伴い車掌▲4名の削減としている。
しかし、佐倉運輸区では運転士の乗務キロについては56・1km増、全体でも255・9km増えており、要員を削減する根拠が全くない状況だ。
しかも、乗務キロが増えているのに労働時間は6時間37分減っており、今年3月のダイ改に続き労働強化が図られている。
◎仕事と育児・介護の両立支援制度として、習志野運輸区に短時間行路(6時間)を1行路追加する(現行1行路)。
◎乗務員タブレットを使用した出先点呼の実施。
これに伴い、準備時間の変更を行うとしている。
◆ダイ改実施時期
来年3月のダイ改実施日は、3月26日(土)としている。

12・16 民主労総は「労働改悪阻止!と公安弾圧粉砕!」を掲げゼネスト、金属労組15万人が先頭で突入

民主労総ゼネスト情報(12/17)

  • 12・16ゼネスト、金属労組15万人が先頭で突入!
  • 名称未設定-1

 

12月16日、民主労総は「労働改悪阻止!と公安弾圧粉砕!」を掲げ、国家権力の総力をあげた弾圧にもかかわらず、ゼネスト闘争を貫徹した。「民主労総80万の全員がハンサンギュンだ」と叫んで決起し、民主労総の不屈の伝統を示した。とくに現代自動車、起亜自動車、韓国GMの3大自動車労組がこぞって、生産ラインを完全に止めるストに突入したのをはじめ、金属労組15万のゼネスト闘争への決起は決定的だ。

16日午後、ソウルをはじめ全国12ヵ所で開催されたゼネスト大会では、この日を突破口に年末から年明けにかけ、第二波・第三波のさらに強力なゼネストを組織していくことが決意された。政府与党がパククネの号令のもと、1月8日を会期末とする臨時国会で労働改悪5大法案の強行突破を狙っていることへの実力阻止宣言だ。

ソウルの集会ではチェジョンジン首席副委員長が委員長代行として発言。権力がハンサンギュン委員長逮捕に続いてこの日、イヨンジュ事務総長とペテソン争議室長にも逮捕状を発布する中、民主労総役員全員が登壇して拘束覚悟で闘う決意を表明した。

  • 蔚山では現代自動車支部先頭に、5000人が集会・デモ
    名称未設定-2

 


工業地帯の蔚山(ウルサン)では16日、現代自動車をはじめとする金属労組、建設プラント労組などがストに突入し、大和江の岸辺で5000人がゼネスト大会を開催したのち、市役所へのデモを行った。

民主労総には所属していない現代重工業労組も、組合員の一部をストに入れてゼネスト大会に合流し、「今日ストライキに突入した代議員が組合員を現場で徹底的に組織して、19日の第3次民衆総決起に組織的に参加することを決定した」と明らかにした。

  • 大邱でも1700人が街頭に

名称未設定-3

大邱(テグ)では民主労総大邱・慶北本部のもとに1700人がゼネスト大会に結集した。北大病院の労働者は「解雇は殺人だ」「非正規職も人間だ」の看板を掲げ、徹底抗戦の決意を示す白装束を着て登場した(写真)。集会には旭硝子労組のチャホンホ委員長も登壇し、非正規職労働者の生存権をかけて闘う決意を語った。

 

動労千葉の反合・運転保安闘争とは 中野 洋(前委員長) 尼崎事故を語る

(この文章は、05.5.21動労千葉労働学校での中野洋動労千葉前委員長の講演をもとにしたものです。JR東日本における羽越線事故の原因と責任を明らかにするうえで重要であり、ここに再録しました。)

動労千葉の反合・運転保安闘争とは
中野 洋(前委員長) 尼崎事故を語る

今日は、民営化の象徴とも言えるJR西日本尼崎事故について、労働者としてどう見るべきか、について述べます。
連日マスコミが、尼崎事故について報道しているが、何故、事故が起きたのか? その本質は何か? 運転士も含めて107名の死者。まだ病院に入院している人達が数百人いるそうですが、日本全体、世界的にもたいへんな衝撃を与えたと思います。国会でもマスコミなどで、スピードオーバーとか運転時分の設定、過密ダイヤなど、いろんなことが憶測されていて、結論的にいうとATSーP型(自動列車停止装置)を入れておけばよかったんだというところに落ち着きかねない状況がある。だけど実際上のそんな単純な問題ではないのです。

動労千葉の見解

動労千葉の見解は、何よりも1987年に強行された国鉄分割・民営化攻撃によって107人は殺された、ということ。
2つめは、民営化に伴うJR西日本によって殺された、営利優先の施策の中で殺されたということですね。
3つ目には、国土交通省、政府によって殺された。この間、規制緩和が非常に大きく実行されてきた。規制緩和というのは、例えば鉄道の場合には列車を、線路を、駅をつくるにも、検査体制にも非常にきめ細かく規制がありました。その規制をほとんど撤廃し、「各会社の責任でやりなさい」としてしまった。例えば電車の検査の場合、僕がまだ乗務している頃は2日に1回でした。国鉄最後の頃は3日に1回になった。それがJRになって、1週間に1回しか検査をしていないんですよ。
だから国土交通省の大臣がえらそうなことを言っているけれど、国土交通省、政府にによって殺されたんだということです。
もう一つは、やはりJRになって労働組合の団結が破壊され、安全問題を闘わない。これはJR西日本だけではないが、JR西日本の主要組合4つ、JR西労組、JR西労、国労。それから建交労(全動労)が、労働組合の責任を放棄した悲しむべき声明を出しています。この労働組合にも責任があるんだ。だから安全問題を闘わない労働組合によって殺されたんだという立場に立つべきだと思います。

「運転士に責任はない」 とハッキリと言い切ること

何よりも、「事故の責任は、運転士にない」、ということをはっきりさせることが重要だと思います。現象的には確かに運転士がスピードアップしたことによって起こったのかもしれない。事故というのは必ず誰かのミスで起きる。ミスといえばミスだ。問題はそういうミスがなぜ起こらざるをえないのかということです。
動労千葉の組合員の中でも「彼は死んでよかったのかも」という話が出てくるわけですよ。もし生きていた場合には、おそらく家族も含めて袋叩きにあっているでしょう。そういう状況で、「運転士に責任はないんだ」ということを言い切るということは、少なくとも階級的労働組合の基本的立場です。動労千葉は一貫してそう立場でやってきました。

動労千葉の原点=船橋事故

1972年の3月に総武線の船橋駅で追突事故が起こりました。そのときの運転士が高石君(執行委員)です。死者こそ出なかったけれど300人から400人の重軽傷者、電車は3~4両が完全に大破しました。彼は直ちに警察に逮捕されました。僕はまだそのとき書記長ではなく、千葉気動車区という現場の支部長をやっていた。
そのとき、「この事故は乗務員の責任ではない。責任を乗務員に押しつけることについて反対だ」という運動を動労千葉は果敢に巻き起こしました。動力車労働組合は、国鉄の中でも運転系統に所属する労働者でつくられた組織です。圧倒的に多いのは運転士です。その動労ですら、「あの事故は運転士の過失ではないか。労働組合運動の課題にはならない」という対応だった。それをもっとも強力に主張をしていたのが、動労東京地本の、今JR総連を握っている革マルという党派です。これと激しくやり合いました。「運転士には責任はない」と言い切ったとたんに動労千葉(当時乗務員だけで千人ぐらい)の団結はかつてなく高まりました。これが原点になって後の三里塚ジェット燃料輸送阻止闘争、あるいは分割・民営化に反対するストライキを敢行するという力の源泉、団結力が生まれたんです。

JR後、初のストライキ

分割・民営化直後の1988年に東中野駅でやはり追突事故が起こった。運転士と乗客が2人死んだ。その当時動労千葉は分割・民営化反対のたたかいで28名と12名で計40名が首を切られ満身創痍だった。しかし翌年の89年に、東中野の事故に対して、分割・民営化以降始めてのストライキを敢行した。その時も、運転士が赤信号だったが列車を走らせ衝突したが、実は当時のJR当局は「赤信号でも走れ」と指導していた。そうしないとダイヤが乱れどんどん遅れがでるからだ。今回の福知山線脱線事故のダイヤと同じように時刻設定が非常に過密に設定され、その結果遅れが全部新宿駅の先に集中し、新宿から中野の間は電車がぎゅう詰状態になってしまった。だからラッシュ時になると、運転士は新宿から先は全部赤信号を見ながら運転していた。その結果起こったんです。
だから運転士の責任じゃない。だけど会社側は赤信号を冒進したのは運転士だから運転士に責任があると言う。今回の場合もそうでしょう。制限70キロのカーブを108キロで走っていた、だから走った運転士が悪いというふうになるわけだ。だけど問題はそういうふうに強制していたJR西日本という会社の体制の問題です。そして無理な回復運転を強制させざるをえないダイヤ設定を容認した労働組合。そういう問題を全部総合的に判断しなければならないのです。

労働組合人生を決断させた3つの事故

1962年に常磐線の三河島というところで大事故が起きました。当時、貨物線と電車線が田端から途中で常磐線に合流した。その信号が赤だったが冒進し。蒸気機関車と電車と衝突し、その場に上りの電車が入って160人が死んだ。翌年、東海道線の鶴見駅というところでやはり大事故が起きた。
当時、この事故をめぐって国鉄動力車労働組合の中は大揺れに揺れた。事故後、当時の動労の本部、国労の本部も含めて、国鉄当局と事故防止対策委員会というものを設置することを決めた。つまり組合は「事故防止のためには労使が話し合う」という協定文書を国鉄と締結したが、「そんな話し合いで解決することだったら、もうとっくに解決しているはずだ」「労働組合が闘わないかぎり、安全は守れないし確保できない」ということで、この協定が全国大会で承認されず、当時の中央執行部は総辞職したのです。「労働組合が闘わない限り安全は確保できない」という思想、考え方に基づいて新しい執行部を形成された。この考え方をずっと貫いていたのが動労千葉だけなんです。
僕はその時22才だった。23才で青年部長。僕の人生の全てを、動労千葉の労働運動にぶち込むというふうに決断をさせたのがこの事故だったのかもしれない。だから僕にとっても三河島事故、鶴見事故は原点だったんです。
この当時、同じ時期に三池の三川鉱で炭塵爆発事故が発生し、坑内で458人が死に、さらに千人近くの労働者がCO2中毒になるという大惨事が起きた。
そもそも「闘いなくして安全なし」というスローガンは炭労三池のスローガンです。労働組合が安全だというふうに確認しないかぎり、労働者を坑内に入れなかった、だから事故が起きようがない。そうすれば会社側も否応なしに安全対策をとらなければならない。それが三池闘争が敗北し組合が弱くなったとたんに、2、3年後には爆発事故がおきたのです。
分割・民営化の時、当時の動労千葉のスローガンは、「分割・民営化反対」並べて、「国鉄を第2の日航にするな」だった。当時、御巣鷹山というところに日航機が墜落して、520人が死んだ。その危惧が分割・民営化18年目、最悪の事態として尼崎で起きた。

人間から機械が中心に

スピードオーバー、過密ダイヤ、列車構造の根本的な改変等々が合わさった事故であることは間違いない。つまりカーブを100キロで飛ばし、そのまま宙に浮いて突っ込んでいった。だけど僕らの時は制限速度なんてものは、だいたい2倍出しても事故は起きないといわれていた。今はそうじゃない。つまり脱線するような仕組みになっていたということだ。
「西日本にもATSーP型を入れればいいんだ」と言われている。それで済むのか。そうじゃない。やはり列車を動かしているのは運転士という労働者です。運転士は人間だからミスもある。国鉄からJRに変わって一番大きく変わったことは、機械が中心になったこと。電車という機械がどんどん近代化し、コンピューター化していく。同時に車両の軽量化がされ、加速もスピードもでる、ブレーキもよく効くような車両にしていく。そして労働者という人間をそれに従属させていく。運転士、機関士が列車を動かしている、人間が中心だという思想じゃないんだ。
だからJR西日本は、「安全を守ろう」ではなく、「稼げ」を第1スローガンにした。東日本だって同じことを言っている。「ステーションルネッサンス」、つまり駅空間を利用してもっと儲けよう。2番目にはIT産業をやる、「JR東日本」は本来鉄道会社なのに3番目が鉄道輸送なんですよ。国鉄当時は、良くも悪くも第1に安全綱領だった。現場の点呼のときの唱和も、「安全は輸送業務の最大の使命である」というのがトップなんです。「危険に直面したらみんな職責を超えて一致協力しなければならない」というのが4項目ぐらいあって、それがJRになってからボンと吹っ飛んだ。
人間を軸にして鉄道を考えない。だったら人間乗せなければいい。「ATSーp型を入れたら安全に動く」というなら、人間を乗せないで機械だけでやればいい。だけど人間を乗せないと出来ないんですよ。人間は要するに機械でやれないことをやるために乗っかっている。
「1分遅れた。この駅から向こうの駅まで本来なら5分かかるんだけど、それを4分で走らせる」、これが回復運転です。これは機械では出来ないのです。人間だから出来る。ブレーキの扱い方だってそうだ。例えば総武快速線は、ものすごいスピード、80キロから90キロでホームに入る。ちゃんと止まる。だけど機械じゃああいうふうには止まらない。だから日本の鉄道は世界でもトップです。これだけの過密なダイヤを正確に維持しているのは、運転士という人間がいるからなんだ。これを軸にして物事を考えないということが一番大きな問題だと思う。どんなに機械やコンピューターが発達したって人間がいなければダメだ。であればそれを中心に物事を考えなければいけない。しかし現実は、人間を機械の従属物下にしているから、人間を機械にあわさせようとする。それで運転士は追いつめられ、あの事故に至ったと思います。

民営化、そして競争

事故が起こった当日、ゴルフコンペや、ボーリングやっていたとかと大騒ぎになった。あれはJR西労の革マルがちくったんです。マスコミは「あれは国鉄当時にまた戻ったんだ」と。あのようなことは国鉄当時は絶対にありえない。断言します。三河島事故は、当時の東京鉄道管理局管内で起こった事故で、千葉に直接関係ない。だけどやはり衝撃だった。僕らは、組合を先頭に駆けつけたものです。
営利優先ということは、会社の中も激しい競争社会になるということです。例えばJR西日本の場合に大阪支社、神戸支社、京都支社、広島支社などがある。支社同士で競争させられる。そうすると大阪と神戸は支社同士で対立関係になります。それと、同じ支社の中でも現場同士で競争させる。何々運転区と何々運転区、何駅と何駅とか各社員に全部ノルマを設定させて競争させる。「カニ食い旅行」を企画して募集させたが、客が集まらない。結局、客の8割がJR西日本の社員だった。競争というのはそういうものだ。
だから、同僚である仲間が事故を起こしてしているのに平然とゴルフコンペや、ボーリング大会、送別会をやるということがおきてしまう。資本主義というのは、行きつくところまで行くと、人間性なんてひとかけらもなくなるんだ。国鉄当時は絶対にそんなことなかった。良くも悪くも国鉄一家だから。

「儲ける」という発想

やはり大きな問題は、民営化だ。25日の尼崎事故直後の27日、小泉は郵政民営化法案を国会に提出した。これからは都の水道の民営化、東京交通局、つまり都バスも都営地下鉄も民営化になっちゃう。そもそも「官から民へ」といっているが、本来儲からないけど国民生活にとって不可欠なものということで官がやっていた。郵便局もそうだ。鉄道、電気、水道、保育園、幼稚園、福祉事業なども本来儲からないんです。儲からないやつをを官から民へにして儲ける、そのために何をするかという話になる。
JR西日本は過去最高の400何10億円の利益をあげた。それと同時に事故が起こった。JR東日本だって1000億円以上の経常利益をあげている。国鉄当時は赤字だった。赤字には赤字なりの理由があるんだ。
民営化になったとたんに、「儲け」という発想が出てくる。何をするかといったら、経費を切りつめる以外にない。効率化アップする以外にない。競争社会に突入するわけだ。
国鉄当時は、例えば千葉の場合だったら京成電鉄という私鉄と競争する気はさらさら無かった。大阪は国鉄よりはるかに私鉄の方が強かった。阪急、近鉄、阪神、南海。みんなプロ野球の球団をもっていた。国鉄のシェアは10%を割っていた。関東は国鉄の方が圧倒的に優位だった。だから関東では東武、営団地下鉄、東急、西武などいろいろあるが、そこと競争しようなんて思っていない。それでいいんだ。私鉄は、儲かる線しかやらない。だけど国鉄は儲からないところでもやるから国鉄なんです。人が乗らないところでも人が住んでいる以上、列車を走らさなければいけない。だから国鉄からJRになってからローカル線をバタバタ廃線した。あるは第3セクター化したが、うまくいかないから、みんな廃止になる。
資本主義というのは、利益をあげるために投資する、逆に言うと利益が上がらないところにはしない。安全対策というのは直接的には利益を生まない。電車を軽量化してスピードを上げる。これは利益をあげる資本投下なんです。例えば踏切を高架にすると言われているが、これからは利益があがらないが膨大な金が必要だ。だから進まない。メンテナンス部門は徹底的に手抜きされる。国鉄の時もそうだった。電車の検修、線路の補修、信号、架線、電力という保守は徹底的に合理化、リストラされてきた。それでも当時の国鉄の時にはそれなりに抵抗してきた。JRになってから一気に進んだ。

民営化攻撃と労組解体

国鉄当時には事故がなかったわけではないが、国労も動労も動労千葉も、程度の差はあれ、安全を確保するという安全闘争があった。なぜならば現場で働いている労働者が、何が危険であるかということについて一番よく知っている。ダイヤの設定の仕方とか、信号の検測位置だとかいろんなことについて現場で働いている労働者たちが一番知っているんです。それを一応要求に出するということは国鉄当時はやっていた。それを、正面テーマにあげて、ストライキも辞さず闘うということまでやるのは動労千葉だけだったけど、一応どこの組合でもそういうことを言っていたんです。
民営化の最大の攻撃は労働組合の解体だと言ったのは、そういう要素もある。民営化以降、JR総連やJR連合だとかという新しい労働組合が出来た。労働組合が解体されて、労働組合本来の主張も闘いもしないということが、主体的には一番大きな問題だ。もし福知山線に動労千葉がいたら、相当はげしく抵抗しただろう。あのダイヤ設定それ自身が闘争課題です。動労千葉だったら毎日遅らせる。遅れても結構という闘いを組みます。日勤教育は東日本だってある。ただうちの組合員は言うことを聞かない。言うことを聞くか聞かないかという問題だけの話であって、どこだって同じなんですよ。
動労千葉としては、尼崎事故の1ヶ月を期して4/24総決起集会をやり、翌日から本格的な運転保安闘争に決起する.。

尼崎事故と動労千葉の闘い 田中康宏 動労千葉委員長

この文章は、05年動労千葉を支援する会総会(05.7.23)での動労千葉からの提起をもとにしたものです。JR東日本における羽越線事故の原因と責任を明らかにするうえで重要であり、ここに再録しました。

尼崎事故と動労千葉の闘い
田中康宏 動労千葉委員長

はじめに

どうご苦労様です。冒頭、本当に長年にわたって動労千葉のたたかいを支えていただいて心から感謝いたします。あらためて支援する会総会などで感じることは、これは動労千葉だけでがんばってきた闘いではなかったんだなということです。みんなが動労千葉を中心にして支えていただいたことが今日の動労千葉があるということで、本当に感謝したいと思っています。
今年は国鉄分割・民営化に反対して、第1波のストライキをやってからちょうど20年になるわけで、本当に一昔も二昔も前ということなんですが、私達は昨日のことのような思いで闘っています。ということは、あの時から何も思いを変えていないということで、これも皆さんのご支援があったおかげというふうに感じています。
昨日も支援する会で市川の駅で、17回目のビラまきになるかと思うんですが、安全運転行動が始まってからということですね。やっていただきまして、ものすごい反響だったと聞いています。ビラまきといっても、ビラをまけないほど通りかかった人達が話しかけてくるというんですね。まいたビラはレールがガタガタになっているビラなんですが、別にカンパを集めているわけではないんですがカンパをおいていったり、「署名をやっていないんですか」ということを言ってきたりということです。
今朝、市川のビラを受け取った若い女性の方から電話がありまして、このビラをもってすぐに駅長室に怒鳴り込んだらしいんですね。だけどろくな対応をしてくれなかったらしくて、「今度は警察に行こうと思っているんですが」という話で電話があって、「警察に行ってもたぶん警察はJRに行ってくれということで終わっちゃうから」と言うことで、国土交通省と県の交通計画課の電話を教えて、ぜひここにお願いしますということをいったら、「必ず行きますから」という話でした。
つまり安全運転行動はみなさんのビラ撒きなどの力もにあって、これまでにない反響を呼んでいます。
たぶん皆さんもそうだと思うんですが、世間から何と言われようとゴリゴリがんばるという感じでがんばってきた人が多いと思うんですが、動労千葉が闘いをやってこれほど周り中から支援をされた闘いというのは結成以来、初めてのことです。これは時代がそういう時代にきていて、みんな尼崎事故とか、このレールの現状のなかから社会のあり方がおかしくなっているということを敏感に感じとっているんですよね。「俺たちも殺されるかもしれない」、そういう憤りというか怒りの声が渦巻き始めているということの現れだと思っていますので、確信を持って進みたいと考えます。

安全運転行動と不当処分の発令

7月19日、処分発令
さて、私の方からは国鉄闘争の現状、あるいは尼崎事故闘争等について、そこに絞ってお話をさせていただきたいと思います。実は皆さんもご存じのとおりで、7月19日から21日にかけて、安全運転行動に対する不当処分が出されました。不当処分は本部執行部、役員ですね。8名に対する厳重注意という不当処分でした。厳重注意というのは就業規則上からいうと、一番低いランクの処分で、しかもこの行動を行った現場の運転士、組合員を処分することができずに、本部執行部だけの指導責任をとうという処分です。
もちろん、処分は処分で、どんな軽い処分でも満腔の怒りを込めて弾劾しなければいけないと思うんですが、結局JRはこの処分で墓穴を掘ったと考えています。社会全体に恥をさらした、こういうことじゃないかというふうに私は考えています。もう困りに困って困り果てて、しかし処分しないわけにはいかない。それが今回の処分だったんだろうというふうに思うんですね。

当たり前の闘い
しかし僕らはこれがいったい何を示すのかということについては、本当に真剣に考えなければいけないというように思っています。今回の処分の一番の特徴は何かというと、尼崎事故という現実が目の前にあって、つまり107名の命が奪われたという、JRにしてみれば107人を殺したという、これだけの重さがあって、それに対して動労千葉がやったことは何かというと、当たり前の闘いでしかないわけですね。だから動労千葉も今回、安全運転行動と名前をつけましたが、安全運転闘争というにはちょっとはばかられたわけですね。これを闘争というにはちょっと恥ずかしいかなという感じで、安全運転行動というふうに言ったんですが、やっていることはご存じのとおり回復運転をしないとか、無線で運転の通告があった時には列車を止めてメモをとって受けるとか、最高速度を厳守しようとか、特にレールがひどいところは組合で運転速度を決めて、減速闘争、安全闘争をやりなさいということを2ヶ所やっただけの話で、別に遅れがそんなに出ているわけではありません。1分程度です。

安全ということそのものを処分
つまり安全ということそのものを処分した、処罰したというのが今回の当局の処分の特徴だと思っています。8名が処分されたわけではないんですね。労働組合が安全という問題で発言するということ、ものを言うということ、必要最小限の努力をするということ、これ自身を認めないということですから、どんなに危険だろうと、人を殺そうが何をしようが、会社の命令通り、「お前らは走っていればいいんだ。労働者なんて、そんな存在にすぎないんだ」という意味を込めた処分だというふうに考えています。ですから動労千葉としてはこの不当処分、軽い処分だというふうに思わずに、ここにJR東日本の、つまり安全よりも組合潰し、安全よりも営利優先という腐りきった経営姿勢が一番鮮明に現れている。分割・民営化の結果生まれたことがこの処分に全部現れているんだよということを、全体に訴えていきたいというふうに考えています。

動労千葉の正当性が満天下に
その一方で、今度の処分は動労千葉が闘って、いまも継続をしていますが、安全運転行動、動労千葉の主張し続けてきたことの正当性を、本当に満天下に明らかにしたんじゃないかと考えています。
実際考えてみると、JRが安全運転行動を開始後、やったことは何かというと、これもご存じのとおりでしょうけれども、動労千葉の運転士が出勤すると点呼の時に「あなたのやろうとしている行為は違法行為です。厳重に処罰します」という点呼を受けて乗務するということが今日も続いています。もう2ヶ月間、延々とそれをやって、動労千葉の組合員のところには2名の管理者がくっついてまわって、運転台にのってきて、べったり後にくっついて、速度メーターをのぞき込んでメモをとって、監視、ストーカーするという中で乗務するということをやっているわけで、つまりもうすでに2ヶ月ですから、少なくても数千人の管理者をそのためだけに朝の4時ぐらいから夜中の12時過ぎまで動員し続けているということなんですね。その結果の処分が本部執行部8名に対する厳重注意ですから、これは釣り合いようがないですよね。どう考えても釣り合いようがないわけで、ですから動労千葉のたたかいということが本当に正当で、本来だったら処分のしようのないものだということをJR自身が社会に本当に明らかにしてくれたんじゃないかと思っています。今日、電話をいただいた若い女性の方も「処分された運転士さんがかわいそうです」と言うんですけれども、「僕らは大丈夫ですから」と答えておきました。

明るい!?処分弾劾集会
動労千葉は一昨日、この処分に対する抗議集会をこの会場を満杯にしてやりまして、これからも処分が積み重なるかも分かりません。積み重なろうが安全運転行動は断固継続するということを全体で確認しました。安全に関する問題だけは、ここでもし動労千葉がこれを譲ったとしたら、動労千葉は動労千葉の看板を下ろすしかない。これは乗客と乗員を守ろうという行動で、しかも本当にささやかな行動にしかすぎないわけで、この闘いの旗を降ろすわけにはいかないということも確認して、明るい処分弾劾集会をやって新しい闘いに入りたいと思っています。

尼崎事故は我々に何を突きつけたのか

労働組合の問題
さて、もう一度あらためてごく簡単に尼崎事故という問題について考えてみたいと思っています。今日、別に詳しい話をするつもりはまったくありません。尼崎事故という大変な現実が私達につきつけたことはなんだったのかということについてです。もちろん原因をいえば数限りなくあります。でも、結局つきつけたのは労働組合の問題だというふうに僕らは考えています。
つまり労働者の団結がつぶされて、今の民営化路線、小泉とか奥田とかがやっている市場原理で突っ走る、社会全体を競争原理で、弱い者は全部切り捨てていく。こういうことが労働組合の団結を破壊することで暴走しているわけですよね。つまり労働組合の団結が破壊されたら何が起きるのかということ、自分たちがどういう目に遭うのかということ、これをつきつけたのが尼崎事故だったと考えています。
ですからこれはJR西日本だけの問題ではないことはもちろんですし、東日本、貨物とか、JRだけの問題ではないことははっきりしているんですね。
社会全体があれと同じことが起きてまったくおかしくない状況に全部がたたき込まれているということだと考えています。もちろん起こり方は違うでしょう。だけどよく考えたら、たとえば私はよく言いますけれど、今生活保護世帯が100万世帯、143万人。100人に1人以上がそうなっている。この現実自体が尼崎事故とどこが違うんだということです。この10年間で無権利の非正規雇用に突き落とされた労働者たちが数百万人。10年前から比べると倍になっている。この現実とどこが違うのかということです。
世の中で発生している膨大な労災事故はもちろんですけれど、結局労働組合の団結が破壊された結果、世の中全体がこうなっているじゃないか。そのある種の象徴が尼崎事故で、それに過ぎないんじゃないかということです。だからこれに対する闘いというのは、単に尼崎事故という個別に起きた問題に対する闘いだけじゃなくて、本当に普遍的な意味を持つ、そういうふうに尼崎事故をとらえています。

動労千葉も問われた
それと尼崎事故の問題で問われたのは、動労千葉自身でもあったわけですね。言うまでもなく尼崎事故は国鉄分割・民営化という犯罪的な政策の結果、ある意味で言うと必然的に行きついた事故です。だから僕らはまさかこういう形で、という思いもありましたけれど、驚かなかったんですよね。こういうことになるんだというのは目に見えていたのが現状です。
だけどあれは国鉄分割・民営化の結果だというふうに批判することは、マスコミだって多少はやっていますし、言うのは簡単です。「営利優先がこういう事故を起こした」「安全軽視の経営姿勢がこういうことを起こした」。だけど現実に考えた時に、100万べんそう言ったところで物事は一歩でも前進するのかということが動労千葉自身に問われたというふうに考えています。
つまり単なる口舌の徒に終わるのかどうかということですね。ですから動労千葉としては安全運転行動という形で、具体的な闘いの行動を起こさなければいけない。それこそさっき言ったとおりです。「労働組合の看板を下ろすしかなくなるんだよ。口先で批判することは簡単じゃないか」、そういう思いで安全運転行動を開始しました。

「闘いなくして安全なし」
その中であらためて動労千葉が掲げてきた「闘いなくして安全なし」という、これはスローガンはその時代時代、状況状況で変わりますけれど、このスローガンだけは過去から現在まで、これから先も絶対に変えないスローガンですよね。日教組で言えば「教え子を再び戦場に送るな」というスローガンと同じぐらいの意味を持っているということですけれども、この持つ意味を動労千葉があらためて考えさせられました。
それはどういうことかというと、このスローガンはそもそもはじめから動労千葉のスローガンだったわけではないんですよね。これも皆さんご存じだとは思います。炭労という炭鉱の労働者達が掲げてきたスローガンだったわけですね。ご案内のとおり、落盤だとか炭塵爆発だとか、仲間が無数に殺され続けて、そういうひどい条件の中で働かざるをえなかった炭労の仲間たちがこのスローガンを掲げて闘いを起こして、このスローガンを中心に団結をして本当に強い労働組合に生まれ変わり、そして最終的には労働協約をかちとり、労働組合が危険だと判断した時には労働者は炭鉱に降りなくていいよ、ここまで来て労働の安全が守られた。その炭労の仲間たちも、あの60年の三池闘争でガタガタに団結を崩された結果、3年後には大炭塵爆発を起こして、これは三池の閉山を免れた三川坑という鉱山ですね。500名近い労働者の命が奪われている。

安全運転行動で再確認したこと

労働組合の死と再生の問題
だからその意味で言えば、事故、安全という問題と労働組合運動というのは、これは労働組合の死か再生かという問題です。労働組合が潰されたら3年間で500名が殺されるという、こういう現実の中でそういう重みをもったスローガンが「闘いなくして安全なし」なんだということを、動労千葉自身、あらためて尼崎事故という現実を突きつけられて、自分たちが安全運転行動に立つなかで確認したということなんですね。
これは今の労働者がおかれている現実を考えれば、先ほど言ったとおりです。戦争と民営化、労組破壊攻撃が社会全体に蔓延しているということを考えた時に、かつての三池闘争の時以上の痛切な問題を突きつけているんじゃないかという思いで今闘っているわけです。

11月集会の成功の展望を切り開く
ですからこれは絶対、無数の労働者に通用するということを、この闘いのなかで確信したわけですね。「こういう闘いをやらなければいけないんだ」「労働組合はこうなんだ」ということは、今まで動労千葉のことを色メガネで見ていたような労働組合だって、この闘争だけは「がんばってますね」というのがこの間、物販のオルグなんかでまわった感覚です。だったらこのもとに結集して、この力を11月集会に結集しようという展望も切りひらいたような思いでいるわけです。

尼崎事故以降のJR職場の現実  

携帯メールで即解雇
さて、こういう思いで安全運転行動を闘っているわけですけど、それから以降のJRの職場の現状ということについてなんですが、これも「やっぱりこういうことなのか」ということを動労千葉としてはあらためて再確認する思いで、今のJRの職場の現状ということを見ています。つまり尼崎事故が起きてから、JRの職場の現状というのは、世間ではどう見ているかというのはあるんですが、たぶん「多少なりともJRとはいっても、安全のことを少しは考えているんだろうな」とか、日勤教育だとかああいうことがいっぱい問題になったですよね。「あんな非人間的に労働者を痛めつけて、回復運転に駆り立てるようなことは多少緩んでいるんだろうな」というふうに世間の人は見ていると思うんですね。 だけど実際職場で起きていることは逆です。いったいこれはなんなのかということなんですね。千葉運転区という職場で、25歳の東労組の若い運転士が、運転台で携帯電話でメールをやったというだけで即刻解雇になりました。尼崎事故以前だったらこんなこと、ありえない問題です。

非和解的関係
つまり尼崎事故ということは、分割・民営化政策の大破産なんですよね。JR体制は分割・民営化政策が破産したということを絶対に認めることはできないですよね。できない結果どうなるかというと、徹底的に労働者を締め付けるという道しか残らない。つまり尼崎事故以降、職場の状況というのは完全に非和解的関係になっているということです。
結局今、労働組合運動を本当に再生させようという闘いをやっている僕らの闘い自身が、こういう状況の中なんだと。日本の国家ということを考えたら、戦争をする以外に道はないという、つまり国家としての破産ということを認められない以上、徹底的に労働組合運動を破壊して、戦争に突き進む。だけど矛盾を抱えているのは全部向こうの側であって、いつ足元から崩れてもおかしくない。こういう関係のなかに僕らがいて、この壁を突き崩すかどうかなんですよね。そのことも全然運転行動に立ってみて、あらためて僕らは学ばされたことです。だから動労千葉の運転士に2名ずつ管理者がくっていてまわっているということをやらざるをえない。こういうことも含めて、ここには大きな展望が開かれているということですね。二進も三進もいかなくなっているということですね。

闘いが切り開いた成果

20㎞のレール交換を約束させる
さて、闘いは大きな成果を切りひらいています。レール交換みたいなことなんですが、僕らはどちらかというとレールを交換したところで、根本のところは解決がついていないと。つまり業務の全面的外注化が解決つかなければ成果としても言えないなという感じで考えていたんですが、7月15日の1047名の集会があった時に、演壇の裏で皆さんご存じだったと思うんですが、立山学さんという、JRの安全問題ずーっと追及していて、本なんかをいっぱい出している人に、「委員長、これはすごいことなんですよ」と言われて、あらためて「ああ、そうか」というふうに受けとめました。「これはイギリスの国労だってできなかったことなんですよ」というんですよね。つまりイギリスの国労の委員長があいさつに来ていましたけども、まったく同じ状況があって民営化された結果、レールが折れて何度となく脱線転覆事故が起きて、何十人という死者を出す大事故を繰り返したんですね。その結果、イギリスの民営化された鉄道会社は、その損害賠償に耐えきれなくなって、倒産しちゃうんです。今、再国有化という問題になっていて、その過程でイギリスの国労というのは一回民営化で徹底的に団結を破壊されたんですが、息を吹き返して、今200万をロンドンで集めた反戦集会などを組織したのはイギリスの国労中心だったんですね。つまりイギリスの戦闘的労働運動の牽引車になっているんですが、実際にはイギリスの国労だって、自分たちの闘いでレールの交換をさせるということはできなかったんですよというんですよね。ああ、そうかと。やはり2年間、去年以来ですけれども、2回のストライキと2回の安全運転闘争で総計20キロからのレール交換で、今管内あっちこっちで大変な勢いでレール交換工事が始まっていますけれども、これは「闘いなくして安全なし」だということを再度確認しました。

「給料よりも仲間が大事ですから」
もう一つはこの闘いの渦中で19歳の若い仲間が動労千葉に結集をしたということです。やはり労働者の気持ちが動いているということなんですね。19歳ですから級が一番下ですし、動労千葉に入ったらこれで給料が上がらないということを承知で、腹を決めて来たということはすごいことなんですね。「給料よりも仲間が大事ですから」と言ってくれた、その思いに僕ら自身が大きな責任を負ったわけですから、絶対にこんなJR体制を打破して、内山君というんですが、「ウッチーの給料を上げてやるからな」と約束もしましたから、これに続く流れを絶対つくりたいと考えています。
これも結局は、損得のことを考えたら東労組にいた方がいいと決まっているんですよね。昇進試験を受ければ昇進する。給料も上がっていく。会社からもいじめられない。だけど労働者は損得で動くんじゃないんですよね。動労千葉にいたら処分もされる、配転もされる。それを百も承知で、そのことを目の当たりにして職場の中の現実を見ながら来てくれた。
これだって今、別にJRという職場のなかだけのことでは絶対ないと思っています。労働者は我慢できなくなっているんですよね。なんでこんな現実なんだ。やはり一番大事なことは、労働者がもっている思い、つまり労働者である以上、仲間け落としたって一銭でも給料がほしいなという思いだってもっているはずなんですよね。だけど正義の闘いには命をかけるというのも労働者じゃないですか。人間は両方持っているのを、僕らがどっちを引っ張り出せるのか、こういうことだということを、今回の闘争と内山君の加入という問題のなかから感じました。

すごい反響
それともう一つは、ものすごい反響の闘争となったということですね。これはごく普通の市民ということだけじゃなくて、労働組合のレベルなんかでもそうです。これを否定できる労働組合はどこもなくなったということなんですね。だから動労千葉は過激派だとかなんとかと言われてきた動労千葉のイメージが、たぶんこれで一新したんじゃないかと思いますので、全力で11月集会に結集していきたいと思っています。

国鉄-JR労働運動の現状

全ての勢力が瓦解状況
1047名闘争も含めた国鉄、JRにおける労働運動の現状ということです。一言だけです。実際上は大変な危機にあります。国労もそうですし、もちろんJR総連、鉄産労、あらゆる労働組合がなすすべなく展望を失って、方針を失って、転向しようとしています。歴史的に見てくると、労働組合に解体させられた時に起きるようなことが全部で起きています。それが現実なんですね。
たとえば国労にしても、例の4党合意なんかでチャレンジグループだとか共産党の幹部達が、ゴリゴリ反動的に突っ走っていた頃はまだしもだったんですよね。いいとは言いませんよ。だけどそれなりに反動的方針をもってゴリゴリ突っ張った。そういうものすら一切なくなっちゃっている。
東労組もそうです。革マル的にごりごりと逆らう人間を組織のなかでも徹底的に反組織分子なんてやっていたことはまだしも、なんの方針もなくなっている。労働組合の崩壊過程で起きることが、全部で全て起きているという現状です。
これは一時的、あるいは個別的なものではないんですよね。大きく言うと、帝国主義の危機という情勢、歴史的なあらゆる勢力がふるいにかけられて、分岐するという状況の中で、国労も東労組革マルも鉄産労も、全部がこれまでやってきたことが通用しなくなって、自分で瓦解始めているということです。これが簡単に言うと国鉄労働運動の現状じゃないかと思っています。

崩壊から再生へ
しかし国鉄労働運動の再生ということを考えたときに、一回全部崩壊しなかったら、再生しないんですよね。その意味で言えばもう一回、国鉄、JRの労働運動が新しい一歩を踏み出すのかどうかという、結局解体されて分割・民営化は成功だったといって終わるのか、本当に新しい芽がでるのか、それが潰されるのかというところにいよいよ来たんじゃないかというように私としては感じています。だけどここにはすごく大きな可能性がある、そのことを今回の安全運転行動のなかなどからつかみ取ったわけで、この時期にこの闘争をやったということは、今から考えると本当にまちがっていなかったと。

国鉄分割民営化の総決算攻撃
こういう状況の背景にあるのはなんなのかということです。それは国鉄分割・民営化の総決算という状況なんですね。再来年4月、あと1年半で分割・民営化20年です。結局、政府の側も決着をつけなければいけない。国鉄分割・民営化闘争というのは今でも延々と続いている。動労千葉も小さいながら存在している。つまり決着がつかなかったんですよね。20年ということをたぶん見すえているんでしょうが、完全に決着をつけるということを今始めています。だから国労東エリア本部とJR東日本が和解するみたいなことが起きているんですね。和解して国労を完全に連合化する、こういうことまで起きてます。
これは、分割・民営化の時に、潰しきれなかった労働組合をもう一回潰すということです。ですから国労も東労組だってそうです。1047名闘争もそうだし、もちろん動労千葉もそうです。もう一回全部潰すということです。これは当たり前なわけで、たとえば今郵政民営化の問題で、自民党は大変な危機に陥っているわけですよね。だけどあれを突破口にして、国だろうが地方自治体だろうが、あらゆる業務を社会をローラーかけるように全部民営化する。弱肉強食の世の中にたたき込んで、労働組合を破壊する。行政権力機構のなかに労働組合の存在なんか認めないということをやっている時に、国鉄分割・民営化反対闘争が1047名闘争という形で継続しているなんてことを認めるはずがないんですよね。それが分割・民営化の総決算攻撃で、国労も鉄産労も東労組もこういう攻撃のなかで方針を失い、展望を失って組織が崩れようとしているわけです。

しかし再生は不可能ではない
別に威張って言うつもりはないんですが、動労千葉はこんな小さな力で、皆さんのこれだけの支援を受けながらここにいるということは、考えてみたら本当に大きなことなんじゃないかと。ここが結集軸になってもう一回国鉄労働運動を再生するということは、不可能じゃないんじゃないかということを実感として感じるんですね。そういう危機とチャンスがせめぎ合っているなかで、動労千葉はこれまでの闘いの旗を絶対にゆずらずに頑張り続けたいということをあらためて決意したいと考えています。

正念場の1047名闘争

「7/15集会」の画期的成功
さて、その焦点の1047名闘争なんですが、7月15日に国労の闘争団、動労千葉の争議団、全動労争議団、この三争議団の団結ということを中心にして、日比谷野外音楽堂で5800名が集まって、大きな闘いの成功を勝ちとりました。
実はこれまでの集会(昨年の日比谷公会堂であった4/17集会や日比谷野音の12/1集会にしても、)は、表面上はなんとかギリギリまで「1047名の団結」という形だけは維持していたがが、実際水面下であったのはなんだったかというと、口先では1047名の団結と言いながら、ずーっと一貫して動労千葉排除ということだったんですよね。これは闘争団のなかにもあった。あるいは共産党系、全労連などは露骨にやっていた。
これに対して、動労千葉としては柔軟かつ非妥協的に、「そんなことをして1047名闘争に勝てるんですか。1047名闘争は今だって国労はガタガタ。とにかく被解雇者が団結すること以外に勝利の展望はないじゃないですか」という論争を、この数年間ずーっと水面下では彼らと続けてきてきた。去年の12月の集会なんか、集会が開会されて、まだ楽屋裏でそういうことをやっていたんです。
だけど結局、その時突っ張ったのは全動労で、「千葉動労とは一緒にできない」なんてことを言うもので、周り中から「お前ら、いい加減にしろ」と全部動労千葉に着いてくれるような関係になった。
だけど今回の集会はそうじゃなかったです。そういう現状のなかで、「こんなことではこの闘争は勝てない」と、集会の中心になって呼びかけた人達、芹沢先生、山口先生、下山先生らの先生達が、「動労千葉の言うことはまったく正しい」と言ってくれた。つまりこの間の安全闘争のなかで、動労千葉の闘いを理解してくれたんです。
それで結局は「自分たちが呼びかけ人だから、責任をもってこの集会を仕切って、そんなことはさせません」ということで、動労千葉の本部までわざわざご老体に鞭を打ってきてくれた。動労千葉も、「ありがとうございます。私達も全力で協力します」と約束した。
そういう意味では激しい分岐のなかから新しいものがこういうふうに生まれてくるということを、これが7・15集会の一番の成果だったんじゃないかと考えているんですね。
動労千葉排除の策動に対して、僕らは途中で腹くくったんです。「こんなことだったら僕らは1047名から分かれる。9名を引いた1038名でやってくれ」と言って、そこまで腹をくくった。だけどやはり動労千葉の主張は通用したということです。

教基法改悪阻止闘争、20労組の闘い、1047名闘争
これと同じことが、たとえばどこで起きているかというと、教育基本法反対の画期的なナショナルセンターの枠を超えた統一戦線のなかで起きています。たとえば松山大の大内先生がこの前の集会(5/7代々木集会)での最後に「1047名の団結と、教育基本法反対の団結と、20労組の団結と、これを3つくっつけたら勝負になる」と発言したら、これに対して全労連、共産党が激しく反応して、「お前はなんなんだ」というふうになっているそうですし、20労組の問題も詳しくは言いませんけど、ここでも同じことが起きているんですね。つまり全部の運動に、動労千葉も参加し関係している、皆さんも関係し参加ている。
われわれ言っていることは正論じゃないですか。「ナショナルセンターの枠を超えて、本当に団結しよう」と言っているだけの話で、これが社会を動かし始めている。こういうことをこの間の闘いのなかで感じています。

激しい分岐と新しい流れ
つまり激しい分岐のなかから新しいものが生まれ出ようとしている情勢なんですよね。今度の尼崎事故反対闘争もそうです。こういうことが尼崎事故や郵政民営化法案をめぐっても、小泉骨太方針というのは公務員制度改革で、公務員労働運動解体ですけれども、敵の側はぐらぐらで、郵政民営化法案が通らなければ自民党が崩壊し、自民党が崩壊するということは民主党も割れますから、大政界再編が起きるということまで来ていて、われわれはそこまで闘いを前進させてきたということを、これは動労千葉だけじゃなくて、今日はみんなで確認したいということです。「いい線行っているじゃん」ということですよね。こんな小さな力だって世の中動かせるぜ、これだけ支持を受けている。言ってきたことが通用し始める時代に来たということじゃないですか。

11月集会1万人結集を!

とするならば、最後、11月集会に1万人を集めたいと。1047名、20労組、教育基本法、そして11月集会勢力と、日比谷野音に1万人ぐらいづつ集められる勢力が4つ集まったらこれは相乗効果で、もう10万ぐらい都心でも集まって小泉政権を倒そうぜ、というところまで今日、私達の闘いはきているんじゃないかと

羽越線列車転覆事故は人災だ  安全より運行優先、規制緩和、民営化、ずさんな安全管理こそ元凶

闘いなくして安全なし 反合。運転保安闘争をさらに強化しよう!

羽越線列車転覆事故は安全より運行優先の経営姿勢、ずさんな安全管理によってもたらされた

あの大惨事から1年も経ないというのに、起きてはならない重大事故が再び起きてしまった。乗客が多ければ、どれほどの大惨事となっていたことか。これは第二の尼崎事故だ。
マスコミでは、突然の突風による不可抗力的な事故であったかのような報道がされているが、断じてそうではない。5名の乗客の尊い生命を奪った羽越線列車転覆事故は、何よりも安全より運行優先の経営姿勢、ずさんな安全管理によってもたらされたものだ。
国土交通省による規制緩和、国鉄分割・民営化という犯罪的政策の矛盾が安全の崩壊というかたちをとって噴出している。闘いなくして安全なし。労働組合にも、この現実と対決し闘う責任が問われている。

▼暴風雪警報発令下

事故当日は、山形県内に「暴風雪警報」が出されている状況であった。
暴風雪警報の発令とは、単に強風が吹くおそれがあるというような簡単な事態ではない。次のように、鉄道気象通報等手続(規程)に定められた強風に関する区分でも、重大な災害が予想される、最大の警戒を要する事態である。まさに嵐のような状況だったということだ。つまり、本来なら、警報が出された時点で、あらかじめ列車の運転速度を制限する等の運転規制を実施しておくべき状況であった。

鉄道気象通報手続
風に関するもの
注意報・警報
略号
強風注意報 強 風
風雪注意報 風 雪
暴風注意報 暴 風
暴風雪警報 暴風雪

実際、新聞では、事故当時、寒冷前線が山形県内を通過し「経験したことのない突風や強烈な雷光があった」と報じられている。そのような状況下、運転規制もせず120㎞/hで列車を突っ走らせるなど、まさに無謀としか言いようのないことである。

▼災害時運転規制手続は無視された

災害時運転規制等手続(規程)第5条には、次のような定めがある。

第5条(運転規制の実施等) 輸送指令員及び駅長は、降雨、降雪、強風等により災害が予想される場合は、……すみやかに、列車の運転速度を制限するか又は列車の運転を見合わせる等必要な手配を行なわなければならない。

また、同第2条では次のように定められている。

第2条(気象異常時の警戒体制)

  降雨、降雪、強風等により災害が発生するおそれがあるとき又は鉄道気象通報等手続の定めによる鉄道気象  通報を受領したときは、支社長は、警戒体制を整えなければならない。
 支社長は、前項の警戒体制について、あらかじめ定めておくこととする。

当時の状況は、まさにここに定められた「強風等により災害等が予想される場合」「災害が発生するおそれがあるとき」そのものであり、規程からすれば、本来JRは、あらかじめ定めておくべき警戒体制に基づき、運転規制を実施していなければならなかったはずである。それを何ひとつ具体的な対策もとらず、通常どおりに列車を運行させ、今回の大惨事を引き起こしたのだ。
実際JRでは、あらかじめ列車を間引き運転したり、速度規制をかけたりするような運転規制が実施されるのは、 台風が直撃する場合などだけだ。

▼わずかな風速計を頼りとした強風規制

JRは「風速25m/sで速度規制、 30m/sで運転中止というマニュアル に違反していない」というが、その主張 は断じて納得できないものだ。
JR東日本で風速計が設置されているのは、広大な管内でわずか222箇所に過ぎない。千葉支社管内では19箇所である。風速計など本当にわずかな箇所にしか設置されていないのだ。そもそも局地的に吹くことの多い強風対策は難しい課題である。それがこのようにわずかしか設置されていない風速計を頼りとして定められた「風速25m、 30m」という「基準」が、ほとんど意味をもつものでないことは明らかだ。
実際「風の通り道で強風常習地帯」であった事故現場に最も近い風速計も、約1㎞離れていた。しかも、事故現場付近は、過去3年ほどの間に強風による運転規制が100回ほどもあったにも係わらず、「早目規制区間」(風速20m/sで速度規制、25m/sで運転中止)にも指定されていなかった。早目規制区間は、東日本全体で41箇所しかない。千葉支社では2箇所(鹿島線・北浦橋梁と、内房線・波太川橋梁)、新潟支社では3箇所しか指定されていない。

▼旧態依然の状況下、スピードアップだけが

しかも問題はそればかりではない。 大幅なスピードアップに伴い、本来であればより厳しくされなければならなかったはずの、強風等に対する規制は、 逆に緩和されてきたのだ。
事故現場も、国鉄時代の最高速度は 90㎞/hであったのが、現在は120 ㎞/hである。これだけスピードアップが行なわれているにも係わらず、例えば風速計の設置箇所数は、国鉄時代とほとんど変わっていない。それどころか、千葉支社管内では逆に3箇所(矢那川橋梁、養老川橋梁、勝浦・鵜原間)の風速計が撤去されてしまっている。
要するに、コスト削減のために、運転保安上の設備は旧態依然とした条件、あるいはそれ以下に改悪された条件のまま、スピードアップだけが強引におし進められてきたのが現在のJRの現実なのである。

▼余部の教訓は葬られた

結局、6名もの死者をだした山陰線・余部鉄橋からの列車転落事故を経験していながら、その教訓は全く何ひとつ教訓化されていなかったということだ。この事故は、国鉄分割・民営化-JR発足の約3ヵ月前という時点=86年12月に起きた悲惨な事故であった。
当時もマスコミでは、風速計が規制値をこえていながら強引に列車を運転させた背景には、20万人もの労働者が職場を追われ、200人もの自殺者を出した国鉄分割・民営化による職場の荒廃・混乱、過度の合理化・要員削減があることが指摘されていたが、それ以上に問題だったのは、JR発足後であった。JRでは、あらゆる問題につけて「当社は新たに設立された新会社であって、旧国鉄で起きたことは関係ない」という対応がなされ、国鉄時代の問題を持ち出すことそのものが唾棄すべきこととして扱われたのである。そして「われわれは民間会社だ」というかけ声のもとに、徹底したコスト削減や要員合理化、「意識改革」がさらに叫ばれるようになった。
その過程で、自らが生き残るために、分割・民営化攻撃の手先となり、あるいは、職場を吹き荒れた激しい不当労働行為、差別・選別によってガタガタにされた労働組合も、こうした事態に抗する力をもっていなかった。
こうした状況のなかで、余部鉄橋事故の教訓などは、一切顧みられることもなくなり、闇に葬られたのである。

▼抜本的な規制緩和

さらに、02年の国土交通省令の抜本的な規制緩和に伴って、同年、JRでも規程の抜本的改悪=規制緩和が行なわれた。運転取扱いの基本を定めた「運転取扱心得」は「実施基準」と名称も変更され、「災害が発生するおそれがある場合又は気象通報を受領した場合は、列車又は車両の運転に特段の注意をし厳重な警戒をしなければならない」ことを定めた気象異常時等の取扱いについても、次の項目が削除された。

第328条(風速が20m/s以上になったときの措置) 
 風速計を装置していない停車場の駅長は、目測により風速が20m/s以上になったと認めたときは、その状況を輸送指令員に報告するものとする。

規程では、この項目に則って13段階に細かく区分された目測の基準表(※)が記載されており、それに基づいて、厳重な警戒・報告義務はもとより、状況によっては、運転規制の判断権が現場に与えられていたのである。
※ 気象庁の風力階級表に基づいて、「電線が鳴る。かさはさしにくい」「樹木全体がゆれる。風に向っては歩きにくい」等、判断基準を具体的に定めたもの。

現場無視、システム万能

気象異常時の運転規制の判断権を現場から一切引き剥がし、支社の指令室に集中した結果が今回の事故だ

この条項の削除は、運転保安上重大な意味をもつものであった。それは何よりも、プレダスと呼ばれる防災情報システムの導入とも相まって、気象異常時の運転規制の判断権を現場から一切引き剥がし、支社の指令室に集中する意味をもったからである。
現場の生の状況は無視され、指令員は、風雨や風雪の強さ、刻々と変わる気象条件等を肌で感じることも、現場からの連絡によって直接耳にすることもなく、いくらも設置されていない風速計から自動的に送られてくる、風速25m/sや30m/sの無機質な警報だけによって、機械的に運転規制を行なうことになったのだ。
JRでは、あらゆる職種で、ベテラン労働者が長い経験のなかで蓄積してきた技術力や判断力が無用のものとされ、 切り捨てられてシステムとマニュアルだけが万能視される思想が横行している。しかも出世コースである指令室に集められる者の主流は、いくらも現場の経験をもたない若手の労働者になっている。全く運転経験をもたない者まで指令室に集められ、それが列車の運行を指令しているのである。

▼要員削減、無人化、外注化の帰結

この規程改悪について、JR東日本は次のように説明していた。

 風速の観測等は風速計によりプレダス等で管理されシステム化されており、風速計を設置していない駅長(ほとんど全ての駅長ということだ!)に対して、目測で風速を計り指令に報告することを義務付ける規定は現実的に不可能であるため、義務付けと別表を削除する。

ここで言われていることはまさにペテンだ。システムが導入されようと、 「不可能」な理由など何ひとつない。不可能となったのは、駅の徹底した合理化によって、首都圏以外のほとんどの駅が、無人化や外注化=委託化されたためだ。かろうじてJR社員が配置されている駅でも、運転取扱いの資格をもった駅員の配置はよほど大きな駅でなければ無くなっている。あるいは、 人員削減によって、周辺の状況を把握し逐次報告するような余裕は全く無くなっている。だから「不可能」なだけだ。
結局システムの導入も、より安全性を向上させるためのものではなく、徹底した要員削減をおし進めるためのものでしかない。規制緩和と要員削減がお互いに拍車をかけ合う形で、安全の崩壊が激しく進められているのである。
今回の事故でも、酒田駅の駅長が様々なコメントをしているが、酒田駅は、 事故現場から9㎞近くも離れた駅だ。その間には東酒田、砂越という二つの駅があるが、両駅とも無人駅であった。 つまり、暴風雪警報が出されているなか、現場の状況を理解して列車の運行を判断した者は誰も居なかったということだ。

▼京葉線の風連規制緩和

千葉では、東京湾沿いに走る京葉線が、強風による運転規制の多発線区だが、昨年、新システムを導入したことを理由として規制の緩和が行なわれた。
京葉線の運転規制も、風速25m/sで速度規制、30m/sで運転中止だが、それまでは、一旦運転規制となった場合の解除については、「風速が25m/sを下回り、かつ30分にわたって規制値を超える風が吹かなかった場合に速度規制を解除する」と定められていた。 30m/sで運転中止となった場合は、やはり30分待って「速度規制で運転再開」という定めである。
ところがこの「改正」後は「予測風速」という概念を持ち込んで、実風速が規制値を下回り、かつ予測風速が下回れば、30分持つ必要なく運転規制が解除されることになった。提案文書では「(運転規制を)数分で解除することができるよになりました」と記されている。
「予測風速」とは、過去の観測データに基づいてわり出したものだという。だが、今回の羽越線事故は、風速の予測など簡単にできるものではないことをわれわれに示している。ここにも、安全よりもとにかく列車を走らせろ、というJRの姿勢が鮮明に表れている。

▼風速28m/sで転覆!

強風時の車両の走行安全性については、鉄道総研自身が、「近年の高速化・軽量化を背景として車両の転覆限界風速の低下が懸念されている」「近年の鉄道車両の軽量化及び高速化に伴い、車両の転覆限界風速推定制度の向上が求められている」(鉄道総研第175回月例発表会/04年12月)と報告しているとおり、この間ずっと問題視されてきた課題であった。
鉄道総研は、01年12月~04年3月にかけて強風による車両の転覆限界に関する実験を行なっている。その結果は、別図のとおり、100㎞/hで走行している列車は、風速28m/sで転覆する可能性があるという結果がでている。余部鉄橋からの列車転落事故の際、重たい先頭の機関車だけは鉄橋上に残り、客車は全て吹き飛ばされたことにも示されているとおり、列車は低速であるほど転覆限界風速は高くなる。

▼もし、軽量車両だったら

実験は103系をモデルとした車両模型を使って行なわれており、鋼板制の重い車両である。羽越線での事故車両も485系で、40t以上ある重い車両であった。これが、重量が7割程度しかない現在のステンレス製軽量車両だったら、さらにずっと弱い風速で転覆するということだ。
羽越線事故も、車両が仮に軽量化車両だったとしたら、もっと深刻な大惨事となっていたことはほぼ確実である。
ここに示されているのは、スピードアップや車両の軽量化が、運転保安上いかに危険なことなのか、ということである。

改めて尼崎事故で全く厚みがなくなるまでペシャンコに圧し潰された車体の姿を脳裏に焼きつけなければならない

▼尼崎事故を思い起こせ

われわれは改めて、尼崎事故で全く厚みがなくなるまでペシャンコに圧し潰された車体の姿、その中で107名もの乗客。乗員が生命を失ったことを脳裏に焼きつけなければならない。従来の車体と比べ、剛性が半分しかないペラペラな車体は、いつ強風に吹き飛ばされてもおかしくない車両でもあるのだ。
しかも、極めて不安定な構造をもつボルスタレス台車が、横風に対してどのような特性をもつのか、という問題が検討された形跡は全くない。
千葉支社管内でも、北浦橋梁、波太川橋梁、湊川橋梁、京葉線沿線など、ひんぱんに強風が吹く箇所が存在する。直ちに抜本的な安全対策が必要だ。

▼規制緩和が、安全を崩壊させる!

気象異常時の規制に関しては、強風だけでなく、降雨量に対する規制なども、国鉄時代と比べ、抜本的な規制の緩和が行なわれている。
そうした状況のなか、一例だが、千葉では、04年9月4日に、80㎞/hで走行していた下り1475M列車が、気が付いてブレーキをかけたときにはすでに間に合わず、集中豪雨によって完全に冠水していた成田線・酒々井駅に突っ込むという事態が発生している。
状況は、腰まで水につかる状態で、制御器やモーターなど、列車の床下機器類は完全に水につかっていた。
当該の運転士は、何度もこの状況を無線で指令に報告した。ところが指令員は、何と「35㎞/hで運転せよ」と指令したのである。このような状態のなかで起動したらたちまち激しいショートを起こす状況であった。しかし指令はあくまでも運転継続にこだわった。結局起きたことは、起動したとたんにOCR(過電流継電器)が動作し、続いて架線停電となり、遮断機などの溶損によりこの列車は自力運転不能となったのである。

▼なぜこんなことが?

この区間は、国鉄時代には、速度規制の基準だけでなく、1時間の降雨量が40㎜以上、又は連続降雨量が180㎜以上となった場合は、運転中止という定めがあったが、現在は運転中止の規制は全く無く、あるのは、25㎞/h又は35㎞/hという速度規制だけになっている。だから、指令員はどんな状況であるかなど関係なく、とにかく列車を走らせろと運転士に迫ったのである。
ここに示されているもうひとつの問題点は、現場からの声など一切無視し、あるいは、まともな判断力も失って、ただひたすらマニュアルどおりに走らせることしかできなくなった現在のJRの姿である。
さらにその背景には、駅の無人化や保線業務の全面的な外注化等の大合理化攻撃があることは言うまでもない。
これは、前号で述べた羽越線事故の背景にあるものと全く同じである。

▼毎日新聞の指摘

昨年12月27日付の毎日新聞の社説は、

「設置場所が限られた風速計に頼っているだけでは、危険を察知できはしない。五感を鋭敏にして安全を確認するのが、プロの鉄道マンらの仕事というものだ。しかも86年の山陰線余部鉄橋事故などを引き合いにするまでもなく、強風時の橋梁が危ないことは鉄道関係者の常識だ。ましてや『いなほ』は秋田県の雄物川で風速25㍍以上だからと徐行したという。現場では計測値が5㍍低いと安心していたのなら、しゃくし定規な話ではないか」「突風とは言いながら、風の息づかいを感じていれば、事前に気配があったはずだ。暴風雪警報下、日本海沿いに走るのだから、運行には慎重であってほしかった」「尼崎の事故後、鉄道事業者は安全対策に万全を期していたはずだが、年も変わらぬうちに再発させるとは利用者への背信行為だ。取り組みの姿勢や関係者の意識を疑わずにはいられない」

と指摘しているが、そのとおりである。

▼民営化の結果生まれたもの

事故当日は、山形県内に「暴風雪警報」が出されている状況であった。そのような状況下、運転規制もせず120㎞/hで列車を突っ走らせるなど、まさに無謀としか言いようがない

問題は、国鉄分割・民営化の結果、コスト削減・営利優先の余り、そうした仕組みが完全に崩されてしまっていることだ。激しい合理化攻撃によって「風の息づかい」を感じるべき駅員などほとんど居ず、保線業務は丸投げ的に外注化され、運転士に対してはちょっとした遅れやミスが徹底的に追及され、とくに尼崎事故以降、些細なミスによって「日勤」に下ろされた運転士が「うつ病」の診断書を出して休職してしまったり、失踪してしまうということまで起きる状態のなかに置かれている。
表面だけは綺麗に飾りたてられているが、これが、分割・民営化から20年余りを経てでき上がったJRの現実である。レール破断の頻発、尼崎事故、羽越線事故等、「安全」が根本のところから崩壊しはじめているとしか考えられない事態が続いている。
1月6日には、川越線・南古谷駅~川越駅間で、翌7目には総武緩行線・稲毛駅~西千葉駅間で、またもレールが破断した。千葉の場合この時期に3年連続という非常事態である。しかも千葉支社は、7日のレール破断を「信号機故障」だとして「閉そく指示運転」でそのまま列車を走らせたのだ。折れたレールの上を列車が走る!。羽越線事故でも、レールが折れていたという報道があるが、転覆によって折れたというだけでなく、当初から何らかの異常があった可能性もある。まさに分割・民営化の矛盾が、安全の崩壊となって噴き出しているのだ。

▼安全の確立は、労働組合の責務

このときに、労働組合の責任は重大である。われわれが幾度となく訴え、そして闘い続けてきたとおり、そもそも資本主義社会において、企業が、直接的利益を生まない保安部門への設備投資や保安要員の配置などを軽視、もしくは無視するのは当然のことである。とくに、現在のように、政府・財界をあげて競争原理が囃し立てられ、弱肉強食の論理で社会全体がローラーをかけられようとしている状況のもとでは尚更のことだ。
労働者の抵抗や労働組合の闘いがあってはじめて「安全」を資本に強制することができる。その闘いは、鉄道に働く労働者、労働組合の責務だ。大きな成果を実現した昨年の闘いを引継ぎ、今こそ、反合理化・運転保安闘争を強化しよう。06春闘を「反合・運転保安春 闘」として闘おう。

ドキュメント総武線 発進せづ!「労働者は団結すれば絶対に勝てる」  動労千葉 国鉄分割民営化闘争の記録

どのストライキも、ほんとうの主人は資本家ではなくて、ますます声たかく自分の権利を主張している労働者であるということを、そのつど資本家におもいださせる。

どのストライキも、労働者の状態は絶望的ではなく、彼らはひとりぽっちではないということを、そのつど労働者におもいださせる。

ストライキが、ストライキ参加者にも、また隣近所の工場や同じ産業部門に属するいろいろの工場の労働者にも、どんなに巨大な影響をあたえるかを、考えてみたまえ。

……あらゆるストライキは労働者に多くの艱難をもたらす。

しかもそれは、戦争の惨苦とだけ比較できるような恐しい艱難-家族は飢え、賃金は取れず、しばしば逮捕され、自分の職をもっている住みなれた町から追放される一である。

そして、これらすべての惨苦にもかかわらず、労働者は、同僚全体にそむいて雇い主と取引するものを軽蔑する。ストライキにもかかわらず、近隣の工場の労働者は、自分たちの同僚が闘争をはじめたのを見ると、いつも士気の高まりを感じる。
……一つの工場で罷業がおこりさずれば、たちまち非常に多数の工場で、一連のストライキがはじまるという場合が、しばしばおこる。

ストライキの精神的影響はそれほど偉大であり、一時的にも奴隷たることをやめて、大金持と平等の権利をもった人間となっている自分たちの同僚の姿は、それほど労働者に伝染的に作用するのだ。あらゆるストライキは、巨大な力で労働者を社会主義の思想に、資本の圧制から自分自身を解放するための全労働者階級の闘争という思想に導く。

(レーニン「ストライキについて」より)

 

●「破防法研究」№53 1986年2月発行

動労千葉(国鉄千葉動力車労働組合、11〇〇名、中野洋委員長)は、1985年2月28日正午から翌日正午まで、千葉と東京を結ぶ総武線を対象に、「国鉄分割・民営化阻止、一〇万人首切り粉砕」を真正面から掲げた二日間にわたる24時間ストに決起した。
中曽根内閣、国鉄当局はストを不発に終らせようと全国から一万の機動隊を動員して一種異様な弾圧体制を敷き、「スト参加者は全員解雇」という恫喝、さらには動労、国労を使っての空前のスト破り策動をくりかえしたが、動労千葉1100名の組合員はそれをはねのけて一人の脱落者もなくストライキを貫徹した。
スト第一日目は、正午から終電まで、スト対象の総武線で計143本の列車を運休に追い込み、ダイヤを大混乱にたたきこんだ。スト第2日目の29日た中核派の一連の「国鉄ゲリラ」で全国の鉄道網が寸断され、総武線も始発から全面運休となるなかで、動労千葉はスト体制を堅持し正午までのストライキを敢然とうちぬいた。
国鉄分割・民営化に対する国鉄労組の初めての本格的実力反撃、ストライキ闘争として、動労千葉のたたかいは勝利的にうちぬかれ、そして衝撃的に全国を駆け抜けた。

第二臨調のもと、マスコミを総動員してくりひろげられた八二年はじめの「ヤミカラ」キャンペジからすでに四年たった。この四年間、全国の国鉄職場では、「職場規律の確立」の名において、あるいは出向、退職の強要という形で、まさに言語を絶する攻撃が吹き荒れてきた。職場における労働者のあらゆる既得権を奪い、組合をつぶし、一人ひとりの国鉄労働者をいっさいの誇りを失った奴隷につくりかえるための攻撃があくことなくくりかえされてきた。そしてこの攻撃は、「戦後政治の総決算」を呼号する中曽根の下で、八五年六月の国鉄杉浦新体制の登場、同七月の国鉄再建監理委答申をもって、いよいよ、八七年四月の分割民営化10万人の首切りというゴールにむかっての最終的攻防局面に突入したのである。

にもかかわらず国鉄労働運動は、これになにひとつ有効な反撃を組織しえぬまま後退を重ねてきた。動労本部はいまや鉄労顔まけの御用組合、ファシスト組合として、中曽根・国鉄当局の忠実な走狗にまでなりさがっている。国労もまた敵のかってない規模と質をもつ攻撃にうちのめされ、苦渋にみちた果しない屈服と逃亡の道を歩んでいる。こうして何十万という国鉄労働者が激しい怒りを胸にいだきながら、しかしまったくバラバラに孤立させられ、無防備な状況の中で、当局・職制のもっとも非道な、非人間的な攻撃にさらされてきたのだ。その結果何が起きているか。八五年二月の国労本部の調査によると、同年1月から10月までのわずか10ヵ月の間に、実に全国で三四名もの国鉄職員が自殺しているという。10ヵ月で三四名なら、過去四年間で総計何人が自殺したのか。いや、国鉄労働者に対する攻撃がいよいよ本格化し、熾烈化する八七年四月までのこれから一年余りの間に、中曽根、杉浦はさらに何人の国鉄労働者を殺せば気がすむというのか。
動労千葉は、国鉄と国鉄労働者をめぐるこのような状況の中で、まさに不退転の闘いに決起したのである。動労千葉はわずか1200人の組合員を擁する小さな労働組合である。だがそのストライキが投げかけた衝撃は極めて大きかった。中曽根は千余名の組合のストに対して異例の談話(「違法ストを許さない」)を出し、杉浦は、スト参加職員への「断固たる処分」をわめきちらした。さらには金丸が、後藤田が、山下が口々に動労千葉をヒステリックにののしり、そして動労本部の松崎が顔をひきつらせながらこの反動的大合唱に加わった。
だがこのような金切声が大きく広がれば広がるほど、それは動労千葉の決起の大きさを知らせるだけなのだ。
彼らは知っている。動労千葉の決起の背後に三〇万国鉄労働者の怒りがあることを。彼らは、動労千葉のストライキが、さらには中核派のゲリラが、充満する怒りに火をつけることを何よりも恐れているのだ。だから、彼らは、一万人もの機動隊を動員していっさいを封じ込めようとした。もともと国鉄分割・民営化は・そのあまりのデタラメざと反人民性ゆえに、今日においても「場合によっては当初方針の八七年四月スタートができなくなる可能性もある」(東京新聞85・12.19)といわれている難題である。ここに動労千葉の英雄的決起がかちとられ、国鉄労働者の反撃が開始されたのである。動労千葉のストライキは、まさに独特の政治手法によっていっさいの反対意見を封殺しつつ、クーデター的に国鉄分割・民営化を強行し、さらにはそれを基軸として戦後政治の総決算をなしとげようとする中曽根政治そのものに深刻な風穴をあけたのである。
問題はこの動労千葉の第一波ストを、第二波スト、第三波ストにつなげ、さらには国鉄ゼネストヘの道をきりひらきうるか否かにかかっている。敵権力・国鉄当局は、それを阻止するために、第一波ストに対する大量報復処分をふくむ全体重をかけた動労千葉破壊策動を強めている。この動労千葉を全人民の力で支え、守り、なんとしても動労千葉の闘いを切り口とする三〇万国鉄労働者の総決起を実現しなくてはならない。国鉄分割・民営化を中曽根ペースでこのまま認めるのか、それとも真に階級決戦的な対決点にまでおしあげることができるのか、ここに、中曽根の戦後総決算攻撃、改憲と戦争国家化をめざす中曽根反動政治との闘いの最も重要な戦略的かつ、今日的環がある。三里塚二期決戦とならぶ決戦的課題がある。
そして、攻撃の急ピッチな進展にもかかわらず、動労の反革命化、国労の屈服と無力化にもかかわらず、この国鉄をめぐる闘いが、今後の一年数カ月を展望するとき、そこにいかに巨大な可能性を有しているかを示したのが、まさに動労千葉の第一波ストライキであったのだ。動労千葉のストとこれに呼応して決起した国労千葉、とりわけ国労津田沼の労働者の闘いだったのである。”闘っても負けるだけ・・闘っても犠牲を大きくするだけ”という、国鉄労働者の頭上に重くのしかかる敗北主義の暗雲をはらいのけ、“犠牲をおそれず闘えば必ず勝てる。闘えば、さらに次の闘いの展望も出てくる”ことを示したのが動労千葉の闘いだったのである。
以下の記録は、この動労千葉の第一波ストライキの全過程を、主に動労千葉組合員への取材を柱にして構成したドキュメントである。
その豊かな、ダイナミックな展開、くめどもつきぬ教訓を、さらに多くの国鉄労働者の中にもち込み、勝利の確信、勝利の展望をすべての闘う国鉄労働者のものとすることによって、われわれは全人民の力を結集した動労千葉の第二波、第三波ストを、さらに国鉄分割・民営化を爆砕し、中曽根政権を打倒する三〇万国鉄労働者のゼネストヘの道を準備しなくてはならない。
一、決戦の構造
●九月定期大会でスト方針

動労千葉が85年11月のストライキ方針を決定したのは、同年九月九日から三日間、九十九里浜で有名な千葉県匝差郡野栄町で開かれた第10回定期大会においてであった。
「第10回」という数字でも分るように、動労千葉は組織としては若い。もともとは動労(国鉄動力車労働組合)の千葉地方本部であったが、七八年の動労津山大会で、革マル系に牛耳られている動労中央が提案した「貨物安定宣言」と「三里塚絶縁宣言」をめぐって本部と鋭く対立、とくに三里塚問題では、千葉地本(当時)が「労農連帯」の旗をかかげて反対同盟との共闘関係を強めようとするのに対し、本部が除名を含む統制処分の暴挙をくりかえす中で、ついに七九年三月、「闘う路線と組織を守るために」動労から分離・独立し、ここに独立した組合としての動労千葉が誕生した。動労千葉は以降、八一年三月の成田空港へのジェット燃料輸送の延長に反対する5日間にわたるストライキを頂点として、国鉄労働運動全体をおおう逆流に抗して幾多の政治闘争、経済闘争を闘いぬいてきた。
動労千葉は、現在1100名の組合員を擁し、国鉄の労働組合としては、国労(18万六〇〇〇人)、動労(三万四〇〇〇人)、鉄労(三万1000人)、全施労(2000人)、全動労(2500人)に次ぐ大きさだが、千葉鉄道管理局管内(七四〇〇人)では国労の4800人に次ぐ組合。とくに運転・検修部門でみれば945人で、国労の651人を大きく上回る。千葉局の運転士の70%を組織している。新小岩、津田沼、幕張、千葉、木更津、館山、勝浦、銚子、佐倉、成田の10支部から成り、千葉県内を走る内房線、外房線、総武本線、成田線などの重要路線はもとより首都圏を貫く総武線の緩行、快速を握っている。

 大会冒頭、あいさつに立った中野洋委員長(45)は、代議員、傍聴者を前に、まず七月二六日の国鉄再建監理委員会の最終答申にふれ、「この答申の中身を綿密に分析するならば、われわれはもはやこれ以上引くことのできないドタン場に立ぞいる。分割民営化のねらいは『国鉄の再建』などではありません。それは中曽根内閣の戦争を遂行できる国家づくりの環であり、そのための国鉄労働運動圧殺攻撃なのです。そして、自民党・財界が一体となって国鉄の財産をくいものにしようとするものです。いまや国鉄労働者は自らの全人格、全人生が暴力的に破壊されようとしています。30万のうち10万という大量の首切りによっておびやかされています。そういう状況に入っていることを見たくないけれども、リアルに見なければなりません」と国鉄労働者のおかれている厳しい状況を指摘、さらに声を高くして、11月スト方針を訴えた。
「来年(86のダイヤ改定合理化、二月のダイヤ改定合理化で一切合財が決着します。それに向けて断固としたストライキに決起しなくてはならない。このたたかいによって初めて答申粉砕の展望がひらけます。1100名の組合員そして家族の暮らしと生命をまもるために労働者の本来のたたかいであるストライキで起ち上がろうではありませんか」
中野委員長の発言が終わるや、代議員・傍聴者は強い拍手で応えた。

大会は、第一日目に西森巌執行委員(45)から「一般経過報告」、第二日目に布施宇一書記長(43)の「運動方針案」の提起をうけ、熱烈な討論をたたかわせたあと、最終日に「国鉄分割・民営化、10万人首切り粉砕へ数波にわたるストライキを軸にあらゆる戦術を駆使してたたかう」という運動方針を満場一致で確認した。そして、たたかいのメインスローガンとして、次の三つを採択した。

①自らの闘いで国鉄労働者の明日をきりひらこう!
②未曽有の国鉄労働運動解体攻撃粉砕!
③反動・中曽根内閣打倒へ、「国鉄」と「三里塚」を基軸に全労働者の怒りを結集し、総反撃に打って出よう!

執行部の提起は大会において圧倒的に支持され、ストライキ方針が正式に確認されたのである。大会で採択された『運動方針案』は次のように11月ストライキをたたかいぬく決意を述べている。
少し長いが、動労千葉がどのような決意を固めたかを知るために重要なので引用する。
「われわれは、1985年7月26日、国鉄再建監理委員会最終答申を期して、死活をかけた決戦に突入しました。
われわれの生きる基盤である国鉄を体制側から解体しようとする攻撃に対して、われわれは、組織も生活も、国鉄労働者の全てをかけて『1987年4月1日、分割・民営化』阻止をかちとらなければなりません。
いま、われわれに、何よりも求められていることは、
第一に、国鉄労働者に死を強制するに等しい未曽有の反動攻撃に対して、決然と立ち、原則を守って闘い抜く決意であり、
第二に、日帝・中曽根体制が追い詰められているが故に凶暴化し、体制的生き残りをかけて強めてくる攻撃の凄しさに圧倒されない階級的確信に裏打ちされた気迫であり、
第三に、この決意と気迫に立脚した闘う路線と組織体制の確立です。
われわれは、労働者階級自身の主体的決起と闘いの貫徹の中に歴史を切り拓く無限の可能性が秘められていることに確信を持つと同時に、労働者は闘いの実践を通してのみ向上するのであり、闘わない労働者(労働組合)は腐敗・堕落するという真理を、今こそかみしめなければなりません。
情勢が厳しいことは言うまでもないことであり、今後一年間、一九八五年一一月雇用安定協約破棄攻撃から1986年11月1日『18万3千人体制ダイ改』を経て、1987年4月1日の分割・民営化に至る文字通りの修羅場の中を、われわれ国鉄労働者は、何が何でも、まなじりを決して闘い抜かなければなりません。
情勢が厳しければ厳しいほど力を発揮し、『勝てるはずのない』闘いを勝利してきた動労千葉の底力を今こそ発揮し、ひとりのクビ切りも許さない闘いとして、国鉄分割・民営化阻止、国鉄労働運動解体攻撃粉砕の闘いを全力で闘い抜くこととします」
こうして、動労千葉は11月ストライキ方針を正式に決定し、その実現に向かって全支部が一丸となって取り組みを開始した。

●雇用安定協約の期限切れ
動労千葉が第一波ストを85年11月末に設定したのはもちろん理由がある。11月末日は国鉄が国鉄内各労組と結んでいた雇用安定協約の期限切れにあたっていた。雇用安定協約は国鉄が一九六二年に関係労組と締結したもので、動労千葉とは一九七九年一〇月に当時の高木文雄国鉄総裁と関川宰委員長の間で交わされ、その後期間の延長を重ねてきた。それは「合理化などに際し、本人の意思に反した免職、降職は行わない」と規定したもので、雇用安定の重要な支えとなっている。つまり、当局の一方的な都合で国鉄労働者の首を切らないということだ。当局とすれば、従来は合理化への組合の協力をひき出すテコとしてこれを位置づけていた。
ところが、臨調攻撃のなかで状況は一変した。国鉄当局はこの間、分割・民営化攻撃の本格化とともに、いわゆる余剰人員対策として①勧奨退職②一時帰休③他企業への出向の三本柱を推進してきた。
それはまさに国労もいう通り、首切りへの片道キップ以外のなにものでもなかった。ところが周知のように動労は、この国鉄当局の余剰人員対策にとびつき、その尖兵として、三本柱クリアー運動なるものをくりひろげてきた。組合役員が率先して労働者の肩をたたき、あるいは退職を、あるいは出向を強要する役割を担ってきたのだ。
一方国労は、当然にもこの余剰人員対策にあくまで反対し、「辞めない、休まない、行かない」のいわゆる「三ない運動」を続けてた。
 これに対し国鉄当局は、八五年一一月末に期限の切れる雇用安定協約を、三本柱に協力する動労、鉄労、全施労とは再締結するが、これに反対する国労、全動労、動労千葉とは再締結しないという極めて悪らつな不当労働行為に訴えてきたのだ。雇用安定協約をテコに国鉄労働者の総屈服を迫ってきたのである。ところがこの卑劣な攻撃を前に国労の山崎委員長は、八五年一一月中旬に開かれた中央委員会で当局の恫喝に屈し、「三ない運動」の中止をうち出したのである。国労は、雇用安定協約を再締結してもらうためにさらに一歩大きく後退し、恥ずべき屈服を強いられたのだ。
動労千葉の第一波ストは、この雇用安定協約の期限切れをとらえ、国労の屈服路線とはまったく逆の方向で、すなわち、労働者の階級的団結の力によって、あくまでその再締結を当局に要求する闘いとしてうちぬかれたのである。雇用安定協約の期限が切れる一一月三〇日、当局はもとより動労千葉との再締結に応じなかったが、国労に対しても、たとえ本部が「三ない運動」中止を決めても、まだ多くの地本が反対を続けているという理由で再締結を拒否した。これは、分割・民営化にむけた今日の攻撃が、国労を中心とする国鉄労働運動の徹底的解体を狙っていることをあらためて示したのであり、その中で三〇万国鉄労働者の生きる道は、ただ死力をつくした動労千葉のような闘いの中にしかないことを、いっそう鮮明につき出したのである。

●次々と支部大会でスト決議

九月定期大会にもとづき、一〇月以降動労千葉各支部は次々と支部大会を開催していった。

10月11日 成田支部定期大会
14日  木更津〃
15日   津田沼〃
19日    千葉運転区〃
26日   幕張〃
〃    新小岩〃
〃    館山〃
11月 9日 銚子〃
11日 勝浦〃
22日 佐倉〃
これらすべての支部大会において、第一〇回大会決定はいずれも満場一致で支持され、熱烈な討論をとおして一一月ストに決起することが確認された。すさまじい反動の嵐の中で、うちぬけば必ず大量報復処分が予想されるという、文字通り組織の存亡をかけたストライキ方針が、こうしてすべての支部大会において満場一致で支持されたことじたい驚くべきことであろう。もちろんここには、動労千葉の労働者が、動労本部からの分離・独立以前からつちかってきた戦闘的伝統、とりわけ三里塚の農民との連帯の中でうちきたえてきた不屈の労働者魂が脈々と波うっている。
 だが動労千葉は決してあらかじめ活動的な労働者を集めてつくられた組合ではない。千葉鉄管理局の運転・検修部門の過半の労働者を組織した、全国のどこの国鉄職場にでもいるごくあたりまえの国鉄労働者を組織した組合なのである。だから当然、一一月スト方針が全支部を通して決定されてゆく過程では、あらゆる悩みがあり、迷いがあり、ためらいがあった。

「答申が出た直後は職場でも『“三人に一人”の“一人”にオレだけはなりたくない』の意識が心の底にあり、『こんなことを言うと“一人”に入っちゃうんじゃないか』と個々の労働者が思うような状況も生れた」(永田千葉転支部長)という。ある集会では、演壇を降りた中野委員長のところに組合員の家族が駆けより「今度だけは、うちのとうちゃんをストから外してもらえないだろうか」と相談にきたという話もある。ある組合員は普段使ったこともない六法全書をめくって、日本国有鉄道法と公労法のストライキによる解雇の項を何度も何度も読んだという。さらにストが近づいてくると夜眠れなかったり、メシがのどを通らないと言う人が何人も出てきた。
これに対し動労千葉の執行部は、むしろ組合員のもつ不安や悩みを積極的に聞き出しながら、しかし、いま自分だけ助かろうと思ってもどうにもならないこと、どんな困難があろうと、分割・民営化を阻止するために、すべての国鉄労働者が団結して起ちあがる以外に道がないことを訴えていった。執行部はこれを国鉄再建監理委の七・二六答申に対する全面的な批判と暴露を通してくりかえし説いていった。中野委員長はこのことを次のような簡潔な言葉で説明した。
「新しい会社にいけば何とかなるみたいな雰囲気があります。全くそうではないのです。
新会社に残る者は約二〇万人になります。旅客会社は本州三会社で一四兆二〇〇〇億円も借金を負わされ、むこう三〇年間、年間ほぼ一兆円に近い借金を支払わなければならない状況に追いこまれます。ですから新会社に残ったとしても、大合理化、殺人的労働強化、賃金引き下げ、年金や退職金の引き下げなど恐るべき攻撃がかかってくることはまちがいありません。それと同時にわれわれは人を輸送する仕事をしているわけですから、大変な運転保安の危機に直面することになります。
さらに赤字の元凶である貨物部門を単独の独立した民間会社にして、どうして採算がとれますか。数年を経ずして倒産の危機に直面するでしょう。
こう見てくると、われわれ国鉄労働者のすべてがまさに『去るも地獄、残るも地獄』の状況に追い込まれるのは必至ではないでしょうか」

 ある支部大会で、中野委員長のあいさつのあと一人の代議員が立って、「委員長の話を聞いていると、お先真暗の気がする」と発言した。 それに対し、中野委員長が「そうなんだ、われわれはお先真暗なんだ。たたかわなければ闇、たたかっても負ければ闇、たたかって勝って初めて開けるんだ」と答え、全参加者が自分たちの置かれている状況をはっきりつかんだという。
こうして、中野委員長を先頭とする執行部の強力な働きかけによって一一月スト方針が全支部のものとなっていった。だがその基底にはやはりこの間の人べらし合理化、職場規律攻撃の中で荒廃の一途をたどっている国鉄職場の現状に対する、すべての国鉄労働者の中に蓄積している共通の怒りがあった。一一〇〇名の動労千葉組合員は、なによりも自分が毎日働いている職場の状況の中から、執行部の方針を理解し、支持し、そして自らその方針の下で首を覚悟して起ちあがる決意をかためていったのだ。

その具体的中味をいくつかみてみよう。
この間の急激な人員合理化によって職場環境は激しく破壊されてきた。たとえば、とくに動労千葉のような運転関係職場の組合にとってば死活的な運転保安の問題も大きくおびやかされてきた。これまでは年一回行われてきた台車検査(車輪、モーターなど車両の検査)は八五年三月に廃止され(三年に一回)、事故防止に欠かせない保線や各種の検査の間隔も大幅に延長された。三鷹電車区の場合、昨春の合理化で二二〇人いた検査修理部門がいまでは八〇人になってしまった。その結果、線路は荒れ、電車は故障を抱え、きわめて危険な状態にあるという。「営利追求・人べらし合理化・安全手抜き」の結果起きた日航ジャンボ機墜落と同じ過程がいま国鉄においても進行しているのだ。
「普通の人は電車に乗ってもよく分らないと思うけど、ポクら運転しているとこわいぐらいですよ。フラット(車両のすりへり)がすごく、ガタンガタンですよ。台検が廃止されて車両はゴトゴトとすごいですよ。車両故障は多いしね。どんどん悪くなっています。千葉でも七月二日ですか、内房線でレール張り出し事故がおこりましたね、重大事故につながりかねないものです。“第二の日航”というのはけっして大げさじゃないですよ」(千葉運転区、Kさん)
また、乗務員の勤務は、昨年三月のダイヤ改定以降超過勤務を前提にした勤務体制となり、目茶苦茶にきつくなっている。乗務員が運転中倒れる、あるいは体調を著しく崩し運転できなくなるという事態が多発している。それなのに、当局は体調が悪くて休もうとすると診断書が必要だとして無理に乗務させたり、病気で休むと「出向しろ」「勤務成績が悪い」と言ってくるという。そればかりか電車の一分の遅れでもチェックし乗務停止処分にするということさえ起きている。「ともかくつまらないところで細いことを言うようになりましたね。たとえば錦糸町で乗務が終って千葉まで帰る時も、所定便乗でなく最初に来た電車に乗って帰ると、一本違っても文句言うんです。ホームの停止目標線から少し外れてもチェックされ、乗務停止になつちゃうわけです」(千葉運転区、Hさん)
さらに、「過員対策」をテコに職場規律攻撃を強め、当局への屈服をどこまでも要求する攻撃も激化している。千葉局管内では約七四〇〇人のうち六〇〇人の「余剰人員」が発生するとされている。
当局は昨年八月一日「過員活用の一環」と称し「業務開発センター」を設置した。所要員と「過員」を区分けしたうえで「過員」をセンターにぶち込み「有効活用」と称して当局の都合のいいようにこき使おうとするものである。これは勤務地、業務の変更等、労働条件の変更を伴うにもかかわらず、当局は「団交事案ではない」と交渉を拒否し.一方的に職員を配置した。
九月から本格的に始まったセンターは船橋駅から歩いて三分のところにあり、動労千葉八人、国労二五人、全動労一人の計三四人が「過員」として集められた。仕事は「開発」とは名ばかりで、レールをカットしたものを文鎮にしたり、ロッカー・机・イスの再生、行先字幕をパネル化するなど、場あたり的、ものまね的で採算にもあわない内容である。センターといっても、部屋のみでまともな設備・備品もないタコ部屋そのものである。それでいて、助役は、朝の体操、作業などについて逐一チェックし監視体制のみ異常に強めている。当局の狙いは、一〇万人首切りの準備として「要員」と「過員」を選別し、その恫喝をテコに国鉄労働者に屈辱を与え屈服させ飼いならそうとするところにあるのだ。
分割・民営化攻撃の本格化の中で進むこのような職場の荒廃、そして労働者を虫けらのようにあつかう当局・職制に対するうっ積する怒り、これこそ動労千葉一一〇〇人の組合員が、執行部の方針の下で、最初はためらいながら、しかし長く激しい討論を通して一丸となってストライキに起ちあがっていった、その最も基底的なエネルギーを形成していたのである。

●けん引車となった青年部

九月から一〇、一一月にかけて各支部が支部大会を開きスト態勢を構築していく過程で、その先頭に立ち、重要な働きをしたのは青年部(三〇〇名)である。
今回のストライキにおける青年部の突出した役割は、親組合員の注目も集め、「青年部の革命」といわれるほどめざましいものだったが、その前提には、動労千葉の青年部がはじめて経験したひとつの闘いがあった。駅助勤闘争である。たとえば「『うちの青年部はだらしがない』と、いつも永田支部長にしかられてばかり」(千葉運転区支部青年部H君)という千葉運転区支部青年部も、屈指の戦闘的な青年部に自己脱皮していくのである。今日の国鉄職場でどのような日常的攻防がくりひろげられているかを知るうえでも重要なので、ここでこの駅助勤闘争の経過を述べておこう。
駅助勤とは、国鉄当局が「余剰人員活用策」と称して乗務員・検修員を駅の「通勤対策業務」に一定期間配置するものである。当局の狙いは、「過員活用」を口実に国鉄労働者を屈服させ、労働組合の団結を破壊することにあった。動労千葉の場合、昨年五月ごろから、若い人から順番に交代で三ヵ月ないし六ヵ月間、浅草橋、両国、飾糸町、市川、船橋、西船橋、津田沼、千葉などの各駅で、朝のラッシュ時の“尻押し”特別改札、旅行センター補助業務などの仕事怜就くことになった。
 これは、個々の若い動労千葉青年部員にとっては、自分たちの運転職場(区)から初めて離れて当局・職制と自力でぶつかる全く新しい経験であった。しかも、駅職場は運転職場と異なり国労、鉄労の組合員がほとんどで、動労千葉がかちとっているような当局との間の刀関係は存在しない。「駅の国労職員があまりにおとなしく、駅長や駅助役の指示に素直にハイハイと従っているのにはビックリしました。たたかわないとああなるのかと、ゾッとしました」(津田沼支部青年部K君)という状況だった。
しかも、千葉局は、意図的に動労千葉組合員を各駅にバラバラに配置し、孤立無援状態で屈服を迫ろうとした。「ネクタイ、名札着用、組合ワッペン不着用」を強要する職場規律攻撃である。とくに名札を着けていないと、毎朝の点呼で駅管理者(駅長、助役)がさんざん嫌みを言って重圧をかけるばかりか、一日中何の仕事にも就けず駅の一室に閉じ込めておくということさえした。しかし、六月二日から駅現場に配置された第一陣の四〇名は国労千葉の四三名と共闘し、八三名全員で名札着用を拒否しぬいた。二週間にわたるたたかいに追いつめられた当局は六月一七日突然全員の駅助動を解除して元区へ戻し一切の業務につけないという暴挙に出た。
八三名の怒りは爆発した。連日、各区において抗議・追及のたたかいが繰り広げられた。そして、七月二日、外周区(内房線、外房線沿線)における無人駅の特改が始まり、名札拒否闘争は全職場に拡大していった。七月八日には動労千葉青年部が千葉局玄関前で怒りの総決起集会をたたきつけた。ついに、当局は七月一四日以降全員を無条件で各駅に戻さざるをえなかった。若い労働者のがんばりが勝利をかちとったのだ。
ところが、駅助勤開始後三ヵ月経って九月以降の要員さしかえが始まるなかで、国労指導部は「名札着用は本人の自由な判断に任せる」という方針に転換した。これは、実際上は当局の攻撃の前に個々の労働者を無方針“無防備”で放り出すこと以外のなにものも意味しない。若い下部労働者が必死でがんばっているのになにが国労指導部をこのような方針に走らせたのか?それは、九月一一日国鉄当局が発表した、ワッペン闘争史上初めての五万五〇〇〇人の大量不当処分攻撃である。さらに、つづけて加えられた一〇月五日の六万四〇〇〇人に及ぶ大量不当処分である。国鉄当局は、処分の恫喝をもって労働者を屈服させ、無力感をひき出し、いいなりになる労働者をつくりだそうとしたのである。
国労指導部の後退の中で、国労組合員は、あくまで名札着用を拒否する戦闘的労働者が個々にがんばる一方で、当局の圧力の前に一人また一人と名札を着け始めた。しかし、動労千葉青年部は一人の例外もなく頑として着用を拒否した。毎日毎朝の恫喝、警告書、処分のおどし、所属区の職制の導入……。当局の攻撃の矛先は動労千葉の若い青年労働者に集中した。所定の期間が過ぎても動労千葉組合員だけは元の区に帰さず不安感を与えるというようなことまでしてきた。だが、動労千葉の若い組合員は全員、一致団結してがんばり、逆に不当な差別をすすめる駅当局を激しく追及するたたかいに決起していった。
これに対し当局は一一月七日、動労千葉組合員四三名のみに差別的不当処分を強行してきた。しかも、これを追及された千葉局・松田人事課長は「(動労千葉の組合員は)商品価値からいえば不良品だ」「全くできが悪い」「賃金を払っているんだからどう使おうが当局の勝手だ」という暴言を吐いた。そればかりか「不良品を使うわけにはいかない、過員として区に帰ってもらう」と言い、一一月一八日若い組合員八名を「余剰人員」として一切の仕事に就けない「区日勤」扱いにするという卑劣きわまりない挙に出た。当局に屈服しない労働者をみせしめにしようというのだ。
千葉運転区支部青年部I君は、もともと組合の活動家でもなく、鉄道が好きで国鉄に入った青年だったが、この八人のうちの一人にされてしまった。
「駅助勤には10月に行ったんですが、初めのうちは早く区に帰って運転したいという気持がありました。でもともかく向うのやり方が汚なくてね。髪とか靴とかワイシャツとかネクタイとか、細かいことをあれこれ言うわけですよ。警告書も沢山出ました。でも面倒だから取りになんか行きません。
一一月一八日ですか、突然八人だけ区に戻されたんです。私たちの職は運転士ですから、駅助勤解除で区に戻されたんですから運転の仕事に戻すのはあたり前でしょうよ。ところが、今、私は八時四〇分に区に出てきても仕事がないわけです。仕事がないというのはつらいですよ。なぜそんなことをするのかと追及しても、区長は『総合的判断』ということで理由は何も言えないわけです。
ともかく話にならないですよ。頭に来ましたよ。「不良品」とは何ですか。私たちは品物じゃあないんですよ。やっぱりどんどんたたかわなけりゃあダメですよ」
こうして、毎日毎日の神経のすり減るような当局・職制との一対一の攻防をたたかいぬきたくましくなって区に戻ってきた青年部の若い戦士の目には、職場支配権を握り当局との一定の力関係のうえに立っている動労千葉の職場の現状さえ「ぬるま湯」につかっているように映った。
自力でたたかいぬく経験を積み自信を持った青年部は「動労千葉は腹をくくってたたかおう。中曽根と対決し、ひとあばれしよう」(成田支部大野青年部長)を合言葉とするようになった。そして、一一月ストライキ方針にまつ先に賛成し、支部は年輩者を「つきあげ」スト実現の力強いけん引車となった。
「オレたち青年部はこれまで支部にいて、やっぱり組合役員にられていたわけです。『当局にこんなことを言われた』とか役員に言えばことが済んでいたわけです。ところが、駅に行って自分一人しか居ないわけです。それで、お前なんで名札着けないんだとか、二時間も三時間もコリコリいわれるわけです。そんなこと許せないというので、現場で一人一人ががんばるという状況が初めて生まれたわけです。“.親”も『青年部どこまでがんばるか』と見ていたと思うんですが、最後までつっぱっちゃって、“親”の信頼も得たわけです。駅助勤に行ったある青年部員が『このままいっちゃったらオレは活動家になつちゃう。組合はオレを活動家にするために駅に行かしたんじゃないか』(笑)というような状況が生まれたわけです」(青年部役員、Sさん)
駅助勤闘争の最中、動労千葉青年部は、もうひとつの衝撃的な体験をした。一〇月二〇日、全学連(鎌田雅志委員長)がたたかった三里塚交差点における三里塚軍事空港粉砕・機動隊せん滅の大衆的武装闘争の爆発である。
全学連の二〇歳前後の若い学生たちが鉄パイプ・火炎ビン・石で武装し、次々と三里塚第一公園からくり出し警視庁機動隊の壁をぶち破っていく勇姿は、おなじ集会場の隣あわせに坐っていた動労千葉青年部の組合員たちに強烈な印象を与えた。敵権力の暴力を何ら恐れぬ全学連の果敢な戦闘は、それを目のあたりにした若い青年労働者二〇〇名の血をたぎらせるのに充分だったのだ。その日夜の総括集会では、発言に立った青年部員は口々に感動と興奮を語り、「今度はオレたちがストで決起する番だ」とこぶしを握りしめて宣言した。電撃的な一〇・二〇全学連武装決起と戦闘における勝利一機動隊の敗走は「やればできる。敵権力は打ち倒せる。恐れることはない。たたかうことだ」という確信を強烈に植えつけたのだ。

●家族ぐるみ・地域ぐるみ

一一月に入るや、動労千葉は各支部大会と併行して「国鉄分割・民営化阻止、五〇〇〇万署名貫徹地域集会」を県内各地で開催した。かってなかった試みである。一一月ストライキ成功のためには、ひとり動労千葉組合員のみならず、家族ぐるみ・地域ぐるみのたたかう体制が不可欠だとの判断によってである。
地域集会は、一一月九日の木更津を皮切りに、一一月一三日千葉、一九日銚子.二一日津田沼、二二日勝浦、二四日成田、二五日館山、一二月一四日新小岩と、いずれも動労千葉組合員とその家族さらには国労、教組、自治労、民間の働く仲間一〇〇名ないし二〇〇名を結集し、中野委員長の二時間をこえる講演を中心に盛大にかちとられた。七・二六答申一分割・民営化の暴露と、今をおいて起ちあがるときはないという訴えは、まさにしみとおるように組合員全体のものになっていった。地区労、地区交運、地区社会党のあいさつは、動労千葉の決起に対する地域の強い関心と期待を示していた。それはまた、動労千葉の組合員の確信と決意をさらに強固なものにしていった。
「うちの親は、「今度ストすつから』というとすぐ賛成してくれましたよ。『職員が働かないから国鉄は赤字だ、赤字だというけど、とんでもねえ。国鉄はお前が入るずっと前から赤字だったんだ。お前に責任はねえ、クビ切られるいわれはねえ』ってね」(千葉運転区、Fさん)
「もうみんな、クビは覚悟してやっています。でも、それを決意するとおっかないものはないんだよね。女房にも、『もうここでおわりだから……』って言ってあるの。女房も、『それはそれでいい、でも捕まるのだけはやめて、子供もいるから」って言ってね。
誰 だって残りたいだろうけど、今頃ジタバタして助平根性おこしても仕方ないもん。ストに入る前に、支部の執行委員会を本部に行ってやって、その時中野委員長から支部の役員は決意を固めるよう言われましたね。そりゃそうですよ。役員が残ろうなんて思ってる組合はどうしょうもないからね。たたかえるはずがないよ」へ津田沼支部執行委員、Tさん)

二、前哨戦

●11・17全国鉄労働者総決起集会
 一一月一七日、東京・日比谷野外音楽室で「全国鉄労働者総決起集
会」が開かれた。演壇には「国鉄分割・民営化阻止、一〇万人首切り反対、二月ストライキ貫徹、中曽根打倒」と掲げられている。動労千葉の主催である。次々と集まって来る参加者は誰しも、まず会場入口で警備にあたっている動労千葉青年部の若々しい姿を目にした。一〇〇を越える若い青年労働者が全員白ヘルメット、ナッパ服に身を包み林立する鉄輪旗をなびかせて。“ヤル気”を全身で発散させていた。
集会には、全力動員の動労千葉組合員・家族五〇〇名を先頭に、国労の労働者をはじめ全国から駆けつけた労働者・学生・市民三四〇〇名が結集。動労千葉支援共闘会議の浅田光輝氏(立正大教授)、三里塚芝山連合空港反対同盟の北原鉱治事務局長、動労千葉スト支援一億円基金の呼びかけ人を代表し鎌倉孝夫埼玉大教授、全造船機械石川島分会の佐藤芳夫委員長ら、共闘団体の多くの人が立って動労千葉を激励し、動労千葉と連帯して闘うことを誓った。それを受け、主催者を代表して基調報告を行った動労千葉の中野委員長は、その最後に、初めてスト決行日を発表した。
 「第一波ストは一一月二九日。総武線緩行線快速線を中心に二四時間ストに突入する」
会場は一瞬静まりかえり、次の瞬間どよめきとともに歓声と拍手が湧きおこった。
「一一・一七集会は決定的でした。組合のなかだって、『ストといっても時限ストぐらいじゃないか』と思っていた人もいると思うんです。でも、動労千葉がわざわざ東京まで行って二四時間ストライキを宣言したことで、本気であることがはっきりしたと思うんです。ストやると言えばすぐ「いつやるんだ」『どれぐらいやるんだ』という話になるのですが、中野委員長の提起でみんな猛然とヤル気になりましたね」(津田沼支部青年部、K君)
集会は、この方針をうけ、さらに、拠点となる津田沼支部の山下幸支部長(44)、千葉転支部の永田雅章支部長(41)、新藤雄一青年部長(28)らが次々と決意表明。最後に、布施書記長が動労千葉本部の決意を明らかにした。
こうして、動労千葉はみずからの決意をきっぱりと宣言した。

●二つの拠点、固まる団結
 ストの組織化は最終段階に入った。スト拠点の千葉運転区は国鉄千葉駅のすぐ側にあり、総武線快速、内房線、外房線、成田線などに乗務する運転士が所属している。今回ストに入るのは千葉駅と東京駅を結ぶ総武線快速である。同支部は現在一一五名で構成され、永田雅章支部長のもと強力な団結を誇っている。他方津田沼電車区は千葉駅と三鷹駅の間を走る黄色の電車、首都圏の人民にはおなじみの総武線緩行の車庫となっている。それに付随する検査・修理などの機能も有している。国電津田沼駅とつながっており、その西側に位置している。支部員は一二七人。信望厚い山下幸支部長が支部のまとめ役の重責を果している。
千葉転支部では二月中旬から連続五日間にわたって国鉄分割・民営化の学習を行い、徹底的に討論、これにはすべての支部員が参加した。永田支部長は学習会のすべてを準備し、全支部員との討論で全支部員の怒りの気持と悩みをしっかりとっかんだ。津田沼支部では、山下支部長を先頭に三次にわたるローラー・オルグを行い、徹底的に話し込んだ。ストに向かう組合の「団結署名」は短期間で一〇〇%達成された。
 ストライキ準備の過程は、これまでにも増して組合員の団結を強くし、仲間への信頼を深くした。「これからクビをかけてストライキをやろうとしているのに、どうしてネクタイを締めたり、カーテンを開けたりすることができるか」ということで、ただ一人の例外もなく、ネクタイ着用拒否、カーテン遮閉を貫徹するようになった。
ここでいうカーテンとは、運転席と客席をへだてるカーテンのことで数年前まではどの運転士も当然のこととして、運転中はこのカーテンを閉めていた。ところが臨調攻撃の中で、当局は運転士の勤務態度を職制が後ろから監視するためということでカーテンを開けるよう圧力をかけてきた。まず動労が屈服した。カーテンは三枚ある。今日動労はこの三枚をすべて開けている。国労は長くこれと抵抗してきたが、この間後退し、組合員によって違いはあるがいまでは多くが三枚のうち二枚をあけている。しかし動労千葉の乗務員は誰も、一枚もカーテンを開けないで運転席についた。
「ストライキの前までは青年部がたしかに相当がんばりました。しかし、ストライキ過程に入ってからは三〇代、四〇代の人たちが本当にがんばりました。この支部役員クラスの人がスト対象者とか組合員一人一人をゴリゴリオルグしていきました。そういう時になると、ふつうは「オレは家族があるから:…らと逃げる人が多いのに、家族も子供も持つ人が『オレが責任とる』と先頭に立ってストを準備しました。すると、若い私たちよりもすごい重みと説得力を持つわけです。支部三役なんかの迫力と決意、その辺が動労千葉の強さでしょうね」(津田沼支部青年部、S君)
このころまで、中曽根内閣、治安当局、国鉄当局は、動労千葉はスト方針は掲げているものの実際にはスト突入はできないのではないかと読んでいたふしがある。動労はすでに第二鉄労と化して久しく、あの大国労も中央本部の屈服的無方針の下で一歩また一歩と後退を重ねている。その中で「たかが二〇〇名の組合に何ができる」「ストは空叫びだろう」と当局がたかをくくっても、たしかに不思議ではないような状況が国鉄労働運動全体をおおっていた。だが一一月一七日の集会は、動労千葉が、いかなる困難をものりこえてストライキに決起する決意であること、すでにその万全の態勢が整っていることを満天下に明らかにしたのだ。

●ストライキ禁止令
一一月二一日夜、千葉局は管内の全職場に一斉に一つの掲示を張り出した。『区員各位へ 違法ストライキ等について』と題した草木局長名の文書は次のように言っていた。
「いうまでもなく、公労法第一七条により、国鉄職員のストライキ参加は禁止されており、同法第一八条により参加者は解雇されるものと定められております。
まさに国鉄再建の瀬戸際にあるこの時期に、違法な行動に参加されることに対しては、従来の例によらない、厳しい処置を講ぜざるを得ず、万一参加された場合、職員及びご家族の生活基盤の確立において、極めて不幸な事態を招来することは火を見るより明らかであります」
これは、「ご家族の生活基盤」とか「極めて不幸な事態」などというごう慢不遜な言葉を用いて「ストに参加すれば全員解雇」を恫喝するという前代未聞の『スト禁止令』である。しかも千葉局はこの文書を組合員全員の家庭に送付するということまでやった。組合員の家族の中に泥靴でおし入り、これをおどし、引き裂いて、ここからストを切り崩そうという卑劣な手段だ。だがこの、居丈高な、労働者を愚ろうしたスト破壊行為は、労働者を屈服させるどころか、逆にその怒りに油を注ぐ役割しか果さなかった。「全員解雇」の恫喝は、首を覚悟でストに起とうとする組合員の結束をいっそう固めさせるだけだった。
「あれは当局の失敗ですよ。遅すぎますよ。もうみんな腹が固まってから、あんなものが出たってどうしょうもないですよ。けっさくなのは、あの文書のなかに、『家族が不幸な事態になるのは火を見るよりも明らかである』なんて局長名で書いてあるんですが、もうその前に局長の自分の家が(中核派のゲリラで)火を見ちゃっているんですよ(笑)。やっと切り崩しに出てきたか、というような感じでしたね。あれで、組合員がビビルというようなことはなかったですよ。むしろ、ストにおびえているのはどっちかということですよ、ハッキリしたのは」(青年部役員、S君)

●機動隊九五〇〇人体制
中曽根・治安当局にとって、動労千葉の決起は、動労千葉のストそのものとともに、いまひとつの深刻な治安問題をつきつけていた。
ストの前日、一一月二八日から翌二九日にかけて、中核派を中心と
する動労千葉を支援する勢力は、拠点津田沼へ全国から総結集する方針をうち出し、夜を徹しての波状的な集会・デモの申請を出していた。国家権力は、動労千葉のストとともに、このスト支援の部隊の動きに神経をとがらせ、そのすべてを封じ込めるために異常な弾圧態勢をしいた。この背後には、一ヵ月前の一〇月二〇日、三里塚交差点における全学連と機動隊の激突、そこにおける機動隊の潰走が治安当局に与えた深刻な衝撃があった。
一一月二一二日午後、千葉県印旛郡富里村の県道を歩いていたM子さんは、東京方面から機動隊を乗せた装甲車が多数接近してくるのを目撃した。灰色のバスの車体のナンバーから関西方面から来たものと分った。不気味な装甲車の列は一〇〇台近くまでも続いていた。M子さんは戦争でも始まったのかと疑ったという。
三里塚ではすでに一昨年以来、二期着工攻撃があらゆる方向から強まってきたが、この非常に重要な一環として、騒音下菱田地区における成田用水着工が、この二月一.五日から強行されようとしていた。二期が完成された場合、騒音直下に入り廃村の運命にさらされる菱田地区はもともと空港反対運動のもっとも強力な拠点だった。成田用水は、この反対同盟の拠点を二期にむけて解体することを狙った攻撃で、すでにその一部は八四年秋の時点で着工されていたが、八五年秋には、菱田地区の中でもとくに重要な辺田、中郷部落での着工が準備されていた。反対同盟農民の不屈の闘い、さらには一連のゲリラ戦で遅れに遅れていた着工を、国家権力・空港公団はいよいよ一一月二五日から強行する態勢を固めたのだ。そしてまずこの警備のために、全国からなんと九五〇〇人の機動隊を動員したのである。わずか数十戸の小さな農村での用水工事に、北海道、九州をふくむ全国からかき集められた一万人という驚くべき数の機動隊が襲いかかる一ここに中曽根内閣の三里塚二期工事にかける意気ごみ、その中でこの成田用水着工のもつ意味の大きさが示されていた。
関西ナンバーの一〇〇台近い装甲車の列はその一部だった。一〇月二〇日、三里塚芝山連合空港反対同盟が主催する現地集会が三里塚第一公園に全国から一万五千人の労働者、学生、市民を総結集して開かれた。集会では反対同盟農民をはじめ各支援団体から激しい決意表明があいついだが、その最中に、周囲の厳戒態勢を破って数台のトラックが警笛を鳴らして会場内に突入してきた。会場は総立ちになった。同時に集会場中央にいた中核系の全学連学生は直ちに行動を開始、トラックに満載していた石、鉄ハイプ、火炎ビンそして丸太で武装、そのまま会場をとび出し、三里塚交差点からまっすぐ空港第二ゲートにむけた突撃に移った。三里塚交差点に阻止線を張る警視庁機動隊との激突は二時間半におよんだ。その激しさをマスコミは「市街戦」と呼んだ。機動隊はここでかろうじて全学連の進撃をくい止めるが、しかし壊滅的ともいえる打撃を受けた。七〇年闘争以来はじめてともいえる街頭での致命的な敗北だった。七〇年以来、重装備の機動隊を大量にくり出して街頭におけるいっさいのデモを封じ込め、無力化するという警備方針そのものがまさに決定的にうち破られたのである。機動隊神話が崩壊したのだ。
これは治安当局に対して、さらには中曽根内閣そのものに強烈なインパクトを与えた。そしてまさにこの一〇月二〇日の事態を二度と許してはならないという中曽根-後藤田の政治意志に基づいて、警察庁は、一一月二五日から始めようとしていた成田用水工事に一万の機動隊を動員したのである。そしてこの一万を一一月二七日まで三里塚にはりつけ、さらに同じ理由からそれをそのまま二八、二九日の両日、動労千葉のストとその支援行動圧殺のための大警備体制にふりむけたのだ。
ここで彼らは、津田沼に総結集の方針を出している支援の動きを封じ、さらに中核派のゲリラ防止を口実として一万の機動隊で総武線を十重二十重にとりかこみ、その圧力の下で動労千葉のストそのものをも圧殺しようとしたのである。

●ストライキ戦術を決定
一一月二一日、千葉市要町にある動力車会館で、第三回支部代表者会議が開催され、ストライキ戦術の意志統一がはかられ、次のことが決定された。
具体的戦術・方針
一,闘いの目標
①国鉄分割・民営化阻止
②一〇万人首切り合理化粉砕
一〇・九『今後の要員体制のあり方について」撤回
③雇用安定協約完全締結
④運転保安確立、検修合理化阻止、国鉄を.第二の日航”にするな
⑤団交拒否・形骸化と不当差別・選別の強権的労務政策糾弾、不当処分撤回
二、戦術の基本

①一一月二九日、始発時より総武線千葉以西の全列車を対象とする二四時間ストライキとする。(但し、貨物列車を除く)
②前項にかかわらず、次の事態が発生した場合は、スト突入時間の繰り上げ・スト対象区の拡大(千葉駅に乗り入れる全列車)をもって対応する。
1、構内・庁舎から組合員の強制排除・官憲の導入
2、スト破り行為

③従って、一一月二八日以降、全支部・全組合員によるスト突入体制を確立する。
④国鉄労働組合に対し、従前の通りB変仕業の拒否を申し入れる。
⑤一一月二八日、一七時三〇分より、津田沼電車区・千葉運転区においてスト前夜総決起集会を開催する。
三,ストライキ前段の取り組み

①全組合員が「業務命令」「保護願い」を絶対に受け取らず拒否する体制の確立
②全支部籠城体制・常時連絡体制確立
③当局の動向把握、現場長交渉の追求
④国労共闘の強化
ここに出てくるB変仕業について簡単に説明しておこう。一般的にB変仕業というのはダイヤを構成する車両運用=A、乗務員運用=Bのうち、乗務員運用で本仕業と異なる変仕業を組むことである。
したがって、ストの際のB変仕業とは、スト破り行為を意味する。
列車運行には乗務員と列車が必要だが、A変仕業は交番(ダイヤ)で決められたある乗務員が所定の列車とは異なる別の列車を使って運行することで、B変仕業はある列車に所定の乗務員とは異なる乗務員が乗って運行することである。したがって、当局がストに入った甲労組の乗務員が降りたあと、新たにスト破りダイヤを組み乙労組の乗務員が乗って運転すればストは無意味になるわけで、これがB変仕業=スト破りにあたる。
一一月一二日に決定された戦術のポイントは、①一一月二九日始発時より総武線緩行(千葉一三鷹)、快速(千葉一東京)を対象に二四時間ストに突入する、②国鉄当局・権力のスト破壊があった場合はスト時間の繰り上げ、スト対象の拡大を行う、③国労に当局のスト破り行為の要求には応じないよう求める、というところにある。とくに重要なのは国労との関係であった。

 もともと中曽根の国鉄分割・民営化攻撃を阻止することができるか否かは、国鉄労働者の過半を制する国労の動向が決定的な位置を占めている。動労千葉という一一〇〇人の組合があえて首をかけて一一月ストに決起するのは、必ず国労傘下の、あるいは動労傘下をふくむ、何万、何十万の国鉄労働者がそれに続いて決起することを期待し、確信したからに他ならない。動労千葉はそこに一切をかけて決起したのだ。
それだけではなく、この動労千葉の第一波ストじしんにとっても、国労の動向は決定的な意味をもっていた。今回スト対象となった総武線快速と緩行はすべて動労千葉組合員が運転しているわけではない。快速の方はすべて千葉運転区の乗務員が動かしているが、その内訳は動労千葉が約五割で残りは国労。緩行の方は津田沼電車区の動労千葉が三割で残りは津田沼の国労が三割、さらに中野電車区の国労が三割、動労が一割となっている。したがって、動労千葉が単独ストを行なった場合、快速が五割、緩行が三割ストップすることになる。しかしこれだけの電車がストップした場合、ホームにあふれる大量の乗客を、安全に輸送することは至難の業となる。そこで、国鉄当局はこれまでの例では初めからすべての電車を運休し混乱を避ける方法をとってきた。ところが、当局は今回は、国労、動労をスト破りに動員することであくまでも運行を強行しようとしたのだ。
「ストをやっても電車はく」「ストは無力」という重圧を加え、動労千葉ストの影響をゼロにしょうとしたのである。

●当局の狙い、国労の動き
 動労千葉は、ストライキに入るにあたって、国鉄分割・民営化攻撃に対しともにたたかって国鉄労働者の生活と権利を守るという立場から、一一月一二日国労千葉地方本部(本吉好夫委員長)に「共闘強化に関する申し入れ」を行った。これにもとづいて二二日には動労千葉と国労千葉の話し合いがもたれ、国労側は「お互いの立場を尊重しつつ、要求で一致した内容について、共闘の話し合いを進める」と提起。動労千葉は名札・ワッペン・カーテン問題等の共闘についての前提条件が確保された点を評価、一一・二九ストについて「スト破りにわたるようなことはしないで協力してほしい」旨、申し入れた。国労は「本部と相談して回答する」と答えた。
その後、さまざまな折衝のなかで、国労本部、千葉地本、東京地本
の各指導部は「スト破りはしない」「原則的に対処する」と言明していた。にもかかわらず、一一月二五日国労千葉地本は、国労本部方針が「①動労千葉とは共闘しない②ストの妨害はしない③業務命令の扱いは従来どおり」であることを明らかにした。③は「当局の業務命令が出されたらそれに従う」というものであり、実際はスト破り以外のなにものでもない。しかも、国労本部は二月二八日(スト前日)に予定されていた動労千葉青年部と国労千葉青年部の共闘集会は中止するという指示をおろしてきた。
 スト破りはいうまでもなく労働者にとって最も恥ずべき裏切り行為である。国労がこのように他の組合のストライキに対しスト破りを行うなどということは、結成以来一度もないことである。この国
労中央の方針に対し、国労千葉地本の津田沼、千葉転の両分会においては、後述するように激しい反対意見が噴出、激論がたたかわされ、最終的には二九日未明の段階でこれがくつがえされることにな
る。だがそれまで国労本部は、あくまでも「業務命令には従う」という実質的なスト破りの方針をおし貫こうとしていた。だがこれは動労千葉の組合員にとっては、たとえ動労千葉の組合員が二四時間ストに入っても、その穴が業務命令に従う国労、動労の組合員によってうめられ、総武線は通常通り動くということを意味した。これは「全員解雇」の恫喝よりもさらに重く動労千葉の労働者の上にのしかかった。まさに国鉄労働運動史上これまで例を見たことのない悪質なスト破り策動が組織されたのである。もちろんこのような国労中央の動きの背後には動労・松崎の暗躍があり、またなによりも中曽根、国鉄当局の圧力があった。「業務命令に従わなければ国労組合員も解雇する」という恫喝に、国労中央は屈したのである。
スト決行日が迫るにつれて、動労千葉を重包囲し絞殺せんとする密集した反動の嵐はさらに常軌を逸したものになっていった。
一一月二六日午後六時、広大な津田沼電車区のかたわらに一台のクレーン車、三台のトレーラーが停まった。そして、ごうごうたるライトのなかで時ならぬ突貫工事が始まった。電車区の外周沿いに三〇〇メートルにわたって高さ一〇メートルのコンクリート柱が何十本も立てられ、それに金属製の網が張られた。巨大な防石ネット
である。さらに翌二七日、今度は電車区構内の入口付近から組合事務所前、電車区庁舎一帯にかけてレール道床を覆う黒のネットがこれまた突貫工事で敷かれた。採石・投石防止ネットである。
国労、動労を使ったスト破りは二九日のスト破りダイヤを作成し、これに国労組合員で「過員」として「業務開発センター」に押し込んでいた要員をひきあげたり、ふだんは運転乗務しない指導員や予備乗務員をひっぱり出して業務命令を出しスト破り要員として動員する作業が着々と進められていた。
当局の狙いはもはや明らかであった。一方で津田沼電車区の防石ネット、レール道床ネットに示されるように、権力・機動隊を導入して動労千葉組合員を構内から暴力的に排除し、他方でその戒厳的な制圧体制のもとで国労などの乗務員に威嚇を加え乗務を強制して電車を動かし、動労千葉のストライキを完全に不発に終らせようとしているのだ。
ここにおいて、動労千葉執行部は、当初の警告どおり、スト繰り上げ戦術を決断した。一一月二七日午後一時、動労千葉執行委員会が開かれ、当局の不法不当なスト破り行為からストライキを守り貫徹するために、二九日実施の予定を二八日に繰り上げ、「二八日正から二四時間ストに突入(二九日正午まで)」することが決定された。労働者の権利を否定し団結を破壊する当局の攻撃からストライキを防衛するための当然の措置である。かくして、決戦の火ぶたは切って落とされた。

二七日午後四時、中野委員長と吉岡一教宣部長(34)が記者会見を行い、スト繰り上げ戦術を発表。マスコミ各社は一斉に「動労千葉がスト繰り上げ」のニュースを報じた。
午後五時ごろ、国鉄当局、千葉局は、千葉駅、船橋駅など沿線各駅で「二九日のストで電車の運休、遅延が予想されるので旅行などは見合わせるよう」呼びかける立て看板を掲示し、同趣旨のチラシをまいていたが、動労千葉の戦術転換に不意をうたれ、右往左往の混乱。あわてて看板を撤去、ストが繰り上がったことを構内アナウンスで繰り返す。
国鉄当局は自らのスト破壊行為が招き寄せたものでありながら、スト繰り上げ戦術に不意を打たれ、大きなショックをうけた。これで、事前に準備を進めていた二九日の「スト破りダイヤ」はふっとんでしまった。
だが中曽根・国鉄当局は、弱気になる千葉局を恫喝しながら、国鉄首都圏本部とその下にある東京南、北、西三局の鉄道公安官、白腕章を千葉局に総動員する一方、三里塚での成田用水工事にはりつ
いていた一万の機動隊を予定をくりあげ千葉と津田沼に向わせた。動労千葉は、ストライキ指導のため、本部から、千葉運転区支部に山口敏雄副委員長、西森厳総務部長を、津田沼電車区支部に水野正美副委員長、片岡一博企画部長を配置、東千葉の組合本部には中野委員長、布施宇一書記長らが詰めた。両拠点支部の組合事務所には、永田、山下両支部長ら三役をはじめ支部役員が全員徹夜体制。青年部、ストライキ行動隊が支部役員の指示に従ってテキパキ動き、深夜まで最後の準備にたち働いた。

三、ストライキ

●ついにストに突入
 一九八五年一一月二八日、いよいよ偉大なストライキの日を迎えた。
午前四時、津田沼支部では泊り込んでいた組合員五〇人全員が起床。執行部はほとんど眠っていない。外はまだ暗く、寒い。構内に長く伸びる何十本ものレールが、闇の中に点在するライトで鈍く光る。青年部の連中がころがっていたドラムカンを持って来て、事務所前でたき火を始め、暖をとる。輪になって火を囲みながら、ついに迎えたたたかいの日への話がはずむ。
同じころ、千葉転支部では、庁舎五階にある乗務員詰所で徹夜した執行部が、一番乗務の乗務員を送り出していた。
午前五時.津田沼、千葉転とも、スト突入乗務員の激励送り出し行動が始まった。今回は「正午を期してスト突入」というこれまでとったことのない戦術で、一二時以降の交番の電車に乗務しないということだ。一二時以後の乗務になっている組合員ははじめから電車に乗らないわけだが、それ以前から乗務している組合員は途中で電車を降りてしまうわけである。したがって正午からスト突入という戦術は、ダイヤの混乱という点では、午前0時からストに突入する場合にくらべはるかに効果の大きい戦術である。国鉄では前例がないという。そこで、一二時段階で乗務していることになる乗務員を激励して送り出すわけである。
千葉転では、最初にそれにあたるA組合員が当直室に入り仕業の点呼をうけた。
当直助役「今日、全行程乗って頂けますね」
A組合員「組合の指示に従います」
当直はもう一度恫喝的に大声でくり返した。
「今日、全行程乗って頂けますね」

かし、答えは同じであった。当局はさらにもう一度同じことを声高に言ったが、「ストをやるな」という威嚇をものともしないA組合員の毅然たる態度にそれ以上は諦めた。
総武線快速を運転するA組合員は、錦糸町駅でスト突入となり、その電車はそこで立往生することになる。点呼を終えたA組合員は本部役員、支部執行部、同僚の組合員の「がんばれよ!」の声に見送られて出ていった。すぐ近くの千葉駅に向かうのだ。こうして、乗務中にストに突入する組合員計一四名が仲間たちの激励のなかを次々と運転区をあとにしていった。
同じころ、津田沼電車区では、組合事務所前で、引き込み線から出てくる、一二時からストに入る乗務員の乗った総武線緩行の黄色電車への激励行動が行われていた。津田沼支部青年部約一〇名が電車が出庫し通過するたびにハンドマイク・旗ザオ・拍手で激励するのだ。乗務する組合員は、それに少し照れながら手をふって応えた。
一五分おきぐらいに通過する列車のすべてに、ナッパ服に白ヘルの
青年部ストライキ行動隊がシュプレヒコールで激励した。一段落して、再びたき火を囲んでいる時、誰かが「今日は皆、電車を動かすためにではなく、止めるために乗って出ていくんだっぺ」と言った。
午前七時すぎ、津田沼駅前では動労千葉支援共闘会議に結集する全学連・反戦青年委員会の部隊四〇名が通勤客にストヘの理解を求めるビラ配りを始めた。錦糸町駅から千葉駅まで全駅で連日行われている支援のビラ配りは沿線住民の理解を高めるのに大きな力を発揮した。動労千葉激励の声がよくかけられる。
午前七時五〇分、津田沼電車区。地上検査・修理などの地上勤務者や公休だが今日は出てきた組合員が次々と組合事務所に顔を出す。「おはよっす」「ごくろうさまです」「今日はがんばろうぜ」の声がとびかう。誰かが買ってきた朝刊に泊り込みの青年部がむらがる。
「総武線きょう繰り上げスト千葉動労正午から二四時間」と大きく報じられている。
「今朝起きたら、かあちゃんが『明日はいよいよストだと思うとタベは眠れんかったよ。とうちゃん、クビになったらどうすつかねえ』としみじみ言ってね、ちょっとかわいそうだったよ」
「うちは、小さい方の子供がよ「おとうさん、今日ストなんでしょう。かあちゃんから聞いた。ボク、もうおもちや買ってくれなくてもいいからね』と言ってきてね。すると大きい方のが『おとうさん、ポク大学諦めなけりゃあいけない?』と訊いたので、『いいや、止めなくたっていいよ。とうちゃん、ちゃんとがんばっていかしてやっから」と言ってやったよ」
こうした会話が悲愴感に満ちてではなく明るくかわされる。
そんなところに、出勤してきたばかりのある中年組合員が、レールを覆う防石ネットを見て怒った。「なんだいこれは?こんなもん、いらねえや。金魚ばちのフタにすれば猫が金魚とらなくて丁度いいや。もらって帰るよ」と言ってバリバリ引っぱがし始めた。
それを見て別の年輩組合員も「寒冷紗のかわりにいいんじゃないか」と言って手伝い始めた。あっという間に組合事務所の近くははがされてしまった。
午前九時、津田沼電車区。着替えをつめこんだバッグを持った白腕章(局の課員)、鉄道公安官ら三~四〇人がゾロゾロと構内に入ってくる。スト破り要員の第一陣だ。当局側はこの時間を期して津田沼電車区区長室に現地対策本部を設置。管理職ら二〇〇人を配置した。いよいよ、戦闘開始だ。
午前九時半、千葉転に、外周区の勝浦、銚子支部などから青年部を先頭に続々組合員が集まってきた。乗務員詰所は動労千葉組合員でいっぱいになり、さらに活気にあふれた。こちらも津田沼に負けぬ明るい雰囲気だ。同じころ、津田沼でも、幕張、新小岩支部青年部が到着。青年部ストライキ行動隊は総勢五〇名近くに。全員白ヘル・ナッパ服の戦闘スタイル。
午前一〇時、警察機動隊が千葉駅、津田沼駅周辺に一斉に配置に就いた。国鉄千葉駅から千葉運転区にかけておびただしい数の機動隊員。同駅わきの千葉鉄道管理局ビルの駐車場には放水車も含めアリの子一匹入れないほどのものものしい警戒ぶり。他方津田沼駅から津田沼電車区までは何重もの検問体制。とりわけ電車区入口は放水車、装甲車、指揮官車がビッシリで異様な緊張状態。電車区は文字どおり包囲された。
午前一〇時すぎ、千葉転の庁舎入口を東京南局の白腕章三〇人が封鎖しようとする。これは青年部の抗議で阻止されるが、一一時二五分には川名運転区長を先頭とする白腕数名が千葉転の乗務員詰所に来て、動労千葉組合員の退去を通告する。激しい怒声がむかえうつ。津田沼では、電車区周囲をジュラルミンの盾をもった何千という機動隊がぐるりととりかこむなか、午前一一時一〇分、おびただしい数の白腕章、公安官、職制が隊をなして構内に入ってきた。その数およそ五〇〇。

●息づまる攻防
 午前一一時五五分、動力車会館で指揮をとっていた布施書記長が一〇の支部に次々と電話で「スト突入」を指令した。午前一一時五七分、動労千葉・津田沼支部執行部が津田沼電車区に「スト突入」を通告。一気に緊張が高まる。
 津田沼支部は組合事務所前で「スト突入総決起集会」を開く。集会前面に青年部の持つ「スト突入集会」の横断幕。集会横には「二八日第一波スト突入我々は奴隷の道を拒否する全国鉄労働者よ! 団結せよ動労千葉」の立看板。マスコ、ミ各社のテレビカメラが、斉に回り始めるなか、約一〇〇名の組合員を前に水野副委員長、山下支部長が「分割・民営化阻止するため、断固たたかいぬこう」
とあいさつ。
一二時、ついにストライキに突入。千葉転では時報を告げるチャイムが鳴るや、若い青年部員が思わず「ストライキをやるぞっ」と詰所の窓をあけて外に向かって叫んだ。午後一二時一五分、千葉転。
一二時を期してストに突入し千葉駅で電車を降りて来た組合員が詰所に姿を現わす。皆、一斉に拍手と歓声で迎えた。
午後一二時二四分、津田沼支部。中野駅に向かった収容班から「ストに突入し、無事乗務員を確保した」との電話が入る。津田沼駅では、中野発千葉行き普通電車が到着。交代の乗務員がいないため、運転を打ち切る。ストの影響が出始める。午後一時一五分津田沼電車区に運転不能と当局が判断し運休となった電車が入庫してくる。ストに押された当局は間引き運転を始めたのだ。
こうして動労千葉の二四時間ストは敵権力・当局の重包囲の中でスタートを切った。だがそれと同時に、国鉄当局による国労、動労組合員を動員したスト破り策動もまた全力で開始された。一二時五〇分、津田沼で国労の乗務員が、ストに入った動労千葉乗務員の降りた電車に乗って運転していることが判明した。さらに午後一時三〇分には、驚くべきことに国労津田沼分会の組合役員がスト破りを働いていたことも判明。さらに午後二時三〇分、千葉運転区でも国労一部組合員がスト破りをしていることが判明した。永田支部長が国労千葉運転区分会にただちに怒りの抗議。「分会長は国労が乗るスジ以外には乗らないと言っていたが、乗っている。どうなっているんだ」。
国労と動労千葉という所属組合の違いはあるにせよ、ふだんは同じ職場で働く顔みしりの仲間同士である。その仲間の中からスト破りに走る者が出たのだ。ストに突入し.電車を降りて詰所にもどってきた動労千葉の組合員が、国労のスト破りの報を聞いて「なんだ、オレの電車は動いてるのか。誰が運転しているんだ」とけわしい顔で叫ぶ。詰所にはあらゆるところに「国労のみなさん、ともに起ちあがろう動労千葉」というステッカーが張りめぐらされている。
当局がカサにかかって圧力を強めてきた。千葉転詰所では、一二時三〇分、同時六分と再三にわたって退去通告が行われ、報道陣のカメラのライトの中で総立ちの組合員との激しいやりとりが続いた。
ぎりぎりの息づまる攻防の中で時間が過ぎていった。
動労千葉は正午を期してストに突入した。一人の脱落者もいない。ストは百パーセント貫徹されている。だがこれで総武線にどれだけの影響が出るかは国労の動きにかかっている。もし国労が当局の指示に従って全面的なスト破りに走るなら、総武線はほとんど影響を受けない。そうなれば動労千葉のストライキは、ただ動労千葉の組合員に無力感と絶望感だけを残すことになるだろう。そんなはずはない。正午のスト突入以降、動労千葉一一〇〇名の誰もがかたずをのんで国労の動きを注視していた。その中で一人また二人と、国労組合員が当局の圧力に屈してスト破りを行っているという報せが入ってきた。千葉転でも津田沼でも、明らかに動労千葉組合員の中にいらだちが広がっていった。「どうなっているんだ」「国労の連中は何を考えているんだ」。
スト破りはとくに千葉転で激しかった。午後三時、当局が乗務点を正規の運転区庁舎内ではなく千葉駅ホーム上の統合詰所で行い、ス卜破り乗務を強制していることが判明した。本来点呼を行う庁舎詰め所には動労千葉の組合員が大勢いるため、国労のスト破り要員をコソコソ、ホームに集めていたのだ。青年部を先頭に抗議に行く。そこでは恐るべき光景が展開されていた。
「本来乗務員が休み待機している部屋なのに、本社とか西局の白腕章が鉄道公安官に守られて二〇人ぐらいで大きな顔をしてのさばっているわけ。中には寝そべっている奴もいてね。それだけでオレなんかムカッときたね。それで、国労の運転手が隅っこの畳の部屋でえらく小さくなっているわけ。そこに、運転を終えて疲れ切って国労の運転手が一人で戻って来ると、待ち構えていた白腕章が紙を渡してまた乗れと言ってるわけ。組合が方針を出してないもんだから、疲れきっているのに半ベソかきながらまた乗ってましたよ。『もう自分の乗務時間は済んでいるんだから帰んな』と言ったんだけど、おびえちゃってね、乗るわけですよ。むしろかわいそうでしたよ。当局の前に一人ひとり裸で投げ出されてるわけですから。
オレは頭に来てね。本社の白腕章に分割・民営化についてどう思うのか責任あることを言ってくれ、というと、何も言えずに下を向くわけ。何十年も国鉄で働いてクビ切られることに抗議してストやるのはいいことか悪いのか答えてくれっていってもうなだれるだけなのね。あんたの明日の身だって分んないんだよ、と言ってやったら、そいつは出て行ったよ」(千葉転支部執行委員、Sさん)

●国労津田沼分会の苦闘
 だがこのころ、国労千葉地本、とりわけ国労津田沼分会の中では、ある意味では動労千葉の労働者がおかれているよりさらに厳しい状況の中で激烈な論議がたたかわされ、攻防がくりひろげられていた。国労本部が一一月二五日の段階で、「業務命令が出た場合はそれに従う」どいう実質的なスト破り方針をうち出したことはすでに触れた。国労千葉地本はこの方針にそって分会指導をすすめ、たとえば二八日に計画されていた青年部段階での動労千葉と国労千葉の共闘集会も中止させた。だがこのような方針を、国労千葉の労働者は決して黙って受け入れてはいなかった。ここですこし時間を逆のぼって国労千葉の動きをあとづけることにしよう。

動労千葉の一一月ストライキ方針は、国労千葉組合員に強い衝撃を与えた。とりわけスト拠点になる津田沼電車区と千葉運転区においては、動労千葉ストにどう対応すべきなのかが早くから、国労組合員の間で問題となった。それは、たんに動労千葉ストに国労はどう対応するのかという次元ではなく、国鉄分割・民営化攻撃に国労としてどうたたかうのか、という自分自身の問題としてあった。
一〇月三一日、国労津田沼電車区分会青年部は定期委員会において、「本来なら国労がストライキで闘うべきだけれども、国労はストの方針が出されていない」という状況を確認したうえで『動労千葉スト支援の特別決議』を満場一致で決めた。
「国鉄分割・民営化攻撃は、一〇万人首切りをもって国鉄労働運動の解体、ひいては日本の労働運動の背骨をたたきおり、『何も言えない労働者」「よく言う事をきく労働者」をつくりあげようとしている。三人に一人の首切り、運転職場においては、二人に一人の首切りである。しかし国労をたたきつぶす攻撃であるかぎり二人に一人も残れないのである。一年間に一〇万人にも及ぶ労働者の首を切る事、こんな事が許されてもいいのか。今こそ我々青年部を先頭に起ち上がらなければならない。
ストライキは労働者の最大の武器なのである。今、闘わずしていつ闘うのか。ストライキで闘う以外に勝利の道はないのである。国労一八万人が本当に決起した時に、首切り攻撃は粉砕されるのだ。
動労千葉の労働者は、首をかけ、生活をかけ一一月末ストライキに決起している。本当に分割・民営化に反対し、一〇万人首切りを許さないために、国鉄労働者として闘わなければならないのである。
青年部は、重大な決意をもって、動労千葉の一一月ストに対し『スト破りはしない』『B変仕業はやらない』等、できるすべてをもって支援しなければならない」
国労もともにストでたたかうべきではないのか、ましてスト破りは絶対嫌だ、という声は、津田沼電車区分会でも、千葉運転区分会でも乗務員を中心に大きくなり始めた。とりわけ、津田沼分会では動労千葉との共闘関係が歴史的に強かったこともあって、よりはつきりした形をとっていった。
一一月一九日、国労津田沼分会の執行委員会が開かれ、動労千葉ストを支援すべきだという意見が出された。協会派が「自分の組合がストに入っていなければ乗務してもスト破りではない」と言ったことをめぐって激論となり、「いややはりスト破りだ、同じ労働者として支援すべきだ」という意見が強く出され、スト破りはしないよう地本に要請することで集約された。二二日、分会三役によってその申し入れが地本に行われた。
一一月二五日、地本でストライキ対策関係分会長会議が開かれ、先に述べた三点の国労本部方針が伝えられた。スト破りを強制する国労本部方針に対する両分会組合員の怒りは激しかった。津田沼電車区分会ではただちに乗務員の非番者集会が開かれた。それは、二五、六、七日の三日間にも及んだ。
二五、六日の非番者集会には、スト破り列車乗務を強制させられることになる乗務員が強い関心を寄せ、乗務前や乗務後の組合員が双々と詰めかけた。分会役員が「みんなの気持はわかるが、本部方針なので業務命令が出たら乗務しなければならない」と説明したのに対し、組合員の怒りが噴出した。「スト破りは嫌だ」「オレは業務命令が出たら拒否するぞ」「同じ職場の仲間がクビをかけてたたか っているのに裏切れると思うのか」「スト破りで乗務したら安全は
どうなるのか」「オレは本線に出たら動労千葉に連帯して少しでも遅らせてやる」などの意見が相次いだ。そして、ついに「分会では話にならない、地本を呼べ」ということになった。二七日の非番者集会には、地本業務部長が出席した。しかし、本部方針をくり返すだけで「自分の判断では何も言えない」という業務部長に組合員の怒りがたたきつけられ、結局「分会の意見は地本に持って行く」こととなった。非番者集会終了後、分会執行委員会が開かれ、なおも「国労のスト指令が出されていないのだから、当局が乗れと言えば乗ってもよい」と言い張る協会派役員に「はっきりさせろ。あれはスト破り方針だ」「これではやっていけない」という主張が全体を制し、「①動労千葉の行路に国労は乗らない②業務命令は出させない③混乱が生じたら(運転を中断し)ハンドルを持って身の安全をはかる」ことを地本に上申することとなった。
ち ょうどそのとき、動労千葉のスト繰り上げの’ニースが入ったため、ただちに千葉運転区分会とともに分会役員は地本に向かった。
ところが地本書記長は「動労千葉の具体的戦術が分らなかったので何も準備していない」と言うのみ。「地本としてスト破りをやらない方針を出せ」という追及に対し「地本では対応できない。明日本部中開(中央闘争委員)が津田沼に行くから、言うことがあれば言えばいい」という有様であった。
すでにこの段階で、千葉運転区分会の方では、「国労方針では責任を持てない」として分会執行部の五名が辞職を申し出る事態が発生していた。
一一月二八日、動労千葉のスト突入を目前にした午前二時半、国労本部の渡辺和彦中闘、国労千葉地本副委員長ら役員が津田沼電車区構内にある分会の組合事務所に到着、ただちに執行委員会が開かれた。組合員も多数つめかけ息をつめて聴いている。渡辺本部中開は「本部方針でやってもらう。国労としては共闘しない。動労千葉の目的が主体的ではなく政治的なものだ。業務命令や予備の問題はケース・バイ・ケースで区当局とやる。たとえ業務命令を拒否しても国労としては面倒をみない。業務命令が出たら動労千葉の行路にも乗れ」と述べた。
渡辺中間発言に、つめかけていた分会組合員の不満が爆発した。
「ふざけるな。それはスト破りしろということだ」「なんで本部はたたかう方針をださねえんだ」「なんのためにオレたちは組合費を払ってきたんだ」……。怒りにふるえた組合員は本部役員のエリ首をつかまんばかりに詰めより、激しく追及した。「スト破りは絶対できないぞ」「業務命令拒否は本部扱いにしろ」。
 追及の最中、動労千葉がストに入り、国労の組合員がスト破りを行ったという報告が入った。もはや分会の方針でやるしかないと判断した分会役員は、駅ホームや国労乗務員への連絡を開始した。乗務員が交代する津田沼駅では国労組合員を国労の行路以外には乗せないよう必死になって手配し、スト列車は電車区に入区させるよう当局を追及した。
このような状況のなかで、国労組合員は多くの混乱と苦闘を強いられた。一方では国労分会役員と青年部の必死の奮闘で運休はどんどん増えていった。しかし、他方では役員の手が回らないところで当局の指示に従い所定以外の電車に乗る国労の乗務員が次々出てきた。ある組合員はスト破り乗務を拒否しようとしたが協会派役員に恫喝され泣く泣く乗ってしまった。また、ある国労組合員の場合は、点呼を終えて電車区の電車に乗ったあと急きょその電車が運休となったにもかかわらず、当局が運休を連絡し忘れたのを衝いて、実に七時間も電車のなかに立てこもっていた。真暗になってから姿をあらわしたこの組合員は「スト破りは嫌だ。少しでもストに協力したかった」といって、行方を心配していた仲間の大きな拍手で迎えられた。
こうして、動労干葉のストライキが、国労をもまき込みながら白熱した攻防をくりひろげている最中、午後二時四〇分、津田沼でひとつの重大な事件が発生した。この日午後の乗務を予定していた国労千葉地本津田沼分会のH(25)、S(26)の二名の組合員が「スト破りは絶対嫌だ」といって国労を脱退、動労千葉への加盟を申し込んできたのだ。動労千葉は、決して国労の個々の労働者を個別的にひきぬいて、動労干葉に獲得しようなどという組織方針をとっていない。むしろ国労組合員が国労の中で、国労の戦闘的再生をかけて起ちあがることを望んでいる。だがこの場合はそうもいっていられなかった。二人は「スト破りはやらない」「業務命令は拒否する」と固く決意していた。だが国労の方針に反して国労組合員がストに入れば、自動的に本人が解雇になる。動労千葉は二人の加盟を認めた。
二人はただちに午後三時台の乗務を拒否してストライキに入った。二人の国労組合員の決起の報はたちまちのうちに動労千葉一一〇〇名に伝えられた。ついに国労の中からの決起が始まったのだ。これはなによりも動労千葉を勇気づけた。しかもこの二人の決起は、決して国労の中の一握りの例外的分子の決起なのではない。二人の背後には国労津田沼分会乗務員の丸ごとの決起、総反乱が進行していた。そしてさらにその背後には国労千葉の闘いがあり、さらに国労一八万の闘いがあるのだ。決起ははじまったばかりである。
当局の攻撃と国労中央の屈服的方針をけってあえて茨の道を選んだSさんはこう語っている。
「オレとしてはね、国労がしっかりした方針を持ってれば乗務してたわけですよ。今まで国労で七年間やってきたわけですから、動労千葉に入ってストやるというのも並大抵じゃないからね。でも、あのままじゃあ納得いかなかったから。駅助勤の名札問題のころから組合の対応がしっかりしてないと組合に言ってきたんですよ。ストの日は出勤が一五時台だったんだけど朝一〇時に出て来て、組合の方針をきいたんですよ。スト破りというのはやっぱり労働者としてやるべきことじゃあないからね。昼ごろ分会、地本、本部の人の話しをきいて『業務命令が出たら乗るしかない。スト破りはやむをえない。この方針は変わらない』というのを聞いてね、このまま乗ればスト破りになってしまう、動労千葉の仲間を裏切ることはできないと、自分なりに考えて決めたわけですよ。最終的に決断したのは出勤一時間前です。そこで動労千葉に入ってストに入るしかないと思いました。国労に入ったとき「国労三〇年の歩み』をもらいましたが、それにスト破りはいけないと書いてありましたからね。動労千葉一一〇〇名がストに入るんですから、大きい組合である国労はバックアップしてやるのが本当でしょう。そうすれば分割・民営化反対のストは何倍にもなるでしょうよ」(津田沼電車区、Sさん)

四、展望

●闘う人民の激励と共感
 午後三時一五分、テレビ・ニュース「総武線数十分の遅れ、一〇〇万人の足に影響」と報道。このころ、関西実行委の山本善偉、加辺永吉さんや三里塚反対同盟の鈴木幸司、郡司とめさんらが動労千葉の津田沼、千葉転支部を訪れ、撒布、カンバ、おにぎり、とん汁、ピーナッツなどの差し入れを行う。
午後四時○○分、津田沼に、ストに突入した乗務員が収容班と一緒にまとまって帰ってくる。大きな歓声と拍手。午後四時半、千葉運転区に支援の労働者・学生の部隊一〇〇名が宣伝力ー、横断幕を先頭に姿を現わす。詰所の組合員は「支援が来たぞ」とドンと窓際へ。庁舎前入口で向かいあって激励集会を開く。同じころ津田沼電車区でも、津田沼公園から出発した支援共闘のデモの声が聞こえてきて、青年部はただちにシュプレヒコールで応えた。
午後五時半、千葉運転区庁舎前で「スト貫徹・千葉転支部激励集会」を二〇〇名で開く。他方、津田沼電車区では、幕張支部、新小岩支部組合員と合流し、午後六時から「スト貫徹総決起集会」を開くことになっていた。ところが、当局覚「部外者は一切構内に入れない。他支部の組合員を入れると津田沼支部組合員も全員排除する」と通告し出入口の全てを機動隊と公安官でふさいでしまった。
青年部は「構内でデモをすると全員排除する」という権力・当局の恫喝をはねのけて断固たる怒りの構内デモを行った。
午後六時五〇分、千葉市要町の千葉市民会館で「スト貫徹総決起集会」。津田沼、千葉転以外の動労千葉の組合員約四〇〇名を前に中野委員長が権力、当局のスト破壊攻撃を粉砕してスト第一日目のたたかいを圧倒的に貫徹したことを報告し第二日目への奮闘を訴えた。
午後七時、NHKテレビニュースは、動労千葉ストによって総武線緩行、快速とも大きく乱れていることを報じた。

●スト破りに労働者の怒り
 午後七時三〇分、津田沼電車区。当局は、電車区庁舎二階の乗員詰所で待機していた組合員に「退去通告」を告げ、「退去しないなら機動隊を入れる」と言ってきた。スト第一日目をたたかいぬいた組合員が、そのまま乗務員詰所で大挙ろう城・待機体制に入ることを阻止しようというのだ。同時にこれは、動労千葉組合員が、乗務員詰所内外で、スト破り列車を運転した国労乗務員に怒りを爆発させ責任を厳しく追及し始めたことへの恐怖でもあった。
「国労で乗った人間は追及されると、『済みません、ごめんなさい』でかわいそうな位でした。一人はオレの同期でね、カードになっている決められた自分の乗務が終ってから、さらにカードもう一枚分乗務してるんです。誰の判断かときいたら分会長だというんですから、本人は犠牲者みたいなもんですよ。でもスト破りはスト破りだから。もう一人オレの同期が国労にいて見習も一緒にやった仲のいいやつなんです。そいつも、乗っていたんです。オレは友達だったけど許さなかった。皆がいる前で、『手前だけいい子になって残ろうと思うんじゃない、この野郎』とどなったんです。そのあと夜なが家に電話がかかってきて『済みませんでした。あのときはどうしょうもなかった…』というんです。でも、もう口もききたくなかったから……。毎年忘年会やっている一番親しいやつだったんだけどね」(津田沼支部、Tさん)
同じことは千葉転支部でも起こっていた。乗務員詰所は一〇〇名余の動労干葉組合員で埋まり、国労組合員は詰所に姿を現わすことができなかった。だが、動労千葉組合員は国労のスト破り乗務員をいたるところで弾劾した。ここでも、国労乗務員はうなだれるばかりであった。
「千葉転では『業務命令』は出ていなかったのに、国労の役員が率先して乗せたという事実があるわけです。日共の役員なんか予備乗務員なのに、東京・千葉間を二往復もしているわけです。ボクの同期も国労にいたのですが、スト破りの意味すらよく分らないという有様でした。青年部は先頭で弾劾しました」(新藤青年部長)
午後一一時二〇分、千葉運転区当局は「業務に支障がある」という理由で退去通告を出した。組合側が従わないとみるや、当局は公安・白腕章多数を庁舎に導入し、暴力的排除に踏み切ったのだ。
津田沼、千葉転ともに組合員は詰所での第一日目の闘いの総括集会で第二日目の闘いの指示を受けた後、市内の宿泊施設に移った。
こうしてスト第一日目は、中曽根内閣、治安当局、国鉄当局の空前の弾圧体制を打ち破ってたたかいぬかれ、次のような影響をもたらした。
運休 特急 32本
快速 39本
緩行 72本

運転率 緩行線 74%
快速線 72%

列車遅れ 快速上下 330分
緩行上下 780分
千葉以東上下 180分

●国労方針を転換させる
そして、ちょうどこのころ、国労津田沼ではさらに激しい討論が続いていた。スト第一日目、国労は大きくゆれ動いた。しかもストライキはまだ一日目が終っただけである。当局はすでに一日目で要員を使い果しており、二日目は国労組合員に激しく業務命令を乱発し運行確保へ全力を注いでくることは明らかであった。もし、このままで二日目を迎えればどうなるのか。
この日の深夜、正確に言えば一一月二九日午前一時半から国労津田沼分会の執行委員会が開催され、二九日の対策が話し合われた。雰囲気はすでに一変していた。一〇名余の執行委員のほとんどが「業務命令を拒否してたたかうべきだ』と発言した。「スト破りはもう絶対したくない」「ハッキリした方針を出さなければ脱退者が続出する」「毎日顔をつき合わせている仲間を裏切ることはできない」「国労の誇りにかけても今日のようなことは繰り返すべきでない」「オレは処分されても業務命令を拒否する」という意見が続出した。分会長は「方針が間違っていたから脱退者が出てしまった。私の力が足りなかった。申し訳ない」と涙を流して討論の集約を行った。もはや大勢は決していた。
本部の渡辺中闘は、このような分会の意見を聞き、考えさせてくれと言って、別室で本部中開、地本、支部役員、分会三役で話し合いがもたれた。午前三時半、ついに結論が出された。

国労方針
①動労千葉のスト指定した行路は乗らない。
②業務命令は出させない。
③指導員の運用は認めない。
④カーテンは全部閉める。
言うまでもなく核心は②にある。「業務命令を拒否して処分になったら組合が責任を持つ」ということであり、一切のスト破りは行わないということである。国労津田沼分会の組合員の怒りとたたかいは、ついに国労中央を衝き動かし、国労方針そのものの転換をかちとったのである。四つの方針は大書きにして分会前に張り出され、初電出区乗務員のオルグが開始された。
こうして、たった一つの分会のたたかいが国労の方針を変更させた。『業務命令拒否』とは国労自身が当局とたたかうということであり、事実上国労そのもののストに等しい。当局は、前日の国労二名労働者の決起につづく国労(津田沼分会)の予想もしなかった決起に顔面蒼白となった。ストライキ第二日目、動労千葉のストライキは、ついに国労(千葉地本)との共闘関係を実現することによって総武線の朝のラッシュを大混乱に陥れるだろう。

●ストライキ第二日目
ストライキは二日目を迎えた。
午前三時、動労千葉津田沼支部は区長および千葉局の運転本部長に、正午までのストを行うことを通告した。スト体制は完壁だ。
午前四時一〇分、津田沼電車区で出庫電車の安全誘導の仕事をしている動労千葉組合員が、組合事務所にとびこんできた。西船橋で信号回線が切られたため、一番電車の出庫見合わせの指令がおろされたという。やがて、中央線、横須賀線、武蔵野線など各地でも一斉に通信ケーブルが切断されたようだという情報が入った。
同じころ、千葉運転区でも同じ情報が組合事務につめていた組合執行部にもたらされた。
午前五時、津田沼電車区。NHKテレビが異例の臨時ニュースをやっており、ゲリラは相当広範囲に及んでいることが判明した。組合員が次々と起きて来て、組合事務所のテレビに見いる。ゲリラに拍手する若い青年部組合員。誰かが「これで一番救われたのは国労(指導部)かもね」と皮肉。
午前五時三十五分、テレビニュースで「動労千葉の布施書記長が『ストとゲリラとは関係ない。動労千葉は予定どおり正午までストに突入する』と発表しました」と報じるや、皆一斉に拍手し、「そうだ、ストは貫徹だ」と誰かが叫んだ。
午前六時、津田沼電車区。夜が明け始めのすみ色の空の下で、「お茶の水」「中野」「千葉」「三鷹」などの行先ランプをつけた何十本もの黄色電車がとっくに出庫時間が過ぎているのに、一本も動くことができず、じっと停まっている。
午前七時、テレビニュースで、「国鉄ゲリラ」が日本全国で大規模に発生していることがわかった。運転不能は、首都圏と大阪地区を中心に、次の線区に及んでいた。総武線、成田線、常磐線、武蔵野線、京浜東北線、根岸線、山手線、中央線、埼京線、東北線、高崎線、川越線、八高線、青梅線、五日市線、南武線、横浜・相模線、東海道線、横須賀線、鶴見線、大阪環状線、関西本線。さらに、東海道・山陽新幹線も一時運転を見合わせた・ゲリラは中核派・革命軍によって敢行された。
ゲリラ事件としては空前の規模だ。それは、中曽根内閣の国鉄分割・民営化の強行に対する、そして動労千葉のストを破壊しようとする手段をえらばぬ策動に対する、人民の怒りを体現する最も衝撃的・効果的な戦いとして実行されたのである。この瞬間に、一万人の機動隊動員をはじめとする空前のスト圧殺体制はまったく無力化し、その反対物へと転化したのである。
午前七時すぎ、千葉運転区の乗務員詰所に顔をそろえた組合員に、
永田支部長が状況を報告し「オレたちはストライキを一二時まで断固たたかう」と提起。津田沼電車区でも、各宿泊施設から戻った組合員を前に、水野副委員長、山下支部長が「おそらく中曽根内閣の反動攻撃と国鉄分割・民営化に怒りを持つ者のゲリラ活動であろう」と事態説明を行い、スト体制継続の方針を明らかにした。
午前七時一五分、津田沼で、若い青年部員が「中核派がいま浅草橋駅を占拠し燃やしてるって……」と息せき切って組合事務所にかけ込む。一瞬どよめき、急いでチャンネルを回す。
午前九時、津田沼公園に支援の学生・労働者一二〇〇人が結集。中核派のゲリラに大きな拍手と歓声。
午前一〇時すぎ、国労山崎委員長が動労革マル松崎明とともに、ゲリラを批判する記者会見を行っていることが伝えられるや、「お前たちがストでたたかわないからだ」との声。松崎の動労千葉をののしる発言には激しい怒り。
午前一一時三〇分、国鉄総裁杉浦が「ゲリラを惹起せしめたのは動労千葉スト」「動労千葉には厳しい処分を考えている」という声明を発表するや、干葉転でも津田沼でも激しい怒りがまきおこった。
津田沼では、誰かが「ゲリラの原因は分割・民営化じゃあないか」
と言うと、別の組合員がアップに映しだされたテレビの杉浦に向かって「お前がゲリラを惹起させたんだ」と指弾。
中核派のゲリラによって総武線をはじめ首都圏の国電は全面運休となった。私鉄ターミナル、地下鉄入口、バス乗り場には人があふれ、一種の「国鉄ゼネスト」的状況が生まれた。中曽根首相は午前の参議院本会議で「陳謝」するとともに、閣議で「緊急対策本部」を運輸省内に設置することを決定した。国鉄当局も大敗北にうちひしがれながら独自の「緊急対策本部」を設置し、対応に必死となった。
午前一一時五〇分、動労千葉はスト終結指令を出した。一二時、千葉運転区、津田沼電車区とも、ストを終了し、組合員は午後からの仕業に向け点呼をうけに当直室に行った。
二日間にわたった二四時間ストライキはこうして、さまざまなドラマを生みながらひとまず終了した。スト集約集会は、津田沼では午前一一時四五分から、干葉転では午後一時から、それぞれの乗務員詰所で行われ、動労千葉は第一波ストを全員の力でうちぬいた、さらに第二波、第三波ストにつき進もうということが全員の拍手の中で確認された。

●反動を打ち破って前進
 動労千葉の歴史的な決起に対し、あるいはこれと連帯し、動労千葉に対するもっともあくらつなスト破壊策動を弾劾して炸裂したゲリラに対して、今日、中曽根、治安当局、国鉄当局、さらには動労革マル・松崎らによるけたたましい密集した反動がおしよせている。
なによりも動労千葉に対する大量報復処分が強行されようとしている。さらには六一・三ダイ改の一環として、千葉局の業務を大幅に東京三局に移管するなどというデタラメ極まることまで準備されている。だがこれらについて触れることは、一九八六年の年あけとともに始まっている動労千葉の第二波闘争を語ることになるのでここでは省略しよう。
しかしどうしても最後に強調しておかなければならないのは、どのような反動も、動労千葉の労働者の英雄的決起、そしてこれに呼応した国労千葉の労働者の英雄的決起、そして、まさにこうして、国鉄分割・民営化一一〇万人首切りに対する国鉄労働者の反撃がついに開始されたという事実を消し去ることはできないということである。どのような反動も、この闘いが、いま全国の三〇万国鉄労働者の中に呼びおこし、日々拡大しつつある感動と共感、そして階級的覚埋の渦をおしとどめることはできないということである。
ストライキの後、動労千葉には、様々な国鉄労働者からの共感と激励の声がとどいている。四国のある国労地本の分会役員からとどいた一通の手紙と、ストを闘いぬいた動労千葉組合員の何人かの言葉を最後に紹介して、このドキュメントのしめくくりとしよう。

「闘う動労干葉のみなさん。ぼくは国労愛媛支部00分会の00といいます。年は00歳ですが、分会の役員をしています。
今度のストにはとても感動しました。いっかはやるだろうと思っていました。本当に今やらないと、もうわれわれはだめになってしまうと思います。ストのできない組合なんて組合ではない。われわれ国労もあなたたちの闘いに続いて闘っていきたいと思います。
最後に、千葉と愛媛、遠く離れていても同じレールの上で働く仲間です。がんばりましょう」

津田沼支部、0さん
「昨日もおっかあから電話かかってきてね、『まだ大丈夫か?』って。『黙ってクビになるぐらいなら、なんでも好きなことやれ」ってね。七〇になるおばあちゃんだけどね、よく分ってますよ。皆、誰も黙ってやめていこうなんて思ってませんよ。ここまできたら、一つのストで終っちゃあいけないと思います。それで解決したわけじゃあないんだから。国労のスト決起が絶対に必要です。そのためにも第二波、第三波をやりますよ」
津田沼支部青年部、K君
「何のためにストをやったのかということです。国鉄のゼネストをめざしたストだったんです。結局、国労の決起の問題です。そこをつくりたいんです。全国各地の国労の仲間も反動の中で大変だと思うけれとも、今度国労津田沼分会の仲間は一分会でありながら国労中央の方針を転換させることができたわけですから、他の所でもできると思うんです。地方の現場でも、中央がダメだからというんでなく、下から運動をつくってもらいたいんです。分割・民営化を阻止するたたかいは体制変革のたたかいだと思う。国鉄は国家です。ここで勝って、日本の未来をつくりだしたい」

新藤青年部長
「すべては一波闘争にかかっています。一波だけで倒れるということは許されません。一波をやって国鉄ゼネストをつくりだすということです。今年一〇月末までに結着がつくわけですから、国労を起ち上がらせるためにやりぬきたいと思っています。一波の勝利に酔っている気持はないです」
◎千葉運転区支部、1さん
「サイは投げられた。あとにはひけないです。国鉄労働者一〇万人が放り出されるのに、羊のようにおとなしくクビを切られることはありえないと思う。ボクはそこにかける。名前も顔も分らない。組合も違うけれど、労働者というのは絶対にたたかう道を選ぶことは間違いないと思っているから……。とりあえず、われわれ動労千葉が口火を切ったわけだけどね。これからは、当局も必死、ボクらも必死だから、本当にひとつひとつ気を抜けないと思う」
◎千葉転支部青年部、Tさん
「たとえ一人でも一、人でもいい、どんな小さな火でもいいから、全国各地で動労千葉に続くたたかいが起って欲しい。そうでないと、ボクらは死んでも死にきれないですよ」

1985年 中野 講演 スト突入を目前にした85年11月21日、津田沼支部主催で開かれた地域集会(船橋商工会議所)で、動労千葉の組合員と家族、地域労働者を前に行われた中野講演

はじめに
きょうは、津田沼支部が主催する地域集会に、津田沼支部をはじめ周辺支部の組合員のみなさん、あるいはご家族のみなさん、あるいは地域で働く仲間のみなさん、お忙しいところをご参集いただきましてどうもありがとうございます。
わが動労千葉は、1週間余り後、11月29日に、この総武線でストライキをやることを決めております。きょうも動労千葉の全支部長が集まりまして、具体的な戦術を決めました。おそらく、かってなく熾烈な闘いになろうかと思いますが、私たちは一一〇〇名の団結であらゆる困難を突破して、なんとしてでもこのストライキを貫徹していきたい。

 私たちはこのストライキで何をかちとろうとしているのか。七月二六日に、国鉄再建監理委員会という中曽根の諮問機関、亀井正夫という住友電工の社長をしていた男、つまり住友財閥の代表を委員長にすえた機関ですが、ここが、八七年四月一日までに国鉄を分割し、民営化するという答申を中曽根に提出した。そしてこれが一〇月に入ってから閣議決定された。つまり日本政府の決定になった。それに基いて、現在、政府として、あるいは国鉄内部においても極めて急ピッチな作業が進められています。
このような状況の中で、私たち国鉄労働者にとってなんとしても悔しいのは、この国鉄分割・民営化の攻撃が、その本質というか、狙いというか、中曽根や亀井、自民党や財界の連中の意図がなにひとつ明らかにされないまま進められているということです。国鉄が今日のような危機になったのは、なにか国鉄で働く労働者の働きが悪いからだとか、労働組合がストライキばかりやってきたからだとか、まったく関係のない、事実に反する話だけが横行して、それをひとつの「国民世論」として、この攻撃が強引に進められているということです。私たちは、なによりもまず、このような状況そのものに激しい怒りをもつわけであって、国鉄労働者が怒りをこめて起ちあがることを通して、このような状況をうち破っていかなければならない。今度のストライキを準備する過程で、私が一番考えていることはそこなんです。
もちろん労働組合ですから、いろんな要求をかかげて闘いまずけれど、なにか今日、国鉄問題が敵の側の一方的なペースで、なにひとつ真相が明らかにされないまま進められている、まずここをなんとかしなければならない。しかし、そのためには、なによりも三人に一人の首が切られようとしている、1年数ヵ月後には一〇万人が職場から放逐されようとしている国鉄労働者が、ここで本当にハラを固めて起ちあがる以外にない。それがあってはじめて、さらに広はんな、他の職場の仲間の支援も得られるし、一切の事態がきりひらかれるんだと思うんです。
そこで今日は、私たちが直面している国鉄分割・民営化とは一体どういう攻撃なのかという点について、七月二六日の再建監理委の答申を検討しながらお話しし、ともにストライキにむけて決意をかためていきたいと思います。

七・二六答申のペテン
そもそも国鉄を分割・民営化しようという話の最大の理由は、今日国鉄がたいへんな赤字をかかえている点にあります。昨年度の決算を見ますと、国鉄の累積債務は二二兆八千億にのぼっています。
組年度までの借金の残高がこれだけになっている。八五年一年間の国鉄の収支を見ると、営業収入が約三兆五千億円ある。そしてこれで労働者の賃金や毎日電車を走らせる営業費を出しているわけですが、支出がこれだけなら、いまの国鉄は毎日赤字をたれ流しているとかなんとかいわれているけれど、ほとんどトントンでやっていけるんです。しかし問題は二三兆円にのぼる累積債務で、この膨大な借金の利息が昨年1年間だけで1兆三千億円にのぼっている。これはとても通常の営業収入の中からは支払えないから、この借金の利息分はさらに新たな借金をして支払わねばならない。そうすると、その分だけ翌年度の累積債務はふくらみ、支払わねばならない借金の利息も雪だるま式にふくらむということになるり国鉄の赤字という場合、なんといっても一番大きいのは、この膨大な借金の問題なんです。じゃあこの借金はなぜ生まれたのか。国鉄再建監理委員会の答申を見ますと、問題は国鉄公社制度にあったと書いている。そして、そういう制度が「外部勢力の介入」を許してきたからこうなったといっている。しかし、外部勢力」とはなにか。時の政権党である自民党とその背後にいる財界以外にはないんですね。国鉄の経営に、国鉄の労働者が介入したことは一度もないし、国鉄を利用しているお客さんたちが介入したこともない。そういう仕組みはまったくっくられていない。自民党と財界だけがやりたい放題のやり方で国鉄に介入してきたわけです。
国鉄が単年度収支で赤字になるのは一九六四年、東京オリンピック、東海道新幹線がつくられてからです。三〇〇億円赤字だった。しかし同じ年の減価償却費が1000億円。減価償却費というのは、国鉄のあらゆる設備の価格を耐用年数で割って、その分を毎年積みたてて、将来の設備更新にそなえるというものですから、これが一〇〇〇億ということは、この年だって、帳面づらは赤字だけれど実質は赤字じゃなかった。こういう状態が七〇年ごろまで続くんです。
国鉄が、減価償却する前に赤字になったのは1971年からです。六〇年代の後半から国鉄では、赤字を理由に国鉄労働者にたいするたいへんな合理化攻撃がかけられます。五万人合理化計画で、たとえばここで機関助士が全部廃止された。地方では、国鉄は赤字だから設備投資をおさえろということがいわれ出します。これがちょうど、日本の高度経済成長が鈍ってきたころのことです。それでも国鉄の経営はだんだん苦しくなって、七一年はとうとう減価償却前に赤字に転落する。そして日本の経済は、オイルショックなどを契機にさらに危機を深めていきます。
ここで、その立てなおしを狙って登場するのが田中角栄ですね。
田中は日本列島改造ということで、公共部門に対する膨大な設備投資を進めた。内需拡大を狙った。その最大の担い手にされるのが国鉄なんです。たとえば新幹線ひとつつくれば、膨大な金が必要だし、モノも人も動く。
あの当時、実におもしろいのは、昨日まで合理化を進めるために、赤字だ、赤字だとわめいていた国鉄当局が、一転して、「国鉄のみなさん、いままではあまり赤字、赤字といってきたから職場も暗くなった。しかし借金しても国鉄の財産はどんどん増えているから心配する必要はない」なんていい出す。つまり支配者の方針にあわせてパッと変わるわけですよ。そして国鉄に対する野放図な設備投資がはじまったんです。
その結果、七一年当時、国鉄の長期債務はせいぜい一兆円程度だったのが、その後一〇年間ぐらいで一五、六兆円になる。それはそうですよ。もういたるところで線路の開発につぐ開発をやった。しかもその大半億鉄建公団というところが勝手にやる。国鉄は、その線路が必要なのかどうか、採算にあうのかどうかを自分たちで判断して決めることもできない。自民党の政治家や財界の都合で、鉄建公団が勝手につくったものを、国鉄は、それが国鉄にとって損であろうがなんであろうが全部ひき受ける、そういうシステムを当時つくった。だから国鉄の借金がうなぎのぼりに増えてゆくのは当然です。
私は国鉄の官僚連中、本社で偉くなったような連中もいっぱい知っています。七九年にわれわれが動労本部から分離・独立した際、連中とよく話したときも感じたけれど、国鉄の首脳部の人間が、この借金のことを真剣に考えていたかといえば、全然考えてないですよね。みんな公費を湯水のごとく使ってへっちゃら。国鉄が赤字になったってしょうがないとみんな思っていた。当時すでに十数兆円の借金をかかえていたんですよ。だから借金がふくれあがるのはあたりまえ。その責任が、自民党や財界、そのいいなりになってきた国鉄官僚たちにあることは明白なんです。
ところが、三年ぐらい前から、臨調とか自民党がマスコミを使って、国鉄労働者がなまけたり、ストをやったりしているから、国鉄赤字はこんなにふえたというような宣伝をどんどんはじめるわけです。しかし、私はよくいうんですが、最近五、六年間で、国鉄の中でストライキをやったのはうちだけなんですね。八一年三月の、例の三里塚ジェット燃料輸送の延長に反対してやったストライキですね。ところが千葉鉄道管理局は全国でもめずらしい黒字局なんですよ。新幹線総局と東京西局と千葉局の三つだけ黒字。われわれがストライキをやっても黒字。じゃあわれわれがそんなに働きがいいかというと、全国の人たちとそんなかわらないと思うんだよね。とりたてて働きがいいともいえない。サボっているとはいわないけれど。みんな同じ。じゃあなんで千葉局は黒字なのか。やっぱり動労千葉があるから黒字なのか(笑)。関係ないんだよね。働きが悪いから赤字だなんていうのはまったくペテンだということがこれだけで、もうわかるわけ。
ところがマスコミを使って、そういう宣伝がまことしやかにくりかえされると、「ああ、そういえば駅に立っていた奴は、お客に切符を持たせたままハサミを入れていた」とか、ありとあらゆることがいわれるようになる。坊主憎けりゃ袈裟まで憎い式で、なんか、すべての責任を国鉄労働者におっかぶせるような、そういう雰囲気がどんどんつくられてきた。この三年間。
だけどわれわれもこれだけははっきりさせなくちゃいけないけれど、われわれ国鉄労働者は、そんな何十兆円もの赤字を生み出せるほどの給料をもらっているのか。もらってないですよ。国鉄労働者は天下に冠たる安月給ですよ。これは、みなさん、とくに奥さんなんかよく知っていると思うよ。二〇年勤めたって、カアちゃんに二〇万円の給料をわたせないんだから。その労働者がどうやってそんな借金をつくれるのかとわれわれはいいたくなる。
ところが世の中の人たちというのは、こういう中曽根の世論工作にすぐひっかかる。それで「ああ、民営にすればサービスがよくなる」とか、「運賃が安くなる」とか実にたあいのない話.「小田急に乗るとおしぼりが出る」とかね、そんなことで民営化賛成となってゆく。いま国鉄の分割・民営化賛成が世論の七〇%もあるんです。
そこでは、分割・民営化の真実というのがまったく見えなくなって、 幻想だけがまんえんしているわけですね。

二三兆が三七兆の赤字に化ける
それでは、再建監理委の答申は、この二三兆円もの借金をうまく解決する方法でも出しているのかといえばとんでもない、そんなもの出せるはずがないんです。
それどころか、これは本当に腹がたつことだけれど、奴らは、きわめてずるいやり方をしている。国鉄の借金は八四年度末で二三兆円弱ですが、答申によると二年後の八六年度末には三七兆円で、二年間で一四兆円も借金が増えることになっている。なぜこんなことになるのか。さっきもいったように、現在の国鉄は、毎年約一兆五千億円の利息を払えず、新たな借金をしているので、二年間で借金の残高が三兆円ぐらい増えるのはわかる。しかしそれにしても二年後の長期債務は二六兆円程度ですよ。それがなぜ三七兆になるのか。
鉄建公団がつくった青函トンネルとか、本州と四国を結ぶ本四架橋とかの建設費を全部上のせしちゃったんですね。青函トンネルや本四架橋は国鉄と関係なく作っているんですよ。しかも北海道と本州、四国と本州は分割するといってんだから、そんなもの作ったって、そこに鉄道を走らす保証はまったくないわけだ。それでも鉄建公団が作ったものは文句なしに国鉄が背負うんだというわけですよ。
もうひとつは、年金の問題。国鉄年金というのはいまたいへんな危機にある。それでこの問、かつての電電公社、専売公社、そして国家公務員の共済年金をいっしょにしてなんとかならないかということになった。そのため国鉄労働者は過去二年間にわたって毎年三千円ずつ掛金が高くなっている。だからベースアップゼロです。それで、なんとか年金が統合されるまで息つこうという話になった。
そのときの基礎人員、つまり共済掛金を払う職員の数は三二万だった。ところがそれがあと二年後には二〇万になつちゃう。十何万もの人が掛金を払う側からもらう側に移るんだからやっていけるわけがない。当然財政的に補填しなければならない。なんと四兆円から五兆円も足らないんですね。しかしこれも分割・民営化のために一〇万人の首を切ることによって必要となる経費です。そんなものもすべて上のせすると、二年後の国鉄の累積債務は三七兆円になるというんですね。それで。さあ三七兆円の借金になりますよ、というんだからひどい話だ。
それで三七兆円のうち一七兆円は国民に負担してもらうというんでしょ。本来だったら青函や本四なんて、勝手に作った奴らが金を出せばいい。それを国民負担にする。しかしそういうと問題になるから、それを全部国鉄の借金ということにしてしまう。そうすると国民は。なんだ鉄道の野郎と思うようになる。そういう極めて巧妙かつえげつないやり方をやっているわけですよ。しかしそれはいまにはじまったことではない。こういうやり方をずっとくりかえして、それが原因で国鉄はいまのようになったんですね。そのやり方をいまにいたるも変えていない。それで国鉄の改革だとか、再建だとか、まったくちゃんちゃらおかしいですよ。
あいつらは国鉄の赤字を解決しようなんてことはテンから考えていないんだよ。答申によれば、三七兆円という借金のうち、いまいったように一七兆円は国民負担にする、それで六兆円は国鉄の土地を売ってあてる、六千億円は株を放出する、そして分割された新しい民営会社の本州の三会社に、新幹線リース料というのを含めて一四兆二千億の長期債務をひきつがせるというんですね。この新幹線リースというのがまたおもしろいというか、非常に巧妙な話でね。
新幹線だけ保有する会社をつくるんですね。そしてこれだけは国が握ろうと思っているらしいんですね。そういう噂があるんです。国鉄の財政危機がここまできたのは、新幹線をはじめとする野放図な設備投資の結果でしょ。しかし自民党も財界もそんなことは全然反省していないんですよ。この前テレビに出たでしょ。北陸新幹線は安中を通るとか、どうとかね。奴らはいま、幾つかの新幹線を計画しているんですよ。統年度も、政府はそのための予算をちゃんと組んでいるんです。
だけどね、いまの新幹線で黒字なのは東京一大阪間だけ。博多まで行けば赤字だから。東北も上越ももちろん赤字。仮に建設費を全部国がもっても、毎日毎日の営業費で赤字なんだからね。だから北陸だろうがどこだろうが赤字になるのははっきりしている。しかしこれまでは国鉄があったから、鉄建公団が勝手につくってきたものを全部おしつけることができた。民間会社になったら採算にあわないものなどひきうけるわけがない。ところが、彼らは新しい新幹線をどうしてもつくりたい。そこで新幹線リース会社なんてのをつくって、民間会社にそれを貸し出し、その貸料を長期債務にするというやり方をとろうとしている。要するに、国鉄は解体しても、自分たちの利権に結びついた、そういうシステムはちゃんと残しておく。イカサマでしょ。
だいたい国鉄をなくそうとしながら鉄建公団は残そうというわけでしょ。再建監理委は国鉄の赤字をここまでふくらましてきた従来のシステムを変えようなんて全然考えていないんです。ただ形式を変えようとしているだけ。あいつらは国鉄をここまで喰い物にして借金を残しておいて、国鉄分割・民営化という国鉄解体劇でまたもうけようとしている。そして、先きゆきまたもうけようとしている。
そのためのシステムをちゃんと残している。新幹線リース会社とか
なんとかいって。こんな腹の立つことはないよね。

国鉄資産の分捕り狙う。分割・民営化
 ところがあの連中は、口先きでは分割・民営化したら、毎年一〇〇億円ぐらいの黒字になるなんて吹いているんです。だけど、それははっきりいうけどね、ウソなんです、ウソ。なぜウソかというとね、彼らもさすがに北海道、九州、四国は黒字になるとはいえない。本州三会社は黒字にできるというんだけれど。この本州三会社にさっきいったように一四兆二千億円の借金をひきつがせるわけでしょ。
その利息だけで年間五千億ですよ。しかもこの一四兆余りの元金を三〇年間で全部返すというんだから、毎年一兆円を借金返済にあてなくちゃならない。そんなもの払えるわけがない。なぜなら、本州三会社の総収入は、年間二兆八千億しかないと再建監理委がいっている。その三分の一以上を借金返済にあてる会社が黒字になるわけがないんです。分割・民営化したって、いまの国鉄と同じように借金の利息に四苦八苦する会社ができるだけというのははっきりしているんです。
はっきりしているのに、なぜこういうことをやるのか。ここに連中のものすごい陰謀があるんです。貨物列車について、再建監理委は、これだけは分割しないで、全国統一の貨物会社をつくるといっている。しかしみなさん、昨年度の貨物の赤字は六千億をこえているんですよ。その貨物を、それだけとり出して、どんなに合理化したって、やっていけるわけがないでしょ。ところがこれを独立させるという。そしておもしろいことをやろうとしているんです。貨物会社は貨物専用の土地だけをもつ、それで機関車も貨車も、それに機関士まで旅客会社の方においでおいで、これまたリースで借りるというんだな。こいつらはね、貨物会社がすぐつぶれることを知っているんだよ。そしてつぶれたときは、土地という財産だけは自分らのものにしようというわけですよ。そのためのしかけをいまからつくろうとしている。考えているんだよ、奴らは。うすぎたない連中がいっぱいいるんだから。
だけど、貨物会社には一万五千人の労働者が行くと再建監理委はいっている。国鉄当局の方針だとこれをさらに一万人くらいまで削るということだけれど、それにしたって、この貨物関係で働いている一万人の人たちはどうするんですか。どうしろっていうんですか。たいへんなことですよ。
分割・民営化なんていっても、すべてこういう状況なんです。それをあたかも夢も希望もあるかの如き話をしているわけですね。そしてこういうからくりを国民の人たちは何も知らない。せいぜい、六兆円もの遊休地をめぐってたいへんな利権が渦まくんじゃないか。このくらいはみんなわかる。マスコミもいっている。これもたいへんな問題です。しかし私はそれだけではないといっているんです。

日本の最も悪い奴らは、この国鉄のもっている全資産を分捕ろうと思っているのですよ。分割して、分捕ろうと思っている。国鉄はいま土地だけで一〇〇兆円もっています。それはそうです。国鉄は日本一の地主、一等地を全部もっているんだから。ところがこれも帳面づらは八千億円にすぎない。時価になおすと一〇〇兆円はくだらないといわれています。それに加え、新幹線があり、ビルがあり、何万という車輌がある。これを全部あわせると、国鉄の全資産は二〇〇兆円といわれています。二〇〇兆円、たいへんな資産です。これを、どうしょうかということを奴らは考えているんです。だから民営・分割なんです。
今回の答申でも特徴的なことは、国鉄の現状をいろいろ検討して、打開の道を検討して、それで分割・民営というんじゃないんです。
まず最初に分割・民営化が決っていたんです。あとは結論にあわせた辻つまあわせをやっているだけ。臨調のときもそうです。全部そうです。
それじゃ、なぜ分割・民営化なのか。民営化というのは、運賃が安くなることではないんです。直営店を開いたり、ステーションビルを建てたりできるから民営化じゃないんです。そんなことは今だってやってる。そんなことじゃないんです。民営化というのは、株式会社になるということなんです。株式会社になるということは、その会社の株を五一%以上握った奴が、その会社を自由にできるようになるということなんですよ。
 再建監理委の答申によれば、分割・民営化の時点で六〇〇〇億円の株を放出しろと書いている。しかしこれだけじゃない。分割・民営化で生れる新事業体は資産はたくさんあるけれど、どこでも最初から赤字で四苦八苦して進まなければならない。民間の企業が赤字になったらどうするか。銀行で金を借りるでしょ。いまは国鉄公社ですから、大蔵大臣が裏書きすれば鉄道債を買ってくれる。国の信用で。民間会社になったら、銀行は担保を入れなければ金は貸さないですよ。で、左前になれば必ず介入してくるのが銀行。あっという間に、専務や常務の首のすげかえ一。そういう嵐にならないなんて誰が保証できますか。
そうすると、国鉄の資産は二〇〇兆円でしょ。それからくらべれば一四兆円なんて借金はどうってことないんですよ。簡単にいっちゃえば、一四兆円で二〇〇兆円の会社を、日本の一番悪い奴らが、幾つかのグループが牛耳れるということですよ。だからいいかえれば、・国鉄にいま三七兆円の債務があります。この肩代りをしてくれる人がいたら、国鉄を自由にしていい`っていったら、手を上げる奴はいっぱいいる。しかしそれではばれちゃう。.国民の財産をなにするんだ`ってことになる。だから分割・民営化なんです。そういうふうにいって国鉄労働者の首を一〇万も切って、新しい民営会社を発足させて、何年か後にそういう道を開こうとしている。それで中曽根は、その功績で財界と太いパイプをつくり、ゼニをいっぱい集め、自民党総裁三選を狙っている。これは大陰謀だと思うんです。なぜこんなことをやろうとしているのかということについては、もっと大きな、日本の危機という問題がありまずけれど、きょうは時間もないから省きます。しかし、奴らがこういうふうに事を運ぼうとしているんだということについては、みなさんはっきり記憶しておいていただきたいと思うんです。
私たちが、九月の大会でストライキをうち出してから、いままでは組合の幹部とは会わないなんてぬかしていた当局の官僚が、私に会いたいといってきた。私は会いました。ここの千葉局の局長とも会いました。,ストライキを止めてくれっていうんだね。だから、“冗談じゃない”といったんです。“あんたは国鉄官僚としてやっているけれど、こんなことになって悔しくないのか。これは自民党と財界の大陰謀じゃないか。あんたはその手先きみたいなことをやって、どうなんだ。オレたちはこんなこと絶対許せない。だからストライキをやるんだ”といったんです。そうしたら、私が、分割・民営化なんかやっても必ずこうなるといったことについて、全然否定しないですね。そうだといいますね。いうんですよ。わかっているんです、連中だってね。それは、論理的に、必ず否応なしにそうなってゆくという問題なんだから。
いま日本の資本主義経済は、いわゆる貿易摩擦問題でたいへんな危機におち入っています。もうこれ以上いかない。トヨタなんか、世界でいちばん大もうけした企業かもわかんないけれど、これ以上どうやってのばすんですか。危機ですよ。で、あいつらが目をつけたのが、国がやっている様々な事業、国鉄とか、電電とか、専売ですね。ここを民間活力の導入などといって、資本の手を入れて、要するに分捕ちゃおうということですね。それでいまの危機をのりきろうと奴らはハラを決めた。そして、マスコミなんかを使い、計画的に宣伝をくりかえし、これにちょっとでも抵抗する奴は、仁杉みたいにバッと首を切っちゃう、わけですよ。そういう形でこの陰謀は進めてきた

労働運動壊滅もくろむ大陰謀
 彼らの国鉄分割・民営化には、これと並んで、これと同じぐらいの力量をそそいだもうひとつの陰謀があるんですね。労働運動をたたきつぶしちゃうということです。いま、総評労働運動はたいへんな危機にある。とくに民間の組合はおしなべて右よりになり、同盟系などといっしょに全民労協なんかをつくっている。簡単にいえば、労働者の利益を代表する労働組合じゃなくて、資本や権力の側の意向を代弁する労働運動です。これから危機が深まるにつれて、中曽根らにとってはそういう労働運動がますます必要になってきます。
いずれにせよ労働者がこの日本を支えているのは間違いない。何千万という労働者-国鉄であれ、民間であれ、どこであれ一が毎日働いているから、日本は毎日動いている。しかし、労働者はおしなべて長時間労働で低賃金です。いつも不満があり、いつ反乱をおこすかわからない。中曽根らにとってはこれがいちばんこわいわけですよ。だから彼らはいつも労働運動のことを頭に入れておかなきやなんないんです。で、民闘はかなり右よりになった。しかし官公労、とくに国鉄労働運動は簡単に行かない。しかし、これをつぶさないかぎり総評労働運動にトドメを刺すことはできない。だから中曽根は、戦後政治の総決算は国鉄労働運動をたたきつぶさないかぎり終らないと、そういっている。国鉄分割・民営化をしても、国鉄労働運動をたたきつぶそうとしているんです。一〇万人の首を切って、国鉄労働者に。去るも地獄、残るも地獄’の状況を強制して、その中で国鉄労働運動をつぶそうとしている。
いま国鉄職員の数は、正確にいうと三〇万七千人です。そのうち10万人余りをあと一年数カ月後に追い出そうとしている。八六年一一月に国鉄最後のダイヤ改正をやってそこで決めようとしている。そしてそのための準備が着々と強権的に進められています。労働組合を重箱の隅をつつくようなやり方で追いつめ、労働者の誇りを失わせるような攻撃を強めています。ところでこの一〇万人ですが、これはなにもいますでに一〇万人労働者が余っていて、これを八七年の四月に追い出すというんじゃないんです。これから、一〇万人の労働者の要員削減・合理化をやって、それを首にするんですね。
いま、いわゆる「余剰人員」といわれているのは二万五五〇〇人です。しかしこれは、八六年三月と八七年三月に定年をむかえる三万人の補充要員としてペイされる数なんです。
それでは、これから一年の間に一〇万人もの要員合理化をどうやってやるのか。これは一〇万人という数という点でも、三分の一という点でも国鉄の歴史にないことです。それだけではない。重要なのは、昭和五七年四月一日から六〇年四月一日までの過去三年間に、国鉄はすでに一〇万の合理化をやっているんです。それにプラスしてさらにもう一〇万人要員削減をしょうというのだからたいへんです。一体どこを合理化するんですか。
いろいろやろうとしている。たとえば労働者の勤務体系を根本的にかえちゃう。国鉄の仕事は特殊状況がありまして、総武線の場合、ラッシュ時は緩行線二分間隔、快速四分間隔で走っている。それでもお客さんをさばききれないぐらい忙しい。ところが昼間になると、これが五分間隔とか、一〇分間隔で、当然ヒマになる。そこで当局
は、朝と夕方だけ勤務して、昼間は帰っていいというんですよ。朝の一〇時に帰って三時ごろまた出てこいというんです。労働者はその間何をやっていろというんですか。
あるいは八六年の三月ころには基地の統廃合問題も大きくクローズアップされます。たとえば、山手線の場合はこれまで池袋電車区と品川電車区が担当していたけれど、これを一つにまとめちゃう。総武線の場合は中野電車区と津田沼電車区だけれど、これもどっちかをつぶしてまとめる。その場合、どっちをつぶすかの基準はなんだと思いますか。どっちの土地が高く売れるかということです。だから山手線の場合は池袋電車区をつぶす、乗務員は残しますがね。
総武線では電車の基地としては中野をつぶす。ただし乗務員は残す。これとあわせて、八六年の三月には京葉線開業に伴って千葉管内が二五〇〇キロぐらいふえるため、その分東京に仕事をまわせということで、津田沼電車区の乗務員の仕事を中野にもっていこうという画策もされている。ともかく、労働者が抵抗しないから、どんどん労働者をなめて、矢つぎ早に攻撃をしかけて、徹底的な合理化、労働強化で一〇万人もの要員削減をやろうとしているんですね。
だけどね、われわれは、毎日何万もの人間の生命をあずかって、しかも二、三分間隔で一〇〇キロものスピードでつつ走っているんです。そこでこんな無茶苦茶な労働強化をやったらどうなりますか。
これは大変なことがおきるという気がしてならないんです。私たちは電車の運転士、機関士、あるいはその修繕をしたりしている労働者の集団ですから、人一倍そういう問題については敏感です。われわれの言葉でいうと運転保安。ところがこの一〇万人の合理化というのは、要するに一〇万人の余剰人員を生み出すためにのみやる要員削減で、それでは、列車を安全に運行するためになにが必要かなどということはまったく念頭にない。要するに切りつめるだけ切りつめるという、恐るべき内容の代物なんです。だからわれわれは、こんどのストをうちぬくにあたっても、・国鉄を第二の日航にしてはいけない’ということを訴えているんです。われわれはこの点にとくに強い危機感をもちます。
もちろん、労働条件も相当悪くなる。監理委員会の答申では、新しい民間会社に行っても、国鉄の在職年数だけは認めると書いてある。勤続二〇年の人は、行っても勤続二〇年から出発する。残りのことは、退職金のこともふくめて新しい会社で決めなさいと。そうするとどうなるのか。国鉄は退職金だけは、一応勤続三五~四〇年になると大体二〇〇〇万円位いになります。これが民間なみ、経営の苦しい民間なみだから約八○○万か一〇〇〇万程度になるでしょう。賃金も、国鉄の場合は基本給だけの生活者でしたが、民間になれば基本給はほぼ三分の二位になるでしょう。むこうは最初から時間外労働を考えていますから。だから新しい事業体に行っても賃金はそのままだろうなんて幻想をもってはいけないんです。
 敵は徹底的にやろうとしているんだから、そんな幻想をもってはダメなんです。
それでは、一年数カ月後に鉄道の職場を放逐される一〇万人の仲間たちはどうか。敵さんは就職をあっせんするなんていっているけれど行く先なんかあんまりありません。たとえば国鉄関連企業が二万人を引きうけるなどといっているけれど、あれは実態と大きくかけ離れているそうです。国鉄関連企業というのはどういう話で成り立っているかというと、国鉄のOBを安い賃金で雇用して、それで成り立っているんですね。退職する国鉄労働者がそれまで三〇万の賃金をもらっていたとする。それが退職して二〇万の年金をもらえるようになったとする。そうすると、この差額の一〇万円をもらって再就職するというシステムになっているんです。国鉄関連企業は、熟練の労働者を高卒そこそこの賃金で雇えるわけだから、全部成り立っているんです。この近くの、京葉臨海鉄道とかなんとか、みんなそうです。だから、三陸鉄道という第三セクタ!は非常に営業成績がいいと新聞が書いているけれど、あそこも全部国鉄のOBがやっている。それをものすごく安い賃金で雇っているんだからやっていけるはずなんです。だけどそれは年金があるから成り立つ話で、そんなものがない普通の労働者が、女房、子供をもっていたら一〇万円の給料でやっていけますか。やっていけるはずがないんですよ。
そういうからくりがありますから、関連企業が二万も三万もうけ入れることができるはずがないんです。
まあ、いま確実視されているのは、中曽根の号令で各省庁が無理矢理引きうける一五〇〇~二〇〇〇人ぐらいでしょう。地方自治体だって、行革で人べらしをやっている一方で、国鉄からたくさんの人を受け入れる余裕なんてまったくない。結局はそういう中で、多くの労働者がちゃんとした就職先も見つけられず放つぽり出される。
そういう形になるにきまっているんです。それまで、もうあと一年数カ月きりないんですね。三人に一人と口ではよくいうけれど、三人で一杯のみにいけば、そのうちの一人は終りだということなんだよね。しかもほかの二人にはさっきいったようなたいへんな強制労働の地獄が待っている。まさに「去るも地獄、残るも地獄」です。

労働者の魂を売る動労
 ところがこのときに、国鉄の労働組合の中に、オレたちだけは当局のいうことを聞くから、オレたちだけは新事業体に行かせてくれという奴が出てきた。国鉄動力車労働組合という組合ですね。革マルという党派が牛耳っている組合。中曽根と闘うんじゃなくて、そのお先棒をかついで中曽根さんのいうことはなんでも聞くからオレたちだけは勘弁してくれという路線を歩みはじめた。
 しかし私にいわせれば、じゃあテメエだけ助かれば、他の国鉄労働者はどうなってもいいのかということです。そんなことをするんだったら労働組合なんか必要ないんだよね。そうでしょ。総評も県労連も必要ない。地区労も共闘会議も必要ない。労働組合は産業別、企業別に組織されている。しかしこういう首切り攻撃なんかに対しては、最大限、手を結んで共闘してゆく。これが労働組合でしょ。オレの労働組合だけはなんとかしてくれ、他の労働組合はどうなってもいいなんていうのが労働組合なのか。こういうのが総評に加盟しているんだからいやになつちゃうよ。これは労働組合の原則の問題だよ。
たとえばオレたちは.国鉄千葉動力車労働組合という独立した組合だけれど、テメエだけよければいいなんて思わないですよ。やつばり同じ職場で働く国労の仲間も同じようによくならなきやなんないと思っている。あたり前でしょ。そうじやなきゃ労働運動なんて成りたたないもの。テメエだけよければいいなんて絶対思わないよ。
資本は、常に労働者をそうやって差別・分断するわけね。そのために一時的にあるグループだけ頭をなでる。しかしそれで労働者がバラバラになって力が弱くなったら必ず全体を徹底的にいためつける。これが長い資本主義の歴史じゃないですか。その中で、ちっとは労働者もりこうになったかと思ったら、まだまだ全然わかっていない。雇用安定協約の問題で彼らはなんといっているか。“われわれはこれだけ当局のいうなりになって、組合員の二割も出向に行かせてきた。こんなに骨折っているのに、全然骨を折らない労働組合一国労のことですが一と同じ協約を結ぶんじゃ、われわれはがまんできない。正直者がソンをする世の中でいいんですか”こういうふうにちやんと書いている。それで社会党にまで申し入れているんだ。現実にやっているわけですよ。こうやって労働者の魂まで敵に売って国鉄労働者の団結がいまほど求められているときはないにもかかわらず、職場の労働者を本当にズタズタに引き裂いて、敵の好き勝手な攻撃を容易ならしめていることについて、私たちは強く弾劾しなければならないと思います。
三人に一人の首が切られる、きのうまでつきあっていた仲間が首を切られるときに、オレだけよけりゃいいという連中がいたら、私はもう国鉄をやめてくれといっているんですよ。いますぐに。わが動労千葉にはそんな組合員はいないはずだ。だが、よその組合にはたくさんいますよ、本当のこといって。当局におべんちゃら使って、テメエだけはいい子になろうとしている。それは誰だって助平根性がないわけじゃない。僕だってね、卒直にいって、八七年四月一日まで、動労千葉二〇〇名、なんとかうまく泳ぎわたっていければいいなと思ったことがなかったわけじゃなかったよ。あえて流血も辞さず、なんていってるけどさ、それはそんなことやらないでうまくいけば、それに越したことはないんだもの。
だけど、どう考えてみても、なにをやってもやられるということがはっきりしたんだよね。どんなことをしてもやってくる。敵は相当強固な意志をもっている。そうである以上、これはもう決然と起つ以外にない。それがさしあたり、われわれ一一〇〇名だけであっても、ここからしかいまの状況を変えることはできないんだよね。
敵はいま、国労も結局なにも出来ないと読んで好き勝手にやってきている。しかし労働者だって人間だ。家に帰れば女房、子供もいる。
生活しているんですよ。その労働者が、こんな簡単に10万人も首をヒョンと切られて、それでも怒れないようだったら、それはもう奴隷になればいいんだよ。
しかし、それだけでもすまない。私はきょう、国鉄分割・民営化の陰謀についていろいろ話してきましたけれど、中曽根は、こういうやり方で、国鉄だけじゃなくて社会のあらゆるしくみをすべてつくりかえようとしているんです。教育問題しかり、防衛問題しかり、社会福祉の問題しかり。すべての問題をこの論法でやられた場合に、われわれは一体どうなるんですか。私はそう思えてなりません。
きょうは、国労の組合員の人も参加してもらっています。だから、あえていうけれど、いまの状況の中で、国労なんかが本当に起ちあがってほしいと私は常々思ってきました。いまも思っている。だけど最近はもうかわいさ余って憎さ百倍。本当に頓死するよ、このままいったら。国鉄労働組合でございますなんて、どこに行ってもデカい面していたくせに、デカい面をしているんなら、こういうときぐらい、ちっとはやることをやったらどうだっていうんだよ。国労の山崎委員長は、雇用安定協約を結ぶために、「三ない運動」をやめるといい出した。「三ない運動」というのは、派遣に応じません、一時帰休に応じません、五五才になってもやめませんという運動です。これをやめるという。じゃあなんですか、派遣に応じましょう、一時帰休に協力しましょうとやるんですか。そんなの労働組合じゃないですよ。うちではそんなことはやりません。だから、うちの若い者はみな晴々としている。私が、動労千葉の中でかたっぱしから組合員つかまえて、“おまえらクロネコヤマトに行け”“おまえはディズニーランド”とやったらたいへんでしもそんなことで骨身を削って苦労するというんなら、われわれは国鉄労働者として骨身を削ってでも闘わなければならないんです。だからわれわれは、来たる一一月二九日にストライキをやります。

骨身を削ってでもストライキを闘う
これはたいへんなストライキになると思います。私も二五年間労働運動をやって、いろいろな修羅場を経験してきましたが、いつも最悪の場合を想定することにしています。二九日は、津田沼や千葉転(千葉運転区)は機動隊に制圧され、われわれは職場からたたき出されるかもしれません。いろいろなことが想定されます。しかしそれも先刻ご承知のうえで、われわれはそれに対応する戦術で闘います。私は単純なストライキ主義者ではないけれど、いまは本当にストライキをやらなければいけないと思っています。本当にそう思っている。ストなんかやっても処分を受けるだけだろうに、なんでいまごろ国鉄労働者はストライキなんかおっぱじめたのか、と世間の人が考えはじめるなかから、はじめて、この分割・民営化という大陰謀の本当の狙いが全体の中に明らかになってゆくのではないか。
いずれにせよこの1年間、私たちはたいへんな暴風雨、なんとも形容しがたいような嵐の中に立たされる。その中で、いまいちばん大事なことは、三人に一人の首が切られる当該の国鉄労働者が本当に怒りにもえて立ちあがることなんです。
国鉄の労働組合を中心に、いま総評をあげて五千万署名というのがやられています。これはこれで重要です。動労千葉は先頭切ってとりくんでいます。津田沼支部にももっともっとがんばってもらわなければいけない。しかし地区に行くと、国労はなにをしているんだという声が強い。分割・民営化はたいへんだけれど、しかし国労の連中はなにを考えているんだ、やる気があるのか、オ口オロしているだけじゃないかと声が大きい。これじゃあどうしょうもないです。私はいつもいうんだけれど、本当に応援がほしかったら、まずテメエが真剣に、本気になって闘うことなんだよ。そのときはじめて、その姿にうたれて労働者が結集してくれるんですよ。
われわれは、来たる二月二九日のストを第一波とし、八六年一一月にむけて数波のストライキを決行します。これによって分割・民営化の大陰謀と一〇万人首切りと死力をつくして闘います。いま、三人に一人の首が切られようとしている、誰よりも追いつめられている国鉄労働者がここで本当に闘って、闘って、闘いぬいてやる。そのハラを固めて起ちあがったとき、はじめて、一切の事態が開かれるんです。二月二九日のストをやったら、三〇日からうまくいくとは思っていませんよ。しかし、その闘いによってしか、いまわれわれをおおっている暗雲を徐々にでも払いのけることはできない。
それぬきに口だけで何をいってもだめなんです。
いま起たなかったらどうなりますか。職場では一〇万人合理化がどんどん進みます。国会では一三〇本の法案がつぎつぎ通ってゆく。
それで八六年の二月になったら準備万端整って、そうすれば片っぱしから差別、選別されて、“はい、お前はいうこときかないからあっち”“お前はいい子だからこっち”と勝手にやられるわけ。全員。そうでしょ。そうなつちゃう。そのときになって、“一人の首切りも許さない”なんていってストライキができますか。できない、いまからやんなかったらできないんですよ。
われわれはそう思っている。それはこの闘争をやったら、どのくらい首を切られるかわからない。オレなんかもうとっくに首切られている方だけれど、ヤマちゃん(山下幸津田沼支部長)なんか絶対に首だよ。支部長なんだもの。組合の幹部はここまできたらもう逃げるわけにいかないんだよ。
 東京でおもしろいことが起っている。
国労東京の上野支部というのがあるんだけれど、常磐線をもった結構大きい支部で革マル系が強かった。ところが今年の大会で革マルが全部役員から降りちゃった。なぜだと思いますか。国労の役員なんかやっていると四万一千人の中に入れられちゃうかもわからない。
それでなんていっているか。“出向に行こう、出向に行こう”といっている。出向に行けば首がつながるんじゃないかといっている。国鉄労働者の三人に一人の首が切られようとしているときに、いままで組合の幹部でございます、委員長でございます、書記長でございますなんて威張っていた奴らが、いまになって自分の身がかわいいからといって、組合役員をやめるんだったら、それで一体労働者はどうしてくれるんだといいたくなる。そうでしょ。
わが組合にはそういう人はいませんよ。九月の大会でスト方針を決めた後、各支部大会をやった。すこし心配だった。だいたいストライキをやれば支部長は首になる。これは誰でもわかる。だから交代が出るんじゃないかと。だけどそんなことなかった。昔から、こんどの大会で交代が決っていた人以外に交代した人はいなかった。全部執行部はかわらない。動労千葉にはそういう強さがあります。
大会以来われわれは、このスト方針をみなさんに訴えて、そしてみなさんも、よし、それでいこうということになってここまできた。そうである以上、どんな反動も恐れず、このストライキを最後まで貫徹するということでがんばっていただきたい。この一一・二九ストをやりきったときにはじめて、その次のこともいろいろ考えられると僕は思っています。いまはそうじやない。考えようがないんだ。
このままだったら負けることしか考えられない。これをやりきってはじめて次の展望も出てくる。このストライキで、あの不遜で労働者をなめきっている中曽根や権力者に労働者の怒りをぶつけることに成功したときはじめてわれわれは対等の関係にたっていくことができるんです。そうやって、いまの、このどうしょうもない関係をかえたとき、はじめて分割・民営化の正体も暴露され、それじしんたいへんな矛盾とごまかしをふくんでいるあの答申を粉砕できるんじゃないか。このままいったらだめですよ。絶対だめです。
そういうわけで、みなさんがんばりましょう。この津田沼支部は、いずれにしても千葉転とならんでわが動労千葉のエースなんだから、これはしようがない。リリーフじゃない、先発完投型のエースなんだから、ぜひがんばってもらいたい。
それに家族のみなさんにもお願いしたい。ご亭主がたいへんなところに追い込まれているんだということをぜひご理解いただきたい。奥さんも、みなさん結婚するとき、好きだとか嫌いだとか、顔がいいとか悪いとか、いろいろあったかもわからないけれど、やっぱり鉄道員というのは商売が固いと。そういうことがやっぱりあったでしょう。とくにムコさんなんかそうだよ。だけどそうじやなくなってきたんだよね。変らないのは給料が安いことだけ。あとは全部かわった。首はいつ切られるかわからない。あてにしていた老後の年金もダメ。退職金もダメ。楽しみだったパスもとりあげられた。取柄がなくなつちゃったんだね、本当のこといって。やっぱりここまでやられたら起ちあがってがんばりましょうということを最後の言葉にして、私の話を終ります。
(なかの・ひろし国鉄千葉動力車労働組合委員長)

2016 春闘ニュース職場討議資料  今こそCTS職場を変えよう

 千葉鉄道サービス(CTS)で働く仲間のみなさん。日々の仕事、ご苦労さまです。私たち動労千葉は、CTSをはじめとするグループ会社の労働条件改善にむけて、ともに全力で闘うことを決意し、2016 年春闘の取り組みを開始しました。
まともに食べていけない超低賃金。現場の仕事を担う仲間の大半が、まともにボーナスもない契約社員・パートという不安定雇用です。正社員だって日勤だけでは満足に食っていけません。あまりにふざけた現実です。
16 春闘の取り組みで、このCTS職場の現実をなんとしても変えましょう。積もりに積もった怒りや不満を一つに結集し、具体的力に変え、今こそ会社に思い知ら せてやりましょう。今やらなければ、あきらめて妥協すれば、退職するまで現実は変わりません。私たちの子や孫の時代に、こんな転倒した社会を残すわけには いきません。

●まともに生活できる賃金をよこせ!
クロス1枚も持たず、冷暖房の効いた事務所で座っているCTS経営陣や管理者は、ほとんどJRの天下りです。部長級は年収1千万円と噂されています。私たちの年収の4~5倍です!!
賃金交渉で会社は「増収減益だ」「会社に体力がない」と言ってのけ、わずかばかりの賃上げさえ拒否し続けています。しかし、親会社のJR東日本は史上最 高の利益をあげ、ボロもうけしています。親会社と子会社の経営陣(どちらもJR幹部!)がグルになった、とんでもないペテンです。
日々、汗だくになりながら現場で仕事を回しているのは誰だと思っているのか! CTS経営陣は手取り10 万や12 万で生活してみろ!

 おざなりの春闘でいいのか! CTS労組も本気で闘うべきだ

 これまでは、「言っても変わらないよ」と黙って耐えるか、嫌気がさしてさっさと辞めていくのが現実でした。求人情報誌をにらみながら、ギリギリの選択で CTSの仕事を続けている方も多いのではないでしょうか。しかし、転職先を探したところで、なかなか良い仕事もありません。当たり前に働き続けることさえ できない職場とは、いったいなんなのでしょうか。

●会社は労働者の団結を恐れている
 汗水たらしてCTSの仕事を担っているのは私たちです。現場労働者の存在なしに管理者たちは1円たりとも稼ぐことはできません。だから会社は、私たちが団結して声を上げることを恐れています。団結して闘えば必ず職場を変えられます。
こうしたCTS職場の現実について、CTS労組が重大な責任を負っていることは明らかです。いつまでも会社の言いなりでいいのか。おざなりの、形だけの 春闘でいいのか。大幅賃上げを掲げ、CTS労組も本気になって春闘を闘うべき時ではないのでしょうか。

すべては国鉄の分割・民営化から始まった

 CTS職場の現実は、日本の多くの労働者の現実そのものです。最新の調査では、ついに非正規雇用は労働者全体の4 割を超えました。
こうした、ひどい格差社会の出発点は1980年代の国鉄分割・民営化にあります。労働運動の中心であった国鉄労働運動への解体攻撃が加えられ、これと一体で労働者派遣法が制定されました。非正規雇用の割合は右肩あがりで増加しました。

●財界は「労働者の9割を非正規職に」と提言

 1995年には財界が「新時代の日本的経営」という提言を出し、「多様な働き方」「雇用の流動性を高める」と称して非正規職化、低賃金化を強力に進めました。●業務外注化、分社化・子会社化でさらに悪化
2000年代に入り、JRやNTT、自治体職場をはじめ、大規模な業務外注化(アウトソーシング)、分社化・子会社化が進められ、この流れはさらに加速 しました。青年の半分が非正規職、100社以上を面接しても内定が取れない、「ワーキングプア」や「ブラック企業」という言葉が定着するほど、とんでもな い世の中にされました。
雇用の悪化にともない健康保険や年金は破綻寸前、医療や介護、「子どもの貧困」など、社会全体が破壊されました。こんな社会が、これからも長く続くわけがありません●闘う労働組合なしに人間らしく生きられない
株価が上がっても私たちの暮らしは良くなりません。利潤追求が最優先され、労働者が普通に生きていくこともできない社会は絶対に間違ってます。
この30 年間の流れと見ると、労働組合の力の低下と、雇用破壊の関係は明らかです。
私たちの手で職場に労働組合をよみがえらせ、奪われた雇用と賃金を奪い返す以外に、労働者は人間らしく生きていくことはできません。

ガマンも限界! 闘いが始まった

●アメリカでも日本でも非正規職が反乱
アメリカでは数年前から時給15 ドルを求める運動が広がり、主要都市で時給が1800 円(15ドル)に引き上げられつつあります。

 日本でも、あらゆるところから非正規職の反乱が始まっています。JRのグループ会社であるレール溶接会社「全溶」では、今年初めの組合結成以来、7波も のストに立ち上がっています。CTS職場での動労千葉への新規加入も続いています。神奈川、新潟、福島では新たに動労総連合の組織が結成されました。
誰もがガマンの限界に来ています。今が勝負の時です。ともに職場から声を上げ、16 春闘で大幅賃上げをかちとろう!

 意見、感想、職場で起こっている問題に  ついてなど気軽に連絡ください
国鉄千葉動力車労働組合(略称:動労千葉)
千葉県千葉市中央区要町2-8 DC 会館内
電話 043-222-7207
(鉄電)千葉2935・2939
mail : doro-chiba@doro-chiba.org
(※QRコードからアドレスを読み取れます)

今こそCTS職場を変えよう!大幅賃上げ獲得!  希望者を全員、正社員にしろ!2016 春闘ニュース職場討議資料     

 千葉鉄道サービス(CTS)で働く仲間のみなさん。日々の仕事、ご苦労さまです。私たち動労千葉は、CTSをはじめとするグループ会社の労働条件改善にむけて、ともに全力で闘うことを決意し、2016 年春闘の取り組みを開始しました。
まともに食べていけない超低賃金。現場の仕事を担う仲間の大半が、まともにボーナスもない契約社員・パートという不安定雇用です。正社員だって日勤だけでは満足に食っていけません。あまりにふざけた現実です。
16 春闘の取り組みで、このCTS職場の現実をなんとしても変えましょう。積もりに積もった怒りや不満を一つに結集し、具体的力に変え、今こそ会社に思い知らせてやりましょう。今やらなければ、あきらめて妥協すれば、退職するまで現実は変わりません。私たちの子や孫の時代に、こんな転倒した社会を残すわけにはいきません。

●まともに生活できる賃金をよこせ!
クロス1枚も持たず、冷暖房の効いた事務所で座っているCTS経営陣や管理者は、ほとんどJRの天下りです。部長級は年収1千万円と噂されています。私たちの年収の4~5倍です!!
賃金交渉で会社は「増収減益だ」「会社に体力がない」と言ってのけ、わずかばかりの賃上げさえ拒否し続けています。しかし、親会社のJR東日本は史上最高の利益をあげ、ボロもうけしています。親会社と子会社の経営陣(どちらもJR幹部!)がグルになった、とんでもないペテンです。
日々、汗だくになりながら現場で仕事を回しているのは誰だと思っているのか! CTS経営陣は手取り10 万や12 万で生活してみろ!

 おざなりの春闘でいいのか! CTS労組も本気で闘うべきだ

 これまでは、「言っても変わらないよ」と黙って耐えるか、嫌気がさしてさっさと辞めていくのが現実でした。求人情報誌をにらみながら、ギリギリの選択でCTSの仕事を続けている方も多いのではないでしょうか。しかし、転職先を探したところで、なかなか良い仕事もありません。当たり前に働き続けることさえできない職場とは、いったいなんなのでしょうか。

●会社は労働者の団結を恐れている
 汗水たらしてCTSの仕事を担っているのは私たちです。現場労働者の存在なしに管理者たちは1円たりとも稼ぐことはできません。だから会社は、私たちが団結して声を上げることを恐れています。団結して闘えば必ず職場を変えられます。
こうしたCTS職場の現実について、CTS労組が重大な責任を負っていることは明らかです。いつまでも会社の言いなりでいいのか。おざなりの、形だけの春闘でいいのか。大幅賃上げを掲げ、CTS労組も本気になって春闘を闘うべき時ではないのでしょうか。

すべては国鉄の分割・民営化から始まった

 CTS職場の現実は、日本の多くの労働者の現実そのものです。最新の調査では、ついに非正規雇用は労働者全体の4 割を超えました。
こうした、ひどい格差社会の出発点は1980年代の国鉄分割・民営化にあります。労働運動の中心であった国鉄労働運動への解体攻撃が加えられ、これと一体で労働者派遣法が制定されました。非正規雇用の割合は右肩あがりで増加しました。

●財界は「労働者の9割を非正規職に」と提言
 1995年には財界が「新時代の日本的経営」という提言を出し、「多様な働き方」「雇用の流動性を高める」と称して非正規職化、低賃金化を強力に進めました。

●業務外注化、分社化・子会社化でさらに悪化
2000年代に入り、JRやNTT、自治体職場をはじめ、大規模な業務外注化(アウトソーシング)、分社化・子会社化が進められ、この流れはさらに加速しました。青年の半分が非正規職、100社以上を面接しても内定が取れない、「ワーキングプア」や「ブラック企業」という言葉が定着するほど、とんでもない世の中にされました。
雇用の悪化にともない健康保険や年金は破綻寸前、医療や介護、「子どもの貧困」など、社会全体が破壊されました。こんな社会が、これからも長く続くわけがありません

●闘う労働組合なしに人間らしく生きられない
株価が上がっても私たちの暮らしは良くなりません。利潤追求が最優先され、労働者が普通に生きていくこともできない社会は絶対に間違ってます。
この30 年間の流れと見ると、労働組合の力の低下と、雇用破壊の関係は明らかです。
私たちの手で職場に労働組合をよみがえらせ、奪われた雇用と賃金を奪い返す以外に、労働者は人間らしく生きていくことはできません。

ガマンも限界! 闘いが始まった

●アメリカでも日本でも非正規職が反乱
アメリカでは数年前から時給15 ドルを求める運動が広がり、主要都市で時給が1800 円(15ドル)に引き上げられつつあります。

 日本でも、あらゆるところから非正規職の反乱が始まっています。JRのグループ会社であるレール溶接会社「全溶」では、今年初めの組合結成以来、7波ものストに立ち上がっています。CTS職場での動労千葉への新規加入も続いています。神奈川、新潟、福島では新たに動労総連合の組織が結成されました。
誰もがガマンの限界に来ています。今が勝負の時です。ともに職場から声を上げ、16 春闘で大幅賃上げをかちとろう!

 意見、感想、職場で起こっている問題に  ついてなど気軽に連絡ください
国鉄千葉動力車労働組合(略称:動労千葉)
千葉県千葉市中央区要町2-8 DC 会館内
電話 043-222-7207
(鉄電)千葉2935・2939
mail : doro-chiba@doro-chiba.org

「『動労総連合を全国へ!』の闘いをさらに強化し、JRと関連会社を貫く闘いに起ち上がり、本格的な組織拡大を実現するために、全力で闘いぬくものである。」 大 会 宣 言 

DSC_7956大 会 宣 言

本日、われわれは、千葉市・DC会館において第30回動労総連合定期全国大会を開催し、1047名解雇撤回、外注化粉砕‐非正規職撤廃、被曝労働絶対反対をはじめとする闘いの総括を行うとともに、「動労総連合を全国へ」を掲げて階級的労働組合運動の復権に向けて組織の総力をあげて闘いぬく方針を確立した。
大恐慌がますます深まり、世界戦争の危機が拡大している。フランス・パリで発生したイスラム国による襲撃事件は、帝国主義とスターリン主義による中東支配の破綻と崩壊が世界戦争の危機に向けて突き進んでいる現実を突きつけた。帝国主義、スターリン主義による数十年に及ぶ戦争と殺戮の歴史がイスラム国を生みだし、襲撃事件を発生させた原因だ。また、この過程でトルコ軍がロシア軍機を撃墜する事態が発生した。ロシアとトルコ間の激突は、かつてのクリミア戦争、そして第1次世界大戦へと拡大していったように、中東、ウクライナ、東アジアにおける戦争情勢が世界戦争へと一気に加速することを意味している。
安倍政権は、世界情勢が激変し、戦争に向かおうとする中で、帝国主義としての生き残りをかけて安保関連法の成立を強行した。狙いは朝鮮半島だ。米韓による挑発的な軍事演習で緊張が高まる中、「存立危機事態」が発生した場合には自衛隊を朝鮮半島に派遣しようと目論んでいる。さらに安倍政権は、UAゼンセンを使って労働運動の解体を狙っている。また、辺野古新基地建設や三里塚での農地強奪と新滑走路建設など、軍事空港建設に一層踏み込んでいる。しかし、安保法制反対闘争の中で吹き出した怒りは、社会全体を破壊し、生きていくことさえできない非正規職化と貧困という現実に対する根底的な怒りだ。戦争に反対して闘い抜く労働者・市民、学生と固く連帯し、戦争反対の闘いを全力で闘いぬかなければならない。
1047名解雇撤回闘争に対して最高裁は、6・30決定で「不当労働行為を認定」してまで国鉄闘争を終わらせようとした。われわれの闘いは、国鉄改革法に真正面から立ち向かい、民営化・外注化・非正規職化という現代の核心的攻撃に対して労働組合が非妥協的に闘いぬいて勝利できることを示した。闘いは何一つ終わっていない!
闘いはこれからだ! JR採用を求める新たな署名運動を闘いぬこう。国鉄闘争全国運動を全国の職場・地域につくりあげよう。
JR情勢が激変しようとしている。民営化の結果3島JRや貨物は経営が破綻し、JR北海道に象徴されるように安全の崩壊が突き進んでいる。JR東日本では、電化柱倒壊や架線切断をはじめとした事故が多発している。外注化による技術継承と指揮命令系統の崩壊が誰も責任をとらない無責任体制を生み出したのだ。JRは、こうした現実を第2の分割・民営化攻撃として貫徹しようとしている。これは新たな労働運動解体攻撃であり、鉄道業務の全てを「水平分業」という形で外注化ー別会社化しようとする攻撃だ。
一方、外注化は、労働者から雇用と生活を奪い、出向―転籍、労働者を非正規職へと突き落とす攻撃だ。こうした現実の中でJR関連会社の労働者が動労総連合に結集しはじめている。「正規と非正規」が一体となった闘いの中にこそ外注化を粉砕する道がある。この道をさらに拡大し、発展させよう。
福島第一原発事故から来年3月で5年を迎える。福島の現実は、事故収束の目途は全く立たず、溶け出した燃料棒がどこにあるのかさえ分からない状況だ。すでに153名の子供たちが甲状腺ガンと診断されるなど事態はますます深刻化している。こうした中でJR東日本は、安倍政権の原発―核政策の最先兵として常磐線の全線開通を行おうとしている。沿線は80マイクロシーベルトに達するなど、到底列車を乗り入れる状況にないことは明らかだ。結局、原発事故などなかったものとして福島を見殺しにし、原発再稼働を進めるために「復興」を盾にして常磐線を全線開通させようとしているのだ。JR東日本と安倍政権がやっていることは、資本主義の利益のために労働者市民の命を奪い続ける攻撃にほかならない。絶対に許してはならない。動労水戸の被曝労働拒否の闘いは、歴史的な闘いであり労働運動再生に向けた重要な闘いだ。動労水戸支援共闘の強化・発展に向けて全力で闘いぬこう。
全世界で労働者人民の反撃が開始されている。韓国・民主労総は、職場から労働者を組織し、11・14労働者大会への10万人決起を実現した。そして、「非正規職時代を終わらせよう」と訴えて12・5労働者大会から12月ゼネスト第3波に向けて進撃を開始している。民主労総の仲間たち、世界中の新自由主義攻撃と闘う労働者と断固連帯して闘いぬこう。11月集会でつかみ取った成果をさらに発展させ、職場において資本と徹底的に闘いぬき、この力で戦争と民営化、非正規職化と貧困の安倍政権打倒に突き進もう。
「動労総連合を全国へ!」の闘いをさらに強化し、JRと関連会社を貫く闘いに起ち上がり、本格的な組織拡大を実現するために、全力で闘いぬくものである。
右、宣言する。
2015年12月6日
第30回国鉄動力車労働組合総連合定期全国大会